第183話 利益を天秤にかけた先に共感仲間を得る
エキュームの町から少し離れた場所で野営をするセシリアたちのもとに、二人の男が現れる。突然の訪問者に驚くリュイやペティたちだが、男の一人が手に握っていたラーヘンデルの花に囲まれた城の絵が描かれた国旗を見せると、セシリアは座っていた椅子から立ち上がり二人の兵に深々とお辞儀をする。
「私に用事ですね」
無言で頷く二人の兵にセシリアも無言で頷く。
「ジョセフさんと、リュイ一緒に来てもらえますか? ニクラスさんとペティたちは野営地の警護をお願いします」
ジョセフとリュイを引き連れたセシリアは、兵の案内で林の奥に向かう。先にいた木の幹に体を寄りかからせていた人物がセシリアに気づくと、慌てて体を起こし両脇に控えていた護衛を置き去りにしてセシリアに近づいて来る。
「ご無事で本当に良かった。お怪我はありませんか?」
セシリアの手を取って喜びをあらわにするのはメンデール王国の王子、ミミル王子である。脇にやってきた護衛が持つランタンのぼんやりとした光に照らされ、ミミル王子は満面の笑みをセシリアに向ける。
「心配していただきありがとうございます。体の方は大丈夫ですよ。急ぎで悪いのですが、お手紙の方は読まれましたか?」
「ええもちろんです! 突然手紙を渡されたときは驚き過ぎて、なにかの罠かとも思いましたが、こうして聖女セシリアにお会いできたこと夢ではないと今こうして触れることで確信しました」
自分の手を揉んでくるミミル王子に対しニコニコしながらも、イラっとするセシリアは早く本題に入れと、こめかみに青筋を立てる。
薄暗いのも手伝ってそんなセシリアの心情など気付かないミミル王子は手を握ったまま話を続ける。
「手紙に書いてあったエキュームのルアーブ王との面会の件ですが、なんとかいたしますので私にお任せください」
セシリアの手を強く握るミミル王子に、早く手を離してくれないかなとの思いを抑えつつ笑みを見せるとミミル王子はさらに手を握りしめ体を近付けてくるので、セシリアは半歩後ろに下がる。
「え、ええ……突然のお願いにもかかわらず対応していただきありがとうございます」
「この身、聖女セシリアのためならばたとえ火の中水の中!」
「そんなに力をいれなくても大丈夫ですから。もう十分役に立っていますから……うっ」
片手はセシリアの手を握ったままで、自分の拳を握り意気込むミミル王子を落ち着かせようとセシリアが掛けようとした言葉は、むふぅ~と鼻息荒い顔を近付けくるミミル王子によって遮られる。
ミミル王子に鼻息を掛けられ、思わず小さくだがうめき声を上げたセシリアのことなど気づく様子もないミミル王子は興奮したまま言葉を続ける。
「ありのままの私がいいということですね! 私の良いところもよく見て理解していてくれて感激です!!」
「え、ええ……それは、良かったです」
引き気味でしどろもどろになるセシリアはミミル王子と分かれたあと、リュイに慰められながら野営地に戻るのである。
***
メンデール王国の代表として訪問するミミル王子は従者たちを率いて、エキューム国にあるエキューム城に入ると王の待つ場所へと向かう。
従者に紛れ背中にメンデール王国の国旗が刺繍された、ローブのフードを頭まで被っている二人組がいる。
「ペティ、大丈夫?」
「お、おぅ……いや、大丈夫ですますわ」
フードで隠していても、隠しきれないほど緊張するペティを見て、同じくフードをかぶっているセシリアはクスクスと笑う。
「わ、笑うこと……ねえと思います」
「ぷふっ、多分だけどアンメール女王はこういう機会が訪れることも予想していた気がする。大丈夫、余程ことがない限りは覚えたセリフ以外は喋らなくても、私がフォローするから。でも、この交渉にはペティがいてくれるとスムーズに進むはずだから頼りにしてる」
「ぐぬっ、喋らなくていいのか、喋らないといけないのか分かんねえ言い方……ですわね。なんかコツとかねえですか?」
ぎこちない喋り方をするペティに尋ねられセシリアは視線を上にしてしばらく考えたあと、ペティを得笑顔で見る。
「実は行き当たりばったり。なんとかなるよ」
「なんだそれ。不安しかねえアドバイスありがとよ」
