第141話 それぞれの決意
なにも遮るものがないプレーヌ平原を抜ける風は海へ向け抜けていく。ベランダに出て夜風に吹かれネグリジェをそよがせるセシリアは結んでいた髪を解き、顔に風を浴びながら目を細める。
そんなセシリアをベッドの上に座るグランツとアトラが幸福の表情で見守る。セシリアが目に掛った髪をかき上げ、耳に掛けるとベランダの壁に立て掛けている聖剣シャルルを見つめる。
月の明かりに照らされ輝く聖剣シャルルは神々しく、その本質が魔族であることは微塵も感じさせない。
「ねえシャルル、このまま魔王と戦うことは本当に正しいのかな?」
『その質問は魔王、つまりは魔族と戦うことそのものに疑問を感じたという解釈であっているか?』
聞き返されたセシリアは無言で頷く。
『だとすれば、セシリアが戦うことが正しいと断言しておこう』
聖剣シャルルから断言されたセシリアは、黙ったまま見つめ返す。
『魔族を倒せるのは今のところセシリアだけだ。そしてそれは魔族の命を奪わずに退かせることができるのもセシリアだけ。ここまでの国々で集めて来たセシリアへの信頼は、大陸の半分近くの人からの信頼を得ている。つまり人が暴走しないように説き導くことができるのもセシリアだけだ』
カチャンと刀身を鳴らしたときに鞘に施された金の蔦に月明かりを反射させ、キラキラと輝く聖剣シャルルは優しい口調でセシリアに語り続ける。
『セシリアがここで戦いから身を引いたとき、残りの剣を手にした者が現れないとも限らない。その者が好戦的であった場合、人や魔族に与える損害は計り知れないものとなるかもしれない。
そうならないためにも聖剣を持つ聖女セシリアと言う存在が人にとって唯一無二の心の拠り所であって、魔族にとっても敵対する人間だが話の通じる存在である必要がある。全ての中心であり先頭に立って導く存在、聖女であり姫であること』
聖剣シャルルの話を聞いていたセシリアは眉を下げ困った笑みを浮かべる。
「無茶苦茶言うね。私って田舎から出て来た、ただの冒険者見習いだよ。流れでここまで来たけど、とてもそんな存在にはなれないよ」
『そんなことはない。もう既になれている』
聖剣シャルルの言葉にグランツとアトラも何度も頷いて肯定する。
「そもそも女性でもないのに聖女を名乗っているわけだよ。人を欺いているのに人を導く存在だとか……」
『シャルル先輩も言ってますが、セシリア様は人や魔族だけでなく魔物の信頼をも得てます。自信を持っていいと思います』
グランツが会話に割って入ると、アトラも大きく頷き口を開く。
「セシリアが男の娘であることは大きな魅力だと思うのじゃ。それは騙してるとかではなく、セシリアにしか出せない魅力なのじゃ。その魅力にわらわも夢中なわけなのじゃ」
二人の言葉をじっと聞いていたセシリアは額を押さえ大きくため息をつく。
「冒険者になったと思ってたらなれてなくて、改めて登録したらそのまま聖女に祭り上げられて、なんだかよく分からない剣を手にして翼は生えるし、影は勝手に動くし冷静に考えたら全く理解できないんだけど」
そこまで言ったセシリアが聖剣シャルル、グランツ、アトラを見て微笑む。
「前も少し言ったけど、思い描いていた冒険者とは全然違うけど今の自分に出来ることがあるならやれるだけやってみるよ。でも私一人じゃなにもできないからシャルル、グランツ、アトラこれからも力を貸してくれる?」
もちろんだと大きく頷くグランツとアトラに、刀身を揺らし答える聖剣シャルルを見てセシリアは顔をほころばせる。
「魔王の動きも気になるけど、まずは昨日会った三天皇より上の存在だと思われる、ドルテと言う子と話し合う機会を作らないとね。ニャオトさんの無事も確かめるには彼女と出会うのが一番早いだろうし」
ベランダの柵に背を付け、夜空を見上げるセシリアを夜風が優しく撫でる。銀色の髪を月夜に輝かせ紫の瞳に金色の月を映し同じ空の下にいるであろうドルテのことを思う。
***
『どうかしたか?』
赤い瞳に映した月から目を離すと、城のバルコニーに立て掛けてある魔剣タルタロスを瞳に捕らえたドルテは寂しそうに笑う。
「いえ、わたくしはお父様の願いである魔族の故郷に帰ることを叶えたく行動してきました。その過程で人間を傷つけること、無駄に血を流すことはしたくないので話し合いで済ませてきたつもりでした。この度のペンティスカ王国の話し合いで魔族の存在が人にとって脅威で、近付くだけで恐怖を覚えると。そんな意図はないとお伝えしても命だけは奪わないでと必死に懇願され、一部の人たちから敵意まで向けられてはさすがのわたくしも傷つきますわ」
