第102話 すれ違う上司の優しさと部下のやる気
さんさんと降り注ぐ日の光を初めて見たときの感動は今でも忘れない。
その感動を思い出しドキドキする小さな胸を押えた少女は、目を輝かせてカーテンに手を掛けるとそーっと開く。
カーテンの隙間から漏れた光は額に生えた一本の角の先端を輝かせ、赤い髪を艶やかに輝かせる。ちょっと尖った耳、背中に生えた小さな羽と腰の下から伸びた小さな尻尾をパタパタさせ、抑えきれない感情を叫びたいのを我慢しているのかニヤケた顔の口が波打っている。
ひとしきり日の光を満喫したあと後ろを振り返ると、薄暗い部屋で眠っている少女と同じ赤髪の女性を見て少女はため息をつく。
「まったくお姉ちゃんはだらしないんだから」
ベッドで眠る姉を起こすため少女はカーテンを開け日の光を部屋に取り込んで姉の顔面に直撃させる。
「う、うーん」
顔をしかめる姉の耳元で少女は大きく息を吸うと叫ぶ。
「お姉ちゃん起きてくださーい!!」
「うわわわっ!!??」
赤髪の女性が飛び起き、驚きのあまりベッドから転げ落ちる。
「び、びっくりしたぁ~。イーリオあんまり大きな声を出さないでくれないか」
落ちた女性が目を丸くしたままベッドに手を掛け腕を組んでて仁王立ちする少女を見る。
「まったくお姉ちゃん。それでも魔王様直属の部下で魔王軍を束ねる三天皇の一人『劫火』のメッルウなの! もっとピシッとしないと」
「うっ、で、でもイーリオと二人っきりのときくらいちょっと気を抜いてもいいではないか」
「それは構わないけど、今日は魔王様への報告の日じゃないの?」
「えっ? まじ?」
「まじ」
メッルウとイーリオが見つめ合うこと数秒。
「ま、まずい! 早く着替えねば!」
「あぁ~もう寝ぐせついてる! 靴はこっち! そっちのタンスは普段着だから、もう用意するから早く朝ごはん食べて!」
「す、すまないっ」
慌ててバタバタするメッルウに対して、イーリオがテキパキと動き出掛ける準備を済ませていくとドアの前まで送り出す。
「忘れ物ない?」
「ああ、大丈夫だ」
「じゃあいってらっしゃい」
「いってきます」
メッルウが羽を広げ飛び立つのを手を振って見送ったイーリオは、メッルウの姿が見えなくなったあと手を下ろすと自分の小さな羽をパタパタと動かしてみる。
「私もお姉ちゃんみたいに飛べたらなぁ」
しばらく空を見上げていたイーリオだったがふと笑う。
「さて、お部屋の掃除でもしようっと!」
ぴょんと跳ねるとイーリオは家の中へと戻っていく。
***
最北端の国グラシアールからやや南東へ進むと着く国の名はファーゴ。グラシアールほどではないが寒い地方のこの国は、漁業と牛に似た動物バッシーから取れる乳とその加工品が盛んである。
ファーゴは大昔にあった人と魔族の戦いの場にもならず、関わりの少ない国であったことから武力をあまり持たない。それゆえ、魔王の突然の進軍に成す術もなくあっさりと国を落とされることとなる。
ただ、魔王本人は進軍するために一時的に場所を提供してもらっているつもりである。とは言っても城の中にファーゴの王を住まわせつつ、王座の間に魔王が座っていれば幽閉された王と城を乗っ取った魔王にしか見えないが。
「メッルウさん、遅かったですね?」
どす黒い魔力が充満する王座の間で地の底から響く声に当てられ、ひざまずくメッルウが体を震わせる。
「よく眠れましたか?」
「は、は……い」
謝る前に寝坊したことを見抜かれたメッルウは汗が止まらなくなる。
「よく眠れたって顔してますもの。疲れは取れました?」
「も、申し訳ございません!!」
急いで謝らないといけないと強引に会話を切って頭を床に擦りつける。
「なんで謝っているのです? わがはい怒ってませんよ?」
