第129話 聖女を我が物に
プレーヌ平原を約四日間かけ抜けたセシリア一行は王都プレーヌへとたどり着く。
「かなり気合が入ってますね。セシリア様を一目見ようと言うよりは国を挙げて歓迎しているのが伝わってきます」
「ファディクトの対応が冷たかったからなおさら大歓迎って感じちゃうわね」
ラベリとアメリーが言うように王都内へ入る前から、楽器を持った軍楽隊の列に迎えられ「ようこそ聖女セシリア様!!」の垂れ幕をくぐってきたのだ。王都内に入っても歓迎っぷりは治まるどころか国民も混ざり、声援と紙吹雪が舞いそれらを音楽が彩り、より一層の賑やかさを演出する。
人から受ける声援に内心落ち着かないセシリアであるが、手を振って声援に応える姿はここまでの経験が生きており、堂々としたものである。
やがてプレーヌ城へ着くと護衛として軍隊長ボルニアとロックなど兵数人、そしてミルコたち冒険者数名がセシリアに付き添う。
城の門を潜り庭園を抜けなかへ招かれると、玄関ホールにずらりと並んだ軍楽隊がセシリアの登場に合わせ演奏を始める。
そして軍楽隊の中央にいる、セシリアよりも背の低いふくよかで人の良さそうな笑みを浮かべる立派な服を来たお爺さんとお婆さんが立っていた。
「ようこそ我が国プレーヌへ! 聖女セシリアの到着を今か今かと待っておった。おお、そうだそうだ、名乗るのを忘れておったわ。わしがプレーヌの国王、レクトンである。そしてこちらが我妻キャレである」
「こんにちは、あなたが聖女セシリアなのね。とても綺麗な娘さんね」
まさか国王と女王が揃って玄関ホールに迎えに来るとは思っていなかったセシリアは度肝を抜かれるが、表面上は冷静を装い微笑むと華麗に挨拶をしてみせる。
「私のためにこのような歓迎をしていただき、至極光栄です」
「まあまあ、可愛らしいこと! あなたもそう思いませんこと?」
スカートを摘まんで挨拶するセシリアを見てキャレ女王が手を叩いて喜び、王であるレクトンに同意を求める。レクトン王も満面の笑みで頷いてセシリアを褒め称える。
「さてさて、こんなところで立ち話もなんだ。奥の部屋に食事を用意しておる。我が国の名産品を使った絶品の料理たちだ。きっと聖女セシリアも気に入るだろうて」
「ささ、おいでなさい」
突然の食事会のお誘いに加え、キャレ女王がセシリアの手を引き案内を始めようとする。
「申し訳ございません、お食事のお誘いは嬉しいのですが、事前にお伝えしていた通り私たちはプレーヌ王国にある遊戯語で書かれた文献や碑などを探しているのですが」
「あぁ、あるにはある。だがまあ後でいいではないか。それよりもわしらの親睦を深めようぞ」
「そうよ。文献や碑はどこにも逃げないけど、お食事は時間が経ったら冷めてしまうのよ」
急かす二人に引っ張られるセシリアもだが、突然の出来事に本人以上に周りの護衛たちも慌ててついて行くことになる。
***
セシリアが案内された豪華な食堂には、真っ白なテーブルクロスが敷かれた円卓のテーブルが置かれ、その上には多種多様な食事が所狭しと並んでいた。
料理から立ち昇る温かな湯気はゆっくりと漂い、その食欲をそそる薫りがセシリアの鼻に抜けると、セシリアのお腹が小さく鳴いてしまう。
その音が聞こえたかは定かではないが、セシリアはキャレ女王に半ば強引に手を引かれ椅子に座らされてしまう。
「どれも美味しそうでしょう? プレーヌは大昔フォティア火山が噴火して出来た平原なのよ。噴火は破壊をもたらしたけど同時に豊かな土地も与えてくれ、こうして彩り豊かな作物を恵んでくれるの」
いつの間にか隣に座っていたキャレ女王の説明を聞きながらセシリアは、今まで見てきたどの料理よりも色とりどり豊な野菜や肉が使われていることに気づきキャレ女王の説明に納得する。
「息子はまだか?」
「はっ、もう少しでおいでになります」
料理を見ていたセシリアの耳にレクトン王と配下のやり取りが入ってくるが、それを遮るようにキャレ女王がフォークで黄色の丸い野菜を刺してセシリアの口元へ持ってくる。
