第190話 姫スゲーって末っ子は思う
「帆を張る場所……上?」
ワイキュルに乗って船内を走るノルンは、ファラの船内放送を聞いて船外へ向かって進む。
船内は何度もクラーケンによる攻撃の衝撃を受けたせいで、荷物や物が散乱している。場所によっては足の踏み場もなく釘や鋭い木片が落ちているので、歩くのもためらってしまう状況である。加えてクラーケンによって傾けられている現状では、歩くだけでも一苦労である。
だが、ワイキュルの分厚い足の裏は釘や木片など物ともせず、鋭い爪はしっかりと床を捉えてくれるおかげでノルンは船内を駆け抜けることができる。
ペティたち四人のなかで一番小さいノルンの乗るワイキュルもまた一番小さい。力こそ他の三匹に劣るが、俊敏さと機敏な動きには定評がある。
現に廊下に散らばる瓦礫や木片で狭くなってしまった通路を姿勢を低くしつつくぐり抜け、スピードを落とすことなく駆け抜け定評通りの活躍を見せる。
「エクール……ナイス」
ノルンに褒められ気を良くしたエクールがさらに加速して、そのままの勢いでドアを頭突きで破壊して外へと飛び出す。
「それはやり過ぎ……」
ノルンに注意されたエクールは、「ごめん」の代わりにきゅっと短く鳴いてノルンを乗せて帆を張る場所まで連れて行く。
巨大な戦艦トリヨンフローレを動かすための帆は巨大で、それを張るためのマストもまた巨大にそびえ立っている。そして帆を支えるためにある、上下からそれぞれ横に走る支柱が無数にマストと交差し、上から下にと大量のロープが垂らされて複雑に絡み合っている。
「これは難解。私じゃ無理」
大量のロープの数と、今現在は中途半端に畳んである巨大な帆を見たノルンは、ポツリと呟くと周囲を見渡す。
見渡し始めてすぐに左斜めに傾いた船上の端に、柵や突起物を握って落ちないようにして座り込んでいる沢山の船乗りたちがいることに気がつく。
彼らは突如現れたエクールとノルンに注目していて、ほぼ全員の目がノルンに向けられている。
「ほぅ」
沢山の目が自分に向いていることに、緊張から謎の声を上げたノルンは壁に設置されている伝声管に近づき、エクールから降りると操舵室と書いてある管の蓋を開ける。
「ファラ、着いた。ここからどうすればいい?」
「「あ、ノルン着いたんだ。えーっとね、帆を海面方向に張って風を受けて船を起こすの」」
「ふーん、でも私じゃ帆を張るの無理。近くの人に頼んでみる」
「「それがいいよ。じゃ、準備できたら声かけて」」
「おーけー」
伝声管の蓋を閉めたノルンがエクールを連れて、てくてく歩くと、沢山の目に注目されたまま上を指さす。すると、みんながなんとなくノルンが指さす方向に目を向ける。
「帆を張りたい」
ポツリと呟いて、そのまま上をさしていた指を船員たちに向ける。
「がんばれ」
指をさされノルンが呟いた声に目を丸くして、互いに目を合わせる船員たちだが、そのなかの一人が声を上げる。
「この状況で俺らに帆を張れっていうのか?」
「そう。私じゃ無理。だから頼む」
よろしくと手を上げたノルンの言葉を受け、しばしの無言のあと最初に喋った船員が再び声を上げる。
「船が傾いているこの状況で帆を張るなんて無理だ。マストに登るのだって命がけなんだぞ。それにクラーケンの攻撃が来たら海に落ちてしまうだろうが」
その声に「そうだ、そうだ」と同意の声が上がり各々が声を上げ始める。なかには「ふざけるな!」「お前がやれ」などの文句の言葉もある。
「しんらつな言葉……」
ポツリと呟いたノルンが歩き出すと、隣に並ぶエクールも主人と一緒に下を向きトボトボ歩き伝声管の前へと向かう。そしてノルンが操舵室と書いてある蓋を開ける。
「ねー、ファラ。帆を張るの危ないから無理だって断られた。私じゃ上手く説得できない。どうしよう」
「「えー、そうなの? うーん、そうだ! 詳しい手順を説明するからさ、姫に頼んじゃいなよ。どっちみち姫がいないとできないんだし」」
「うん、分かった」
ノルンはコクっと頷くとファラから説明を受ける。
***
クラーケンの足を受け流しながら船にダメージが入らないように奮闘するセシリアの横にジョセフが下から飛び上がって来る。
「申し訳ありません、巻き付いている足を切るのは他の者に任せておりますので、私はセシリア様を手伝いにきました」
「助かります」
触腕二本に足三本を相手にしていたセシリアは、魔力を溜めるひまもなく、攻撃を受け流すことで手一杯であったのでジョセフの参戦は心底嬉しかった。お礼を言いながら見せた笑顔を受け、ジョセフは胸に手を当て至福の表情をする。
「あぁ、セシリア様の微笑みを我が身に受け私は幸せです。セシリア様のご期待に添えるよう全力を尽くしましょう!」
歌うかのように宣言するジョセフの後ろにクリールに乗ったペティが現れる。
「人間ってのはああやって愛を語るのか?」
「いいや、あやつは特別だ。常識外……かなり変わった部類だから参考にしてはならんぞ」
続いてやってきたニクラスの言葉に、ペティはジョセフに対して思うところがあったのか納得したように頷く。