不思議そうに尋ねる魔王だが、地の底から響く圧をふんだんに含んだ声で言われたら、それはただの脅し言葉にしか聞こえない。
「メッルウさん、体の方は大丈夫でしょうか? なんでもビーナの蜜をかけられベトベトになって帰って来たらしいじゃないですか」
「ぐっ、無様な姿をさらしてしまい、本当に申し訳ございません!!」
怒ってないのに謝り続けるメッルウに魔王は困ったなと「んー」と声を出して悩むが、メッルウには呆れてものも言えぬ魔王の唸る声にしか聞こえない。
「ところでメッルウさん、あなたは大陸中を飛び回り何をしているのです?」
実は現魔王であるドルテは三天皇が以前から行っている行動の意味を完全に理解できていなかったりする。
計画書なるものはあるが、前魔王が直接命じたことについては細かく記載されていない。特にメッルウは大陸を飛び回って人や魔物にちょっかいを掛けてくるその意味がよく分かっていないところがあった。
それゆえの純粋な質問なのだが、メッルウには「お前自分の任務忘れてねえだろうな、ああん?」としか聞こえない。
「我らが故郷の地フォルータへの道を探すために『遊戯語』を見つけ出すこと、人間によってへき地へと追いやられた魔物たちの開放。そして人間どもを支配するため、混乱をもたらすことです!」
自分の任務を声に出すメッルウを、魔王はじっと真っ赤に光る目で見つめている。
「魔物たちはもとの場所へ帰ることを望んでいるのですか?」
「はい! 魔物たちをもとの場所へ帰すことそれは魔物の調和を司るべき魔族としての役目だと魔王様より受け賜っておりますこと、このメッルウ忘れてはおりません!」
魔王はメッルウを見つめしばらく思考したあと、魔剣タルタロスを握り締める。
「メッルウさんは仕事が多いですね。人に混乱をもたらすこと、これをやめましょう」
「え……」
突然の任務解除にメッルウはちょっと涙目になってしまう。
「まだ負担が多いですか?」
「い、いいえ! 必ずや魔王様のご期待時お応え出来るよう全身全霊で任務にあたります! 早速本日より南下し魔物たちの開放へとあたります!」
これ以上任務を減らされ評価も下げられてはたまらないと、メッルウは必死に魔王に訴え掛ける。
「んー、そんなに気負わなくてもいいんですけど」
必死に懇願するメッルウを見てそう呟く魔王は、いいことを思いついたと手を叩く。
ドルテは軽く叩いたつもりだが、魔王が手を叩けばそれは凄まじい音が響き、周囲を威圧する行為となる。
「メッルウさん、今日から一週間お休みしてください。朝も起きれないくらい疲れているんですから、ゆっくりと休養を取ってください」
魔王に威圧され、驚いて丸くなったメッルウの目に涙が溜まる。
「は、はい……」
完全に終わったと、自分への魔王様からの信頼は地の底だとメッルウは涙目になってしまう。
「皆さん働き過ぎなんです。これからはちゃんと休養を取らせましょう。我ながら名案です!」
『いや、姉ちゃん。あのメッルウって子落ち込んでねえか?』
日頃頑張っている部下に休んでもらおうと名案を思い付きウキウキのドルテの頭に魔剣タルタロスの声が響く。
ドルテに合わせ首を傾げた魔王がメッルウを見下ろす。
「メッルウさん」
「はい!」
「早く帰って寝てくださいね」
魔王に声を掛けられ、最後のチャンスだと意気込んだ瞬間「早く帰って寝てろ、役立たずめ」と言われたと受け取ったメッルウは返事をしてその場から逃げるように帰って行く。
「ふー、メッルウさんはすぐに遠慮するんですから」
『あ〜可哀想に。言葉ってなかなか通じ合わねえもんだな』
やりきった表情のドルテの頭のなかで、何かを悟ったような魔剣タルタロスの呟きが響く。