「エルブったら聖女セシリアに会えるっておめかしするのに時間が掛かってるのね。ごめんなさいね、先きに食べちゃいましょう。ほら、このドルの実はね甘くてほっぺた落ちちゃうのよ」
「あ、いえ……」
口元に差し出された黄色の実を見て困るセシリアに、後ろに控えていた軍隊長であるボルニアが割って入る。
「キャレ女王陛下、申し訳ございませんがセシリア様が食べる前に一度係りの者が口にする決まりとなっていますので」
「なによ、私が毒を盛るとでも言いたいのかしら?」
「いえ、決してそのようなことではなく、土地が変わり水が変われば体に合わないこともあります。アイガイオン王国で食べたことのない食べ物がセシリア様のお体に合わない可能性もありますので」
「なによ失礼しちゃうわね」
ボルニアとのやり取りにご立腹なキャレ女王が乱暴に刺してあったドルの実を自身の口へ放り込む。
「ほら、なんともないじゃないの。ドルの実は美味しいだけじゃなくて美容と健康にもいいの。おかげで私なんか風邪も引いたことないのよ」
そしゃくしながら文句を言うキャレ女王は、再びセシリアにドルの実を差し出してくる。その行為になにか言おうとしたボルニアにセシリアが無言で首を横に振る。
言いかけた言葉を飲み込んで苦虫をかみ潰したような表情を見せるボルニアが一歩下がると、セシリアはキャレ女王の差し出したドルの実を口に入れる。
「ええ、本当に甘くておいしいです」
左手で頬を押え満面の笑みで感想を言うセシリアを見て、キャレ女王も表情を緩め嬉しそうに笑う。
「ねえ甘いでしょう。これ実はお城の庭園で育ててるのよ」
「これ、あまり聖女セシリアを困らせるでない。自分が育てていて食べて欲しいのは分かるがな」
眉を下げ、困ったヤツだとレクトン王がキャレ女王を叱ると、キャレ女王は口元を押え笑う。
「ほほほっ、ごめんなさい。私ね、ドルの実がなるオレイエって植物にお水をあげたり、出来た実を摘み取ったりしてるのよ。だからどうしてもセシリアに食べて欲しくてつい強引になってしまったの。ごめんなさいねぇ」
「いいえ、初めて食べましたがドルの実がこんなにも甘いのはキャレ女王の愛情がこもっているからなのですね」
それは育てていると言えるのか? そんな疑問を持ちつつもセシリアは笑顔を崩さずに褒めると、キャレ女王は手で空をパタパタと仰ぎながら嬉しそうに笑う。
和やかな空気が流れ始めたとき食堂の入り口が騒がしくなったかと思うと、喧騒を引き連れてやってきた一人の青年がセシリアの前で足を止める。
「遅れて申し訳ございません。聖女セシリア、わたくしプレーヌ王国第一王子、エルブと申します。以後お見知りおきを!」
そういうが否やエルブ王子はひざまずきセシリアの右手を取って掲げる。
「なんと美しいのでしょう! 聖女セシリアにお会いできる日をどんなに夢見たことか。あぁ、今でもこうしてお会いできたのが夢のようです」
エルブ王子の見せるオーバーリアクション気味な言動に、やや笑顔を引きつらせながらもセシリアは、掲げられた右手をさりげなく下ろしつつ手を引き離す。
「初めましてセシリア・ミルワードと申します。お褒めいただき光栄です」
「おお、なんと美しい声でしょう! 日々の疲れも癒すその声を聞いてこうして出会えたこと偶然ではないと確信いたしました。ええ、間違いありません!」
面倒くさい人だとうんざりするセシリアと、まだ何か言っているエルブ王子の間にレクトン王が手を叩き割り込んで来る。
「エルブ、先ずは席に座るのだ。聖女セシリアは長旅で疲れておるのだ。食事を楽しもうではないか」
レクトン王の言葉を受けオーバーリアクション気味にエルブが頭を押え首を横に振る。
「これはわたくしとしたことが、聖女セシリアの美しさに見惚れて席に座るのを忘れておりました」
「もぅ、エルブったらうっかりさんなんですから」
わはははと笑う三人に、今のは笑うところなのかと驚き目を丸くするセシリアの隣にエルブ王子が座る。
(ん? なんで私はキャレ女王とエルブ王子に挟まれてるんだろ?)
