第159話 草原に降り立った少年はやっぱり聖女だったわけで
鳥のさえずりがいつもより近くで聞こえ、顔に当たる日差しも強く渋い顔になったセシリアがゆっくりと目を開けると、目の前に黒い虫がカサカサと歩くのが見えて大きく目を開き慌てて飛び起きる。
「おはようなのじゃ」
「う、うん。おはよう」
速くなった胸の鼓動を押えるため胸に手を置き息を整えるセシリアが、挨拶を返すとアトラは笑みを見せる。
「朝ご飯の支度をするのじゃ。その前にセシリアの髪を整えたいから座って欲しいのじゃ」
アトラが手招きをしてセシリアと入れ替わり座らせると、背後に回り髪を櫛でとき始める。
「こんなに至れり尽くせりでお世話してもらっていると普通に冒険者やれる気がしないなぁ」
「至れり尽くせりでいいんじゃないかえ。少なくともわらわはセシリアと一緒に冒険に出るとしたらこんな感じでいいのじゃ」
髪をときながら答えるアトラに納得のいかない表情のセシリアは隣で毛づくろいをするグランツを見る。
『私もいいと思いますよ。セシリア様は聖女でありみんなの姫なわけですから』
「そもそも聖女とか流れでそうなったわけで、私のことを知らない土地に行けば聖女でもなんでもないわけだし。この大陸だって私のことを知らない人は聖女だなんて言わないはずだよ」
『セシリアはもう聖女としての雰囲気をまとっているから、多分どこへ行っても聖女に近いなにかになると思うがな』
聖剣シャルルの言葉に頬を膨らませて態度で不満を表すセシリアは、アトラが用意した朝食を口に入れてもらうが苦かったのか渋い顔になる。
***
森から出て草原へ戻ったセシリアは、夜にはよく見えなかった草原が美しく広がる風景に見惚れる。
多年草が生えどこまでも広がる様子は、おうとつや所々に生える背の低い樹木、岩などが混じり先が見通し悪い分、プレーヌ平原とはまた違った果てしない広さを予感させる。
『セシリア、あっちの方に見えるのは山の形からしてフォティア火山なのじゃ。太陽が昇った方角と、フォティア火山の北に広がるモンタニャー山脈が見える位置を考えれば東側にいる可能性が高いのじゃ。
後は先ほどの森の位置との海の位置が分かれば、大陸の東側かどうかの確信が持てるのじゃ。だからまずは今の太陽の方角を目指し進むのじゃ』
「なるほどね。フォティア火山を中心にして、太陽が昇った方角に進んで海が見えてくればここが大陸の東側ってわけだね。結構長い旅になるかもしれないね」
アトラの説明にやるべきことを確認したセシリアは早く魔王を止めることと、自分の無事を知らせないと思いつつも、憧れであった冒険者としての一歩踏み出せた気がして、不謹慎と思いつつも顔が綻んでしまう。
聖剣シャルルを抱きかかえ、影にアトラを招くとグランツをお供に歩き始める。
『セシリア様、複数のまとまった足音がします。おそらく馬系のなにか……それに人間の匂いが混ざってます。お気を付けください』
出発してすぐに発せられたグランツの警告にセシリアは頷くと、聖剣シャルルをしっかりと抱きしめて進む。
進んでいくとセシリアにも複数の馬が大地を踏みしめる音と振動が伝わってくる。
その振動が自分の方へと向かって来ていることに確信を持ったセシリアは、走り出し身の隠せない草原において、一先ず背後を守るため大きめの岩を背にして相手を迎える。
『相手の索敵は私がします。アトラは遠距離の攻撃にそなえ防御の体制を!』
グランツの声を聞きながら、セシリアは聖剣シャルルを地面に置き柄を握って向かって来るものを迎える。
『囲まれています。確認できただけで五人』
グランツが淡々する状況説明を参考に、セシリアも周囲を探り人の気配を自分でも感じる。
自分が囲まれていることを認識し、そのなかの一つの気配がゆっくりと自分に向かって来ることを感じ取ったセシリアは柄を握る手に力を入れ、聖剣シャルルをいつでも使えるように身構える。
段々と大きくなる馬に乗る人の姿から目を離さないようにしつつも、他の気配が動かないかに注意する。