呆れるペティの顔を見て笑うセシリアはミミル王子に連れられ謁見の間に入る。玉座に座る王はもみあげからあごまで黒く濃いヒゲを蓄えており、服装は高貴ではあるがどちらかと言えば動きやすそうな服でセシリアが会って来た王たちよりも随分若く見える。
「お初目に掛りますルアーブ王。私、メンデール王国第一王子、ミミルと申します」
「よく来てくれた、メンデール王国との友好関係の始まるこの日が訪れたことを嬉しく思う」
二人の挨拶が交わされ、友好の証としてメンデール王国とエキュームの贈り物の交換、そして友好宣言書にそれぞれがサインをし和やかに言葉を交わしていく。
「ときにルアーブ王、事前に文が届いていると思いますがお目を通されたでしょうか?」
話が途切れたところでミミル王子が振った話題に、ルアーブ王の眉が僅かに動く。
「我が国の対クラーケン用の戦艦に乗せて欲しい人物がいる……だったか」
「確認ですがここには……」
「ここには最低限の兵と信頼できる側近しか置いておらん」
そう言ったルアーブ王と、それをじっと見つめるミミル王子。しばしの沈黙のあとミミル王子が深々と頭を下げる。
「では、ここから本人からルアーブ王と話すことをお許しいただけますか?」
ミミル王子の言葉を聞いたルアーブ王はフードを被るセシリアたちに目をやり注意深く見つめ軽く頷く。
「問題ない。許可しよう」
「ありがとうございます」
ルアーブ王の許可を得たミミル王子がお礼の言葉を述べ後ろに下がると、代わりにフードを被ったままのセシリアたちが前に出る。
そしてセシリアだけがフードを取り姿を現すと、ルアーブ王は目を大きく見開き周囲からどよめきが起こる。
静かにスカートを摘まんで華麗にお辞儀をする、その所作一つ一つに周囲を見惚れさせるセシリアは紫色の瞳でルアーブ王を艶やかに映す。
「お初目にかかります。私の名はセシリア・ミルワードと申します。世間では聖女と呼ばれており、今現在訳あって行方不明となっていますが、正真正銘本物であります」
聖女セシリアを名乗る少女の登場に眉間にしわを寄せ、訝しげな表情をしながらもルアーブ王は冷静に質問を投げかける。
「魔王との戦いに敗れたと聞いておるが、その聖女が何故ここに? なによりも無事であるならアイガイオン王に早く知らせるべきであろう?」
「ごもっともな意見ですが、魔族の目から隠れたい今は大々的に存在をあらわにしたくないのです。そしてここにいる理由ですが、ミミル王子がおっしゃった通り対クラーケン用の戦艦に私たちを乗せてもらえないでしょうか」
「今我々の脅威となっているクラーケン退治をするため、噂の聖女が立ち上がった……というわけではないのだろうな」
皮肉交じりの笑みを見せるルアーブ王に、セシリアは静かに微笑む。
「もちろんです。私たちの目的はレシフ島にあります。そこに魔王との戦いの今後を担うものが眠っています。魔王がこのまま大陸を支配していくのはルアーブ王としても見過ごせないのではないでしょうか? 船に乗せてもらう代金としてクラーケンの討伐を手伝う……というのはどうでしょう?」
セシリアの言葉を眉間にしわを寄せたまま聞いていたルアーブ王が、薄ら笑いを浮かべるとニンマリと笑った口の形のまま話し始める。
「魔王の力は確かに恐怖ではあるが、場合によってはビジネスチャンスとも言えないだろうか? 聞くところによれば早くから魔王に完全降伏したネーヴェ王国には被害はなく、謀反を起こした国よりも優遇されているらしいじゃないか。つまりだ、我らが魔王に歯向かわず、有益であることを証明できれば我が国は潤うことができる。国益を得て他国よりも優位に立つチャンスであると私は思っている。
それにだ、クラーケンを倒すための戦力は集めておるからな。聖女さまとやらにご足労願う必要はないな」
静かにルアーブ王の話を聞いていたセシリアがふっと笑う。
「なにが可笑しい」
年端もいかぬ少女に笑われたことに、表情から薄ら笑いを消しさり一転ご立腹な様子を見せるルアーブ王をセシリアは口を押さえわざとらしく笑う。
「いえ、この豊なエキュームを築き上げたルアーブ王らしい、実に合理的で利益主義な考えだなと思いまして」
「それのどこに笑うところがある?」
不機嫌な顔でセシリアをにらみ、周囲は両国含め不穏な空気を感じて焦りの色を見せるが、当の本人であるセシリアは涼しい顔でルアーブ王を見つめている。
