第97話 ベトベトのネコちゃんファイト
蜜人間たちが蜜爆弾を喰らう度に悲惨な状況になっていくが、構わずセシリアは聖剣シャルルに力を溜めていく。
ボスオグマァはツボからビーナの蜜を補給すると口の中で魔力と一緒に圧縮し、球体にして吐き出す。
これはボスオグマァだけのオリジナル技であり、攻撃性よりも相手を拘束して攻撃や逃走に使うものである。
攻守共に優れるこの技に絶対的自信を持っていたボスオグマァだが、今回の相手は何かがおかしい。
ベトベトしたまま動き回り自ら蜜爆弾へ当たっていく異常な行動に言いしれぬ恐怖を感じていた。
そして恐怖が先行し、蜜爆弾を作ることに集中したために四人の蜜人間たちが徐々に近づいていることに気づくのが遅れる。
蜜人間三号と四号が左右同時に飛びかかるとボスオグマァにしがみつく。続いて一、二号も足に飛びつく。
蜜人間たちがたっぷりと浴びた蜜を垂らししがみつくことで、奇しくも自らの技に囚われる形となったボスオグマァは振りほどこうともがくが、濃厚蜜はボスオグマァにまとわりつき離さない。
『太刀筋は我がコントロールする。近づいて思いっ切り斜めに振り下ろすのだ』
「分かった。アトラ、グランツお願い」
『任せるのじゃ』
『お任せを』
セシリアが背中の翼を広げ地面の影に乗り地面を滑って移動する。
周囲には飛んでいるように見えるが実際はアトラがセシリアを持ち上げて運び、グランツがバランスを取っていると言う、優雅さとは裏腹にアトラへの負担が大きな移動方法である。
翼を広げ飛んできたセシリアが、振り上げた聖剣シャルルをボスオグマァに振り下ろす。ボスオグマァは手の甲に装備した鉄の板をかざし防御を試みるが、それも虚しく紫の閃光が光の軌跡を引くとボスオグマァは静かに倒れる。
倒れたボスオグマァ周りを蜜人間たちが跳ねて喜ぶ。そんな四人を横目にセシリアの頭の中にグランツの声が響く。
『ボスオグマァが倒れたことでオグマァたちの群れに混乱が生じているようです。そして上から本命が来ます』
セシリアが上を向くと、赤い翼を広げ上空から降りてくる竜人の女性、メッルウの姿があった。
「忌々しい聖女セシリアよ。なぜおまえはあたしの邪魔をする」
「その言葉、そっくりお返しいたします」
「ふん、しらばっくれるか。先回りしてこっちの邪魔をするのもまた聖女の力というわけだな。本当に憎たらしいヤツだ」
セシリアは別に邪魔をしに来たわけでも先回りをしたわけでもなく、むしろ自分の行く先々に現れるメッルウの方が邪魔だから言い返しただけである。なのに聖女の力のせいにされてしまったことに、この人も自分のことをなんだか凄い人だと勘違いするのかと呆れる。
「まあいい、お前をここで倒せば問題は全て解決するわけだ。オルダーの借りも返したいしむしろ好都合」
メッルウが右手を振るうと手に炎が巻き付き剣の形を作る。
『セシリアよ。あの剣の形状に気をつけろ。昔あの手の輩と戦ったことがある』
「頑張って気をつける」
目が合った瞬間互いに翼を広げ地面を蹴って、一直線に飛ぶと剣と剣をぶつける。
紫の光の粒と炎の欠片が大きく散ったのを皮切りに、互いが地面スレスレを浮いたまま剣をぶつけ合い空中に紫と赤の光を何度も弾かせる。
それらは花火のようで、幾度も空中に咲く光の花にボスオグマァに引っ付いて動けなくなった蜜人間たちも見惚れてしまう。
『セシリア、頭を下げるのじゃ!』
アトラの声と同時に影がセシリアの頭を押し無理矢理下げると、セシリアの頭上を炎の刃が通り過ぎる。
グランツが翼でバランスを取りつつ、アトラが前のめりになった地面に倒れるセシリアをすくい上げつつ、体を回転させ背中を地面に向けさせるとセシリアはそのまま聖剣シャルルを真上に向かって振る。
「ちいいっ!」
メッルウの顔面を捉えた聖剣シャルルの剣先を炎の盾が受け止めるが、メッルウもまさか反撃が来るとは予想していなかったのか、無理に受け止めたことで威力を殺しきれずに横へ大きく飛ばされてしまう。
翼を広げ空中で静止したメッルウが、炎の盾を崩し両手に炎を宿すと左手に弧を描く棒を、右手に直線の糸を作り合わせると弓の形を作りだし弦を引く。
本体と弦の間に一本の炎が矢が生まれ、セシリアに向けられた先端が激しく燃える。
弦を離すと一直線に炎の矢が放たれるが、セシリアが聖剣シャルルで弾く。
矢が散ったとき、両手それぞれに炎の剣を持ったメッルウが飛び込んで来る。
「なっ!?」
奇襲をかけた方のメッルウが目の前に飛んできた聖剣シャルルの鞘に声を上げてしまう。慌てて空中で急ブレーキを掛けるメッルウの更に上に飛んだセシリアが聖剣シャルルを振り降ろす。
両手に持った剣を交差させ受け止めたメッルウだが、上空から落ちて来たセシリアの勢いに負け吹き飛ばされてしまい、体で地面を削りながら転がり飛んでいく。
