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第四十五話 同衾

 チラッとスマホを見ると、時刻は既に午後十時を回っていた。

 普段ならあきらも自分の家に帰っているはずの時間だ。


 と、そこで俺は重大な問題に気づく。


「お前、どこで寝る気だ?」

「え? 布団とかないの?」

「あるけどしばらく洗ってない。とてもじゃないが今すぐに使える状態ではない」

「……」


 人が泊まりに来る事なんてまずないからな。

 来客用の布団は一応あるが、いつでも使えるよう清潔に保たれているわけではないのだ。

 父親の部屋にあるベッドも長く使われてないし、そもそもあの部屋にこいつを寝かせるのは抵抗がある。


 考え込んでいると、あきらは首を傾げてニヤニヤ笑いかけてきた。


「同じベッドで寝る?」

「……馬鹿かよ」

「昔は寝てたじゃん。それに柊喜のベッドはダブルでしょ? いけるいける」


 俺のベッドはシングルではなくダブルだ。

 体がデカいため、ある程度大きめのベッドの方がゆったり寝ることができる。

 全くもって誰かと一緒に寝る用途で購入したわけではない。


「でも俺達高校生だぞ?」

「ん? ……もしかして意識してる?」


 やけに挑発的だがどうしたんだこいつは。

 試すような顔で見つめてくるあきらの思考がいまいち読めない。

 何を考えているんだ。


「意識してない」

「じゃあいいじゃん」

「世間体があるだろ」

「毎日ご飯一緒に食べてるのに今更言う?」

「それは確かに」

「あははっ。冗談だよ。普通に暑苦しいし、そこら辺で勝手に寝てるから」


 うーんと伸びをするあきらは、そのまま立ち上がる。


「シャワー浴びてくるね」

「おう」


 あきらはごそごそバッグを漁り、ふと思い出したかのように振り返ってきた。


「一緒に浴びる?」

「浴びない」

「だよねー。じゃあね」


 一体何なんだ。

 あきらが脱衣所に入ったのを確認した後、一人頭を抱える。


 揶揄ってくるのはいつものことだが、流石に度が過ぎているというか。

 まるで凛子先輩の相手をしているかのようだ。


 急に泊まりたいだなんて意味の分からないことを言い始めたかと思えば、一緒に寝るだのシャワーを浴びるだの。

 まぁどうせ本気で言っているわけではない。

 真面目に相手をするだけ無駄である。




 ◇




「で、結局一緒に寝るんだ」

「……お前だけ適当な場所ってのも可哀想だから。それに夜にエアコン稼働してるのはこの部屋だけだし」

「優しいね。無理言ったのは私なのに」


 お互いベッドに寝転んでそんな事を言い合う。

 既に消灯し、暗い部屋の中で右腕に温もりを感じた。


「あはは、柊喜と一緒に寝るの久しぶり。なんか安心する」

「……」


 安心すると言われ、苦笑する。

 慣れ親しんだあきらの匂いや体温に、実は俺も若干の安心感を覚えていた。

 落ち着くと言うかなんと言うか。


「中学の頃は部活で時間会わなくて、最近までは色々あったからね」


 流石に彼女がいるのに幼馴染と二人きりのお泊りなんてしようとは思わなかった。

 恐らくあいつは『いいじゃん。楽しそー』くらいの反応しなかっただろうが、俺は恋人とはそれなりにけじめを持った関係を築きたかった。

 ……あいつが他の男とどういう関係性でいたかは知らないが。


「せっかく部活のコーチを任せてくれたのに、ぐちゃぐちゃにしてごめん」

「何言ってるの? 柊喜のおかげでみんな部活楽しめてるよ。ほら、姫希とか上手になってるしっ! もう私より全然上手いもん」

「まぁそうだな。自分のコーチングスキルに驚いてる」

「……もうちょっと『そんなことないよ?』とか言ってくれてもいいのに」

「はは。冗談だよ」


