第八十七話 ごめんなさい
実にあっけない試合だった。
先輩は思っていたより強かったが、だからと言って俺に勝てるほどの実力に成長していたわけではない。
「負けたぁー」
尻もちをついたままの座った姿勢で、先輩はそう言った。
すると次々にギャラリーから笑い声が出てくる。
「陽太よわー」
「あれだけイキっててこの負け様はダサすぎだろ!」
「幻滅したんですけどー」
「相手がガチで強かったんだよ」
先輩は困ったような声を出しながら立ち上がり、俺を見た。
「完敗だわ。やっぱ中学の時は手抜いてたんだな」
「……すみません」
「はぁ、いけると思ったんだけどな。あの時のお前なら」
「……」
あの時のお前、か。
最後の試合に出場した時の話だろう。
確かにあの時のままなら負けていたかもしれない。
今日、俺はしっかり動けた。
それは守るべきものがあるという立場と、仲間からの励ましがあったからだ。
改めて痛感するが、バスケはチームスポーツ。
ワンマンでは心身ともに限界がある。
「くっそ! やべえむずむずする!」
宮永先輩は敗北の余韻が抜けないのか、頭を掻きむしって後方二階のギャラリーを見る。
「おい植木―!」
そこにはこの前勝手に試合を組まれそうになっていた、バスケ部キャプテンの男がいた。
「俺、バスケ部入るわ! 絶対こいつより強くなるから!」
「おう、こいこい。歓迎だぜ」
「千沙山もまた相手になれよ」
「普通にただの1on1ならいいですよ」
賭けるとしてもジュースくらいにしてほしいものだ。
毎回負けた時のデメリットがデカいと、流石にプレッシャーがかかるからな。
と、そんな会話をしているうちに場はお開きムードになってきた。
思ったより宮永先輩の対応がまともで、話もスムーズに済む。
最後は例の交換条件の確認をして、二度と凛子先輩に付き纏わないと宣言して捌けてもらおうか。
しかし口を開こうとした時、邪魔が入った。
「はぁー? 陽太、それはねーよ?」
出てきたのは例のアイツだった。
いつも通り長い前髪の黒髪マッシュ、竹原先輩である。
彼はニヤニヤしながら俺の横に立った。
「みんな知ってる? 今日の勝負って陽太の逆恨みだってこと」
「おい、お前何言っ――」
「陽太って、中学の時に千沙山君をいじめてて、それが原因で彼女にフラれたことあるんだって! で、その腹いせに今日はこんな勝負持ちかけてたんだよ!」
「……」
最低だこの男。
悔しさをこらえて珍しくスポーツマンらしく振舞っていた宮永先輩の顔から笑みが消えていく。
帰ろうとしていたギャラリーも何事かと聞き入る体勢に入った。
そんな周りの反応が彼の口を動かす。
「それなのに負けたら終了!? おもんなすぎだって。千沙山君に土下座したらどう?」
「殺すぞお前」
「皆もそう思わない?」
周囲を見渡して聞く竹原先輩。
と、そんな彼に一つの声が答えた。
「同じことしてたじゃん」
「……え?」
「好きな子に振り向いてもらえないからって、しゅー君に嫌がらせしてたのはあなたも同じですよね? えっと、竹何とか先輩」
声を上げたのは、俺のよく知る女だった。
ヘアピンで前髪を留めたおでこがチャームポイント。
悪意無さそうに、ただ純粋に竹原先輩に質問する未来だ。
相変わらずすごいタイミングで口を開く奴だが、今日に関しては最高だな。
騒動が面倒な方向へ転びそうになっていくので、俺は仕方なく口を開いた。
「竹原先輩、空気読みましょう」
「は?」
「宮永君は負けを認めてるんです。これ以上抉ってどうするんすか」
「でもオレは君のためを思って――」
「はぁ」
あんまり言いたくないんだけどな、人に恨まれるような事。
だが今日は別だ。
久々にイラっとした。
「竹原先輩、この前俺んちに嫌がらせに来ましたよね? その前もちょっかいかけようとしてたらしいですし。ずっと宮永先輩についていたのに、彼の立場が危うくなったら今度は俺の味方面っすか? そうやって勢いのある方に寝返りまくるの、マジキモいっすよ」
「そ、そこまで言わなくてもよくねー?」
「謝罪してください」
「え?」
「今までのこと、すみませんでしたって」
元々交換条件としてはあまり釣り合ってなかったからな。
なんで何も悪い事をしていない俺がコーチ辞任で、相手は嫌がらせをやめるだけなのか。
負ける気がしなかったので条件を飲んだが、正直それじゃおかしい。
この際、今までの嫌がらせを謝ってもらおう。
いっぱいギャラリーを集めてくれているし、全員に聞いてもらえばいいのだ。
「あ、あはは。僕は別に……」
「ほらさっさと土下座しなよ。自分で言ってたでしょ? っていうか、好きな子に嫌がらせとかマジないから」
苦笑して遠慮する凛子先輩を他所に、すぐにマネージャーの朝野先輩が促した。
やっぱり怖い。
仲間を傷つけられた時に出る、姉御モードを見るのは二回目だ。
ギャラリーも先ほどの寝返りは流石に胸糞悪かったのか、竹原先輩へ非難を集中させる。
特に女子の声が大きい。
やっぱり女子を敵に回すとロクな事にならないのだ。
耐えられず、膝をつく先輩。
「あの、すみませんでした……」
謝るなら初めからするな、とはよく言ったものだと思う。
呆れてため息しか出てこない。
と、そこでそれを眺めているだけの宮永先輩に姫希が言った。
「あんたも頭下げなさいよ。この前の言葉でどれだけ柊喜クンが傷ついてたと思ってるのかしら」
「……悪い」
「ちゃんとごめんなさいって言って下さいよ」
さらに催促したのはあきらだった。
多分、こいつは中学の時からずっと不満があったんだろうな。
「ごめんなさい」
「俺はいいです。謝るんなら部員にお願いします。この前下手くそだとか言ってましたよね? あと、二度とうちの部員にちょっかいかけないでください」
「……ごめんなさい」
困るのだ、こういう事をされると。
「かけがえのない仲間なんですよ、大切なんです。そんな人に、二度と迷惑かけるようなことしないでください。約束は守ってもらいますから」
「あぁ」
うちのバスケ部って五人しかいないからな。
一人でも欠けてしまうと試合すら出場できなくなってしまう。
マジでやめて欲しい。
切実な言葉で、場を締め括る。
しばらくしてギャラリーはゾロゾロ体育館を出て行き、先輩グループも姿を消した。
騒動は完全勝利で幕を下ろしたのである。