大きくため息をついたドルテは再び空を見上げ月を瞳に映す。
『巨大な魔力を持つ魔族は昔から人に敬われ、そして恐れられてきたわけさ。自分たちよりも上の存在として刺激しないように、距離をとりつつ生きてきたんだがな。だが倒すことができると知ってしまってから、一気に均衡が崩れちまったって話よ。まっ、その倒せるって確信を人間に持たせちまったのが俺っちらの存在なんだけどな』
「均衡が崩れた原因は魔族による人間への一方的な支配への反発から……と書いた歴史書を読みましたが、実際はどうなのです?」
『俺っちも最初からいたわけじゃないしな。むしろ終盤の方で生まれ戦いに終止符を打つ切っ掛けになった方だから始まりのことは知らないわけよ。今の世に争いの切っ掛けを正しく言えるヤツなんて存在してねえだろうよ。ドルテの嬢ちゃんが読んだのも人間から見た歴史だろうし真偽の方は分からねえってもんよ』
そう言って時々刀身を鳴らす魔剣タルタロスの続ける言葉をドルテは黙って聞いていたが、瞳を魔剣タルタロスに向けると静かに口を開く。
「シャルルさんが言ってましたわ。なぜタルタロスさんが魔族側にいるのかと。わたくしはてっきり初めから魔族と共に存在していたのかと思ってましたの。よろしければ教えてもらえませんか?」
ドルテの質問に鼻はないが、ふんと荒い息を一つ吐きその質問を待ってましたと言わんばかりに魔剣タルタロスは話始める。
『俺っちの前の前の持ち主である矢野健太ってやつが俺っちに言ったわけよ。僕は魔族を守りたい、タルタロス一緒にきてくれないか? ってな』
剣なので見た目は変わらないが刀身を激しく揺らし、やや声が大きくなり魔剣タルタロスが興奮しているのがドルテにも伝わってくる。
『俺っちは剣だぜ。持ち主が斬りたいものを斬るだけの存在。そんな俺っちに選択権を与えてくれてさ、魔族の側に付くのが惚れた女のために力を貸してほしいってんだ。そんな風に言われたら了承しない理由なんてないってもんだぜ! で、俺っちはそのときに烈剣から魔剣タルタロスに名前も変えたってわけよ。
だが、俺っちがつええって言っても、多勢に無勢。シャルルや妹たちは後方にいたから最後は会ってもねえから何やってたかは知らねえけど、カシェ、ヴィルヴェルの野郎たちと戦いながらなんとか魔族を全滅させずに守ったってわけよ。まあ、フィーネ島になんとか逃げたってのが正しいけどよ』
「今のわたくしたちがあるのは、ケンタとおっしゃる方とタルタロスさんがいたからなのですね」
ドルテに微笑みを向けられ魔剣タルタロスは照れたように刀身を左右に揺らす。
「お父様の計画書には人間を根絶やしにしつつ進軍、そして故郷であるフォルータへ戻る。そう書いてありました。過去の人間による仕打ちを経験したお父様からすれば復讐したい気持ちもあるのでしょうけど、わたくしは人間を傷つけることで魔族の皆さんが怪我することの方が耐えられませんから」
ドルテはまとめてお団子にしていた髪を解き、金色に輝く髪を風になびかせ瞳を真っ赤に輝かせる。
「だけど、もしも人間がわたくしたちを傷つけると言うのであれば、わたくしは戦います。みなさんの目的であるフォルータへ向かうことを邪魔するのならばわたくしがその障害を全て払ってみせますわ」
『ドルテお嬢ちゃんだけに業を背負わせるつもりはねえぜ。そのときは俺っちも全力出させてもらうからなっ。今度こそ俺っちは魔族を守り抜いてみせるぜ!』
意気込む魔剣タルタロスを微笑み見たドルテは両手で前髪をかき上げ真っ赤に光る瞳を夜空に向ける。
(セシリアお姉様は魔族を討つことのできる唯一の人間であり、人々の希望であるとお聞きしています。ペンティスカで人々が口々に、聖女セシリアがわたくしたち魔族を必ず討つと言われました。三天皇のみなさんも危険だとおっしゃっていますが、わたくしの前に立ちはだかるのでしょうか?
でも命のやり取りを望まないとおっしゃったと言う報告も受けています。どちらがセシリアお姉様の本当のお姿なのでしょう? もう一度お会いしてゆっくりお話ししてみたいですわ)
赤い瞳に金色の月を映し、ドルテはセシリアのことを思う。