そうしている間にも目前まで迫った馬に乗った人は、朱色の薄い鎧を着て長い槍を手に持つ。硬そうな髪の毛に太い眉、黒い瞳をセシリアに向け、もみあげと繋がった濃くてボサボサしたヒゲで覆われた口を開く。
「驚かせてしまったのでしたら申し訳ありません。自分、ティナンと申します。あなた様は昨夜、空より降臨された天使様で相違ないでしょうか?」
「天使? いえ違いますよ。普通の人間です」
本当に普通なのか? そんな疑問が心に過るがセシリアは、警戒を怠ることなくティナンと名乗った男の動向から目を離さないようにする。
見た目の無骨さとは裏腹に口調は優しく言葉遣いも丁寧だが、手に持った槍を離すことなく馬の上から話し掛けていることがセシリアに警戒心を抱かせる。
「失礼ですが、普通の人間は白い翼を背に生やし空から舞い降りないと思うのですが」
「ええ、まあ確かに普通ではないですよね。でも人間なのは本当でして、信じて頂くしかありません。そうです、申し遅れました私セシリア・ミルワードです」
「セシリア・ミルワード……」
ティナンがセシリアの名前を呟き何やら考えたあと驚きの表情になり、慌てて馬から降りると槍を置き跪く。
「もしや、あなた様は聖女セシリア様で間違いないですか?」
「え、まあ……世間ではそう呼ばれてはいますけど」
「これは大変な失礼を! 昨晩見張りから空から降りてきた者がいると報告がありまして、この大陸には少ないですが翼を持つ魔族の可能性もあり警戒してたとはいえ無礼を働いたことお許しください」
「夜に空から降りて来た者がいれば警戒するのは当然です。頭を上げてください」
ティナンが頭を深々と下げるのをセシリアが慌てて制止すると、一度頭を上げるが今度はお礼を述べつつまた深々と頭を下げるのでセシリアはほとほと困る。
「ところで聖女セシリア様はなぜこのようなところへ?」
「え~とですね、実は魔王と戦闘の際飛ばされてしまいまして……」
セシリアはここまでのいきさつを簡単に話すと、ティナンは納得言った様子で大きく頷く。
「聖女セシリア様のご活躍はこの辺境の地オードスルヌにまで届いております。フォティア火山で恐怖の赤竜を圧倒的力で討伐したとか」
「フォティア火山の恐怖の赤竜? もしかしてフレイムドラゴンフォスのことでしたら討伐はしてませんよ。ちょっといざこざはありましたが、今では協力してもらえる仲間みたいな関係になりました」
「赤竜を仲間にですか!? 逆鱗に触れ一度怒り出すと全てを燃やし尽くすと言われる悪魔と呼ばれる存在を!?」
本当は聖女セシリアのファンクラブ七号であるのだが、そんな説明をするのも面倒だしそもそも説明したくないので無難に答えるとティナンが驚きの声を上げる。
「悪魔の竜? そんな感じでもなかったと思うんですけど……」
「なるほど、聖女セシリア様にとってはあの赤竜すら取るに足らない存在であったと。なるほど確かに考えてみれば討伐するよりも使役する方が何倍も難しい。さすがです」
「あ、いえ、そう言うことじゃなくて……」
悪魔と言うよりは、どちらかと言えば戦闘好きの豪快なおじさんで、見た目の厳つさに比べて話が分かる感じだったからの否定だったが、違う方へと勘違いされてしまう。
「聖女セシリア様、魔王の討伐でお忙しいところ、厚かましいことは承知でお願いがございます」
沢山の人や魔物、魔族に協力あって成し得たことで自分は大したことはしていないと否定しようか、でもすると赤竜など大したことはないのだとさらにあらぬ方向に勘違いされそうなので、黙っていたセシリアの前でティナンがひざまずき頭を下げてくる。
「自分たちプレリ族をどうか救って頂けませんか」
下げていた頭をさらに深々と下げ救いを求めるティナンの姿を見たセシリアは、額を押さえて小さなため息をつく。
(結局こうなるんだ……本当に私の名前も噂もない場所にいかないと、聖女からは抜け出せそうにもないなぁ)
初めて出会った人物にまで自分のことが知れ渡っていることに、改めて頭を悩ませるのである。