第138話 赤い瞳の女の子のお願い
「ミギニイク。ドラゴン? イル……ドラゴン、ソンザイスル?」
片言で石碑を翻訳していくニャオトが、隣で地面になにか埋まっていないかハケで土を取り除きながら確認している同僚に尋ねる。
「ドラゴンですか? サトゥルノ大陸には昔からフレイムドラゴンが存在していると言われています」
そう言って全体的に丸っこい体の同僚の男が立ち上がると、膝の土を払い遠くに見える大きな山を指さす。
「あそこに見えるフォティア火山に住んでいるとされています。住んでいるのは確かなんですけど僕は見たことはありませんね。まあ、あの険しい山を登るとなると大変ですからね」
同僚の男の説明を感心しながら聞くニャオトは遥か遠くに見えるフォティア火山を見て呟く。
「ドラゴンカァ。サスガ、イセカイダゼ」
異世界におけるお約束みたいなドラゴンの存在を感じることが出来て、ちょっとワクワクするニャオトの後ろから突然声が掛けられる。
「おじ様方は何をされているのですか?」
慌てて振り返ったニャオトの前には、黒いドレスに映える金色の髪を後ろで束ね、日光の下でも赤く鮮やかに輝く瞳の少女が真っ黒な鞘に入った剣を両手に抱き不思議そうにニャオトを見上げていた。
「エ、エット……」
「お仕事中に突然話し掛けて申し訳ございません。わたくしドルテと申します。この辺りに来たのが初めてでして、すごく綺麗な景色だと思いましてお散歩してたらおじ様たちを見かけたので気になったのですわ」
ニャオトは自分が言えた立場ではないかもしれないと思いながらも、ドルテにどこか世間知らずな感じを受けてしまう。
そして同時に黒い鞘の剣を抱きかかえる姿といい、素直そうな目といいどこかセシリアの面影を重ねてしまう。
「ニャオトデス、コッチハナカマノ、フィルマン」
ニャオトに紹介され同僚の男、フィルマンも頭を下げる。
「ボクラハ、コノセキヒヲ、ヨムノガシゴト」
「まあ、ニャオト様はこの石碑の文字が読めますの?」
石碑を指さすニャオトの説明を聞いた途端、嬉しそうにドルテが手を打ちパンと音を立てるとニャオトのもとに詰め寄って来る。
雰囲気こそセシリアに似ていると感じたが、近くで見るとまた違う彼女の持つ可愛らしさに気づきニャオトの胸が高鳴ってしまう。
「でしたら、これなんか読めたりしますか?」
ドルテが指をパチンと鳴らすと空中で闇の球体が現れそして解けると、ドルテの手に一冊の本が握られる。
「エット……『サレヅマノアイゾウイリマジリシギアイナリテ……」
「まあまあ! 本当に読めますのね! わたくしも独学で遊戯語を翻訳しようと思っても複雑な形が多すぎて、とくにこの線の多い文字は全くどう読んでいいのか分からなくて困ってましたの。前後の文脈に関係なく現れパターンもありません困った文字ですもの」
漢字を指差し苦労を語ったあと、本当に良かったぁと胸を撫で下ろすドルテがニャオトの手を取る。
「よろしければこの本を読んで頂けませんか? 小さな文字が並ぶこの本に何が書いてあるのか気になってましたの。そもそもサレヅマとはなんですの?」
「ア、イヤ……」
タイトルから不倫された妻の愛憎劇がもたらすドロドロした世界で起こる人間関係がもららす、悲劇へと向かう小説であろうと予測できる。それを目を輝かせて読み聞かせて欲しいと自分の手を握って願う純粋そうな少女に迫られ、ニャオトはタジタジとなってしまう。
「コ、コレハ、オトナノレンアイ。シカモ、ムズカシイ、レンアイノカタチ。ボクモ、ケイケンナイカラ、ウマクヨメナイ」
「まぁ! 難しい恋愛なのですのね。文字が読めれば内容が理解できると言うわけでもない、そう言うことなのですわね」
理解力のあるドルテの言葉にニャオトは激しく頷いて同意し、小説の朗読をすることを全力で避けようとする。
「それにしてもニャオト様は、このような難しい文字も読んでしまえるなんてとてもすごい方なのですわね。名のある学者様なのでしょうか」
「ア、イヤ、ソノボク、ユウギビトダカラ、ヨメルダケ」
尊敬の眼差しで見てくる純粋な視線に耐えかね、ただの人間だと照れながらアピールするニャオトだが、ドルテは目をまん丸くして驚きの表情を見せる。
「ちょっとお待ちになって下さいね。ニャオト様は、遊技人なのですわよね。つまり……全ての遊技語が読めると言うことですわ。それにこちらの言葉も分かるようですし」
ドルテは喜びが抑えきれないと言った感じでほんのり赤くなった両頬に手を当て、ソワソワと歩きながら剣に向かって独り言を呟く。
「ニャオト様、一つお尋ねいたします。もとの世界のお名前は?」
「モトノセカイ? ニホン?」
ニャオトが答えた瞬間、ドルテが飛びついて抱きついてくる。
「ナ、ナニ!?」
「今日はなんて素敵な日なのでしょう! やはり城に引きこもってばかりでは道は開けませんわ。ニャオト様!」
「エッ、ア、ハイ」
ドルテに抱きつかれ耳まで真っ赤にして照れるニャオトは、下から見上げてくるドルテを見て悶絶する。
「わたくしが今お借りしているお城に遊技語で書かれた文献が沢山あって困ってましたの。是非ニャオト様に来ていただき翻訳をお願いしたいのですわ!」
「タクサン?」
「ええ、三カ国から集めたので沢山ありますの」
赤い瞳をキラキラさせ見つめてくるドルテに、頬を赤くしながらニャオトは頷く。
「ワカッタ、ホンヤクニイクカラ、スコシマッテテ」
「ありがとうございます! わたくしも用事を済ませないといけませんから少しお待ちいただけますか? あとで迎えに行きますから、そうですわ!」
何かを思いついたといった感じのドルテはニャオトの首筋に手を伸ばし服の襟を掴むと、一瞬だけバチッと黒い雷が弾けニャオトは音にビックリして思わず身を反らしてしまう。
「目印をつけておきましたわ。それではニャオト様、またあとでお会いいたしましょう」
ニャオトから離れたドルテは満面の笑顔でお辞儀をすると、その場を走り去ってしまう。
頭を下げ返すニャオトの隣でフィルマンが不服そうな顔で話し掛けてくる。
「なんで、ニャオトさんだけそんなにモテるんですか。僕だってちょっとは遊技語読めるのにいぃぃ」
悔しそうに地団駄を踏むフィルマンの横でニャオトは、ドルテの向かった先を見つめる。
(少し待っての、少しの意味が微妙に違う気がする。でもセシリアに説明すれば分かってくれるだろうし、ドルテが帰って来たら話してみようかな)
セシリアと一緒に旅に出て、セシリアが小まめに顔を出して会えるが、彼女は忙しい身ゆえに長く話せないことが多い。
セシリアと話す理由ができたと、ニャオトの顔は自然とほころぶのである。