セシリアの右にエルブ王子、左にキャレ女王が座り三人が並んで、中央に座るレクトン王と対面する形になっている。
「そうそう、さっき私が作ったドルの実が入ったサラダを食べてもらったらセシリアに、私の愛情がたっぷりだって褒めてもらったのよ」
「お母さまの作る野菜はどれも絶品ですからね。そうだ、あれはないのですか? わたくしの好物である、ミールの実が入ったパンです」
自分を挟んで親子の会話が交わされ、居心地の悪さを感じてしまうセシリアの左でキャレ女王が手をパンっと叩く。
「そう言うと思って用意してるのよ。どうせなら出来たてがいいと思って焼かせてるの」
「さすがお母さま! ミール入りのパンを是非セシリアにも食べてもらいたいですからね」
「ええ、直ぐに持って来させるわね。だれか、焼きたてのパンを持ってきて頂戴」
キャレ女王がテーブルに置いてあるベルを手に取るとせわしなく鳴らす。ほどなくして運ばれてきたパンは香ばしそうな香りを漂わせながらセシリアの目の前に置かれる。
同時に今度はとばかりにボルニアが身を乗り出すと、キャレ女王がうっとうしそうに見つつパンの載せられた皿を手に取る。
「まあまあ、お母さま。彼らも仕事なのですからそう邪険になさらずとも良いではないですか」
「お心遣い感謝いたします」
エルブ王子になだめられたキャレ女王がしぶしぶ皿を差し出すと、毒味係の兵がパンを手に取り見た目や匂いを観察したあと口にする。独特の緊張感が支配する時間が流れたあと食べた兵は頷く。
「問題ありません」
ボルニアも頷き、セシリアの前にパンが戻される。それを手にとりちぎって口へ運ぶ一連の動作をキャレ女王とエルブ王子がじっと見てくるのを、セシリアは食べづらいなと思いながらパンを口にする。
「あ、美味しい。パンはふわっとしてて、そこにミールの実のカリッとした歯ごたえが合わさって噛めば噛むほど香ばしいです」
「まぁ、そんな風に言ってもらえるなんて嬉しいわ」
「ええ、わたくしもミールのパンは大好物ですから、聖女セシリアが気に入ってもらえたのなら嬉しいです」
セシリアの評価にキャレ女王たちが手を叩いて喜ぶ。
「さてさて、親睦も深まったところで、聖女セシリアが求めている遊戯語の文献についてだが」
レクトン王の言葉に、やっと本題に入れたとホッとしたセシリアはレクトン王の方へ体を向ける。
「文献については集めさせたものを専用の閲覧室を用意し準備しておる。その他動かせないものについては案内を付けるとしよう」
「おもてなしをしていただけただけでなく、細やかな配慮、誠にありがとうございます」
「いいや、礼には及ばん。それよりも妻も言っておったがこのプレーヌはフォティア火山の噴火でできたものでな、この広い平原は人と魔族の激しい──」
レクトン王の話が始まる。長くなりそうだなと思いながらも各国の歴史に興味があるセシリアは頷きながら聞いていると、一瞬視界が揺れる。
(あれ? なんか、ふわふわする……)
自分の頭が支えきれないほど重く感じ歪み始める視界に思わずテーブルに手を付き、倒れそうになるのを防ぐ。
ぼんやりし始める視界と遠くなる周囲の慌てる声のなか、耳のすぐ近くでエルブ王子の声が聞こえてくる。
「とりあえず安静にさせましょう。聖女セシリアはわたくしがお連れしますから安心してください」
「そんな困ります。セシリア様は私たちが介抱いたします」
セシリアは自分がエルブ王子に抱きかかえられてて、ボルニアたちが訴えるのをレクトン王やキャレ女王が遮り強引にどこかへ連れて行かれる一連の流れは、ぼんやりとした意識の中でなんとなく理解できた。
セシリアはどこか分からない部屋に連れて行かれベッドに寝かされると、大きく軋むベッドに体を揺らされたあと、自分すぐ上にいるエルブ王子を瞳に映す。
「ようやく聖女セシリアにこうして触れることが出来た」
エルブ王子はセシリアの頬を撫でると、続いて髪を摘まんで愛おしそうに指の間に這わせる。
抵抗しようと手を伸ばそうとするが、体が思うように動かないセシリアは段々重くなっていくまぶたを閉じまいと必死に抗う。
「ドルの実とミールの実はどちらも毒はありませんが、一緒に食べるとどうしようもなく眠くなってしまうんですよ。さて、聖女セシリア、いえセシリア。わたくしはあなたを一目見たときから自分の物にしようと決めていました。どの国からも誰からの求婚も断り、落とせないことで有名な聖女でもこうして既成事実を作ってしまえば逃げられないでしょう。大丈夫ですよ優しくしますから」
やらしい笑みを浮かべるエルブ王子に両手を押えらえ動けないセシリアは、抵抗する気力よりも眠気のほうが勝り、自分の意思とは裏腹に勝手に落ちていくまぶたに合わせて狭まっていく世界と薄れゆく意識のなか、いつも胸元にいる聖剣シャルルの存在を探す。
(あぁ……シャルルとグランツ置いて来た……アトラ……)