「魔王相手に交渉するとおっしゃっていますが、あまりにも理不尽な条件を付きつけられたときルアーブ王はどう対応されるおつもりでしょうか? 武力に訴えられたとき対応できるとお思いなのでしょうか?」
セシリアが向ける目は美しく静かだが、どこか鋭さを含んでおりその瞳に「クラーケンも倒せないのに。魔王と交渉するつもりですか?」と訴えられているように感じたルアーブ王は言葉を詰まらせてしまう。
「有益な情報、今後のビジネスチャンスを掴むのであれば、一つ私からも提案があります」
セシリアの言葉を合図に、隣に片膝を立て座っていたペティが立ち上がりフードを脱ぐ。透明感のある緑の髪に長く先が尖った耳に、人の着る服とは違う独特な衣装。
「エルフ……だと」
ペティの登場に驚きの声を上げるルアーブ王に、エキュームの人間たちも口々にエルフの単語をささやく。
「エルフらしき人物を見たと報告はあったが、まさかこの目で本物を見る日がこようとは……」
驚くルアーブ王にペティが静かに頭を下げる。
「エルフの里、シンティラーテルより派遣されましたペティと申します。以後お見知りおきをいただければ光栄です」
驚くルアーブ王に青い瞳を向けたまま微笑んだペティは静かに片膝を立て座る。
「我らエルフは三百年に渡ってミストラル大森林で過ごしてきましたが、この度人間との関係を模索すべく、その見極めを任され派遣されました。まずは隣国であるエキュームのルアーブ王にこうしてご挨拶できたこと、光栄に思います」
ペティの言葉に黙って頷くルアーブ王に、ペティに代わってセシリアが言葉を続ける。
「エルフの外交官であるペティ、つまりはエルフの里であるシンティラーテルとの交渉の窓口ということになります。そして私は人間の代表として外交官ペティの案内役を任されています。これの意味すること……ルアーブ王ならお分かりですよね?」
セシリアの言葉を受けルアーブ王が口をもごもごさせながら答える。
「ぐむぅ、つまるところエルフとの交易の可能性を得られると……」
「この度の魔王の件、エルフの方としても重く見られているようです。レシフ島への渡航はエルフとしても必要なことであるとお伝えしておきます」
セシリアがつけ足した言葉を聞いてたルアーブ王は、口を拳で押さえて悩み始める。
「一つ聞くが、エルフの里との交易を約束すると言うのはこの場で可能か」
「いいえ、私ができるのはあくまで交渉の方向に向け交易の足掛かりを作るだけです。交渉の場で交易を掴み取るのはルアーブ王の役目となります」
そう言って微笑むセシリアの笑みに「元々魔王と交渉するつもりなんですから、エルフとならわけないですよね?」と含まれていると、深読みしたルアーブ王は返す言葉がなく黙ってしまう。
「それにです。大前提として私は魔王に勝ちますよ」
セシリアが付け加えた言葉の意味するところ、「今魔王に降伏し他国を出し抜いたところで、後々大きな不利益を生むことになりますけどよろしいんですか?」と言う警告の意味だと受け取ったルアーブ王は、ふっと笑みを浮かべるとゆっくりと口を開く。
「聖女とはただただ愛を語るわけではないのだな。認識を改めさせられたぞ。実に面白い交渉の場だった。ここまで言い返すことのできなかったのは久しぶりだ。分かったクラーケン討伐の報酬としてレシフ島まで船を出すことを約束しよう」
「寛大なご配慮をいただき、深く感謝いたします」
セシリアに合わせペティも頭を下げてお礼を述べる。こうしてセシリアたちはレシフ島へ行く方法を得るのである。
***
セシリアとの別れを惜しむミミル王子を苦笑いで見送ったあと、セシリアとペティはみんなのもとへと戻る。
「な、なあ……」
帰り道、ぽつりと呟いたペティにセシリアが目を向けると、潤ませた目でペティが見返してくる。
「こっ、こわかった……」
緊張から解放されたペティが震えながらセシリアに本音を訴えてくる。
「分かる。私も怖かった……」
「ほんとに? ほんとか? セシリア全然余裕そうに見えるんだが。あたいが怖がりなだけじゃなくて? なあ、ほんとに怖いのか?」
何度も聞いてくるペティに何度も頷きながら、同じ気持ちを共有できる人ができたと嬉しく思ってしまうセシリアなのであった。