 体を起こしてあきらの顔を見た。

 彼女はじっと俺の顔を見つめていた。


「もうそろそろお前らにも個別メニューを考えねえと」

「私は何をやらされるの? 姫希には体べたべた触ってくるから気をつけろって言われてるけど」

「あいつ、明日の練習でぶっ潰れるまで筋トレさせてやる」


 なーにが合格だよ。

 裏で好き放題言いやがって。


「ねぇ柊喜」

「ん?」

「部活に勧誘する時、私が最後に言ったこと覚えてる?」

「あの、彼女できるかもってやつか?」

「そうそう」


 あきらは再びニヤニヤしながら聞いてくる。


「どう? みんないい子でしょ?」

「顔だけはな。顔だけは」

「えー、凛子先輩とか柊喜の好みのタイプじゃん? スタイル良くてお姉さんだし、髪短いし美人だし」

「部活はテキトー、急にキスしようとしてくる、そして何故かいつも揶揄ってくるロクでもない先輩の間違えだろ」

「素直じゃないな。じゃあ姫希は?」

「……あいつは」


 昨日のことを思い出した。

 教室で好きって言ってくれたり、その後の部活でも珍しく笑いながら頼りにしてるって言ってくれたり。

 正直めちゃくちゃ嬉しかった。

 その他にも今まで散々世話になったし、同じクラスな事もあって最近は接点も多かった。

 だけれども。


「ない。飯代がかかり過ぎる」

「……柊喜にとってはそこが重要なの?」

「当たり前だ」


 流石に毎回ご飯を食べに行くときに奢る気はないが、それでもかなり痛い。

 だってファミレスで一人毎回三千円だぞ?

 お高いレストランとか焼肉とかに行ったらどうなるかなんて火を見るよりも明らかだ。


「あと正直、しばらく彼女はいらない」

「なんで?」

「まだ傷心中なんだよ」

「新しい彼女に癒してもらえば? ほら、放置してたらいつかこの経験がトラウマになって、二度と恋愛できなくなるかも」

「恐ろしい話だな……」


 意外にも真面目な顔で言ってくるあきらから目を逸らしながら、俺は続けた。


「優しくしてくれる奴なら他にもいるし」

「あ、私?」

「……そこは嘘でも『誰?』って聞いて来いよ。これだから幼馴染は」

「あはは、ごめんねー」


 ふわぁとあくびを漏らし、あきらは布団をかぶる。

 寒いのだろうか。俺は暑いんだが。


「でも嬉しいな。そんな風に思ってくれてるなんて」

「……」


 しみじみと言われ、不意に正気に戻り、恥ずかしくなってきた。

 俺は何を言ってるんだ。

 馬鹿かよ。


「あー、そう言えば課題があるんだった。いっけねー忘れる所だったぜ」

「何の課題?」

「数学だ」

「ん? そんなのなくない?」

「うちのクラスはあるんだよ」

「数学のクラス分けって組関係ないじゃん?」

「あー、いや。うちの担任数学だから、臨時クエストが出てさ」

「ふーん」


 適当に誤魔化してベッドから出る。

 そのまま最低限の荷物を持って部屋を出ようとする俺に、あきらは訝し気に首を傾げた。


「どこ行くの?」

「下の部屋だよ」

「勉強机ここにあるのに?」

「お前が寝れないだろ。選手の睡眠時間を俺が潰してどうする。コーチ兼トレーナーだからな」

「……ふーん。じゃあ寝るね。おやすみ」

「おう、おやすみ」


 部屋を出て、一息つく。

 なんだか幼馴染と一緒に寝るという行為に耐えられなくなった。

 凛子先輩やら姫希やら、具体的な同級生を連想させられたことで、あきらを身内ではなく女子高生として認識してしまったのかもしれない。

 何はともあれ、居ても立っても居られなくなった。


 そして数学の課題なんて出ていない。


「ふぅ……」


 この晩、寝室に戻ることはなかった。

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