メッルウは手で地面を掴みブレーキを掛けつつ翼を広げ、手を軸にして体を反転させると足を地面につけ素早く立つ。
「さすがにやるじゃないか。あのオルダーが手こずるのも納得だ」
口元を拭うメッルウがセシリアをにらみつつも笑みを浮かべる。戦いを楽しんでいる様子もあるメッルウに対してセシリアは泣きたい気持ちを必死に押さえ聖剣シャルルを構えていた。
「……ヤバい……限界近いんだけど」
呼吸が荒くならないように必死に息を吞みこみながら冷静を装うセシリアが呟く。
『なんとか時間稼ぎは出来た。ミルコが動けそうだ』
メッルウから目を離さないようにしながら視界の横で、ボスオグマァから無理矢理体を剥がしたミルコが立ち上がるのが見える。
蜜まみれのミルコでいつもの実力は出せないかもしれないが、これ以上メッルウと一騎打ちするのは厳しいセシリアとしては心強いものである。
だが先に動いたのはメッルウの方であり、セシリアに向かって炎の剣を振り下ろしてくるのでセシリアも聖剣シャルルで受け止める。
「うおおおおっ!!」
剣と剣をぶつけ合うセシリアとメッルウに向かってミルコが岩を抱え雄叫びを上げつつ走って向かってくる。
「なんだこの人間は? 邪魔だどけ!」
メッルウが左手にもう一本の炎の剣を生み出し投げ牽制するが、それを予測していたミルコが抱えていた岩を投げ炎の剣へぶつける。
このときのメッルウとミルコの思いはそれぞれ違うが、口から出た言葉は同じである。
「「バカめ!」」
岩などで受け止めれる炎の剣ではないとバカにしたメッルウの思惑通り炎の剣は岩に突き刺さり貫通していく。
だが、ミルコは砕かれることを承知で岩を投げており貫通する炎の剣により岩が破裂する。
岩が突然弾け黄色い液体を周囲にまき散らす。
「なんだこれは!?」
「引っ掛かったな! それはボスオグマァが持っていたビーナの蜜入のツボだ! これでお前は動きが取れないだろう」
蜜でベトベトになったメッルウを見たミルコがドヤ顔でセシリアを見る。
「私にまで蜜を掛けてどうするのです……」
蜜を頭から浴びてベトベトになったセシリアがミルコをにらむ。その殺気立った聖女の姿と、やっちまったと言う罪悪感からミルコは声を失い棒立ちになってしまう。
『うおお、ベトベトするぅ〜、ベトベトするせいで蜜まみれのセシリアがよく見えないぃ〜』
『羽がぁつつ!!』
セシリアの頭なかでは、もがく聖剣シャルルとグランツの声を頭に響くが、メッルウをにらむ。メッルウも頭から蜜を浴びてベトベトの手から炎が上手く出せないのか苛立った様子で手を振りながらセシリアをにらむ。
ベトベトの二人は重い足を引きずり向かい合うと、セシリアは足元に引っ付いて取れない聖剣シャルルを手放し二人同時に手と手を握り合い力比べをする、プロレスで言う手四つの状態でにらみ合う。
「ぐぬぬっ! ベトベトするのに触るんじゃないいいいっ!」
「うぬぬっ! あなたが先にやってきたのに文句を言われる筋合いはありませんんんっ!」
ベトベトする二人が引っ付いては引きはがしてよろけ、また引っ付いてのベトベトの争いを始める。
先程まで見せた華麗な空中戦から一転、ベトベト、ベチャベチャと腕を振るいもがくように戦う二人。
オグマァの群れをあらかた討伐しセシリアを助けるためにやって来た兵や冒険者たちも、二人のこの様子を見て足を止め呆然と見つめる。
美少女である聖女セシリアと美女であるメッルウが蜜まみれになって必死に戦う。髪や顔、手足に蜜が付きそれらが日の光に当たってキラキラと輝き、それを擦り付け合うようにべたべたと戦う女の戦い。
そんなベトベトな二人の戦いを見守るなか誰かがポツリと言う。
「なんかドキドキするな……」
その言葉を聞いたみなも思うところがあったのか頷く。
「このおっ!」
ベチャ!
「やったなぁ!」
ベチョ!
戦うというよりも、蜜を擦り付け合う二人が再び手四つの体制になったとき、ふと周囲の視線に気づき辺りを見回す。
蜜まみれの自分たちを、なんだかとても熱い視線で見つめる男たちに気づいたメッルウとセシリアが顔を赤くする。
特にメッルウはやや先が尖った耳の先まで真っ赤にして下を向く。
「くっ、聖女セシリアめ! この屈辱覚えているがいい!」
メッルウが顔を真っ赤にしたままセシリアをにらんで捨て台詞を吐くと、蜜まみれの翼を広げ必死に羽ばたくと、ヨロヨロと空中へ浮かび飛んで去って行く。
「はぁ〜。な、なんとかなった……」
セシリアは飛び立ったメッルウを見て大きく息を吐き膝をつく。そして駆け寄ってきた兵たちのなかにいたミルコをにらむ。
「ミルコ……後で覚えておきなさい」
「やっ……」
「や?」
「優しくお願いします!」
こいつはダメだと頭を抱えため息をつくセシリアに、気の効く兵が大きなマントを頭から被せてくれる。
お礼を言いつつ蜜まみれの聖剣シャルルとグランツを拾うと、帰りの馬車へ向かっていつもより重い足を引きずり歩き出すのである。