「なんなのですか、あなたたちは! それにニクラス、あなたに常識外などとは言われたくありませんね!」
怒るジョセフを無視してニクラスが斧を構える。
「ほれ、無駄口を叩いてないでセシリア様のために戦うぞ」
「誰のせいですか、誰の!」
ジョセフはぶちぶちと文句を言いながらも、セシリアの方を向いたときには満面の笑顔を見せ歯をキラリと輝かせる。
「セシリア様、私ジョセフの戦いをとくとご覧にいれましょう」
「あ、はい……よろしくお願いします」
主張の強いジョセフに、苦笑いをしながら答えるセシリアのその笑みすら、自分に向けられた至福の笑顔と変換するジョセフはテンション高くレイピアを構える。
ちょうどそのとき、カンカンと鉄を叩くような音がし、続いてどこかで聞いた声が船外に響く。
「「ひめ、ひめー。ちょっとマストがあるとこに来て……あ、私ノルン」」
いつものテンションで話すノルンの声が響き、セシリアはマストの方向を見る。
「さっきもファラが言ってたし、カメリアも船内に飛び込んでたからなにかするのかもしれません。そう言うわけですので、しばらく三人にここをお任せしてもいいですか?」
「えっ、私の勇姿は……」
さっそうと翼を広げてマストのある方へ飛び降りるセシリアのあとには、悲しそうな表情で手を伸ばすジョセフと、目を丸くして驚くペティが残される。
「三人って、あたいもこれをどうにかしろってのか?」
既にクラーケンの足と対峙しているニクラスを見たペティは口を開け、緊張した面持ちで喉を鳴らす。
***
セシリアが斜めになった船体を飛び下りて、マストの並ぶ床へと着地すると、エクールに乗ったノルンが近づいてくる。
「ノルン、呼んでたけどなにを手伝えばいいの?」
「帆を張って、姫が風をおこして船を起こす。ファラとカメリアとリュイが頑張る」
「んん? つまり私は風を起こして、それを帆で受けるってこと? あとはファラとカメリア、リュイがどうにかしてくれるってことであってる?」
「さすが姫。完璧」
うんうんと嬉しそうに頷いたノルンは続いて、傾いた船体の端に並ぶ船員たちを指さす。
「でも、帆が張れない。危ないから無理だって断られた」
セシリアがノルンの指さす船員たちを見ると、聖女の登場になんとなく気不味いのか目を逸らされてしまう。
「その前に風を起こせるのかな……っていけるんだ。なるほど」
聖剣シャルルと会話をしたセシリアは、一つため息をつくと座り込んでいる船員たちを見渡す。
「皆さんにお願いがあります。今から私が海面から右舷方向に風を起こします。その風を受けるため、帆を張ってほしいのです」
少し潤んだ目で訴えるセシリアの言葉を、ノルンのときとは違い黙って真剣に聞く船員たち。
「危険な作業で無理を言っているのは承知しています。ですがそこをどうかお願いできないでしょうか?」
セシリアのお願いに、みながざわざわと顔を見合わせ話し始める。
そんななか一人の船員が手を上げて、恐る恐る尋ねる。
「風を起こすって、そんな奇跡起こすこと可能なのか?」
「はい、可能です」
はっきりと言い切るセシリアにみながざわつきながらも、まだ決めきれない雰囲気を出す。そんな様子を見たセシリアが一旦閉じた目をゆっくりと開き、船員たちをその瞳に映すと静かに口を開く。
「確かに私は風を起こすことができます。ですがそれは奇跡とは言えません。なぜならば、その風を受ける帆は私では張れないのです。みなさんが帆を張ってくれたとき、私の起こす風は本当の奇跡となることができるのです」
一人一人を見るセシリアの瞳に順に映しだされる船員たちは、セシリアの美しさと懸命に訴える姿に心が揺らぐ。
「私一人では成しえることはできません。私にはあなた方の力が必要なのです。どうか私のために帆を張っていただけませんか」
切実に訴える姿に加えて、「あなた方の力が必要なんです」「私のために」などと聖女直々に言われた船員たちはゆっくりと立ち上がる。
そして一人一人がセシリアの言葉を「あなたの力が必要なんです」と複数形を省いて改変し、やる気に満ちた目でセシリアを見つめる。
「どんな嵐でも帆を張ってきた俺ならこんなの楽勝だぜ。聖女様、見てて下さいよ!」
「ああそうだ! 俺が帆を張って聖女様の風に乗った思いも受け止めて見せるぜ!」
「ロープを引くぞ! みんな俺に続け!」
「おおっ! 俺がやってやるぜ!」
自己主張強めで船員たちはあっという間にマストに登ったり、ロープを握ったりしてテキパキと帆を張る準備を始める。
そんな様子を潤んだ瞳で見守るセシリアを見た船員たちは、さらにやる気を出して驚きのスピードで帆を張ってしまう。
「姫凄い。私もそんな魅力マシマシになりたい」
キラキラとしたノルンの尊敬の気持ちをふんだん含んだ、純粋な視線がセシリアに向けられる。
「全然嬉しくないんだよねぇこれが……」
船員たちのドヤ顔と褒めてくれと言わんばかりの視線と、ノルンの尊敬の眼差しを受けてセシリアは複雑な心境を呟くのである。