第二百二十三話 選ばれなかった女の子達
唯葉は帰り道、なんとなく凛子の隣を歩いていた。
理由を挙げるとするなら、一人でいたくなかったから。
そんな彼女の心情に気付いたのか、凛子は苦笑を漏らす。
「唯葉、駅過ぎてるけど」
「わっ、本当です」
「……寂しいの?」
「べ、別にそんな事はありませんよ? 確かにこんな事になって思うことはありますが、わたしには関係ない話なので」
「……そっか」
ぼーっと遠くを見ながら言う唯葉に、凛子は先程の事を思い出す。
ずっと好きだった柊喜が姫希に告白し、付き合い始めるらしい。
それは物凄く辛い事だった。
凛子にとって柊喜への想いは初恋だったし、当然だ。
思い切って凛子は唯葉に聞いた。
「うち来る? ちょっと汚いけど」
「いいんですか?」
「……僕も一人は嫌な気分なんだ」
「……そうですね」
苦笑してくる唯葉に、凛子も同じような笑みを返した。
なんとなく、唯葉が何を思っているのか、気付いてしまったから。
◇
「わー、めちゃくちゃだね」
「うるさいなぁ。やっぱり追い出すよ」
「そんな殺生な!」
凛子の部屋は普段より多少荒れていた。
化粧道具が放置されたテーブルに、お菓子のゴミなんかも放置されている。
部屋干しの下着も放置されたままだし、いつもの整頓された部屋とは多少異なっていた。
「メイク、したんですか?」
「ううん。悩んだけど、やめた。多分意味ないし」
唯葉の問いに凛子はそう答える。
そしてそのまま続けた。
「僕、柊喜君のこと好きだったから」
「……知ってましたよ」
「え、嘘」
「一年生と違ってわたしはクラスも一緒ですからね。凛子の男子への態度は見慣れてるんです。で、どう見ても柊喜くんに対してだけ違ったので」
「はぁ、バレてたんだ……。めっちゃ恥ずかしいじゃん僕」
「可愛かったですよ」
「ふふ、慰めになってないから」
ため息を吐きながら凛子はローテーブルの前に座る。
それを見て唯葉も正面に座った。
「唯葉も、同じなんでしょ?」
「……」
「柊喜君の事、好きでしょ?」
「なんで?」
凛子の質問に対して、唯葉は首を傾げた。
いつも通り、何の話か分からないと言わんばかりのとぼけた表情だ。
だけど、凛子の目は鋭く、冷たかった。
「……いつ気付きました?」
「気付いたのはさっき。だけど、ずっと違和感はあったよ」
「そうですか」
唯葉は天井を見上げて、そのまま吹き出した。
「わ、自分のつばが顔にかかっちゃいました」
「汚いなぁ」
「……わたし、最後まで自分の気持ち言えませんでした。お姉さんだから我慢しなきゃって思って我慢したんです。柊喜くんにさっき優しい事言われた時、つい泣いちゃったんですけど、その時も目にゴミが入ったとか言って誤魔化しちゃって……」
「唯葉」
「……?」
再び涙を目に浮かべながら言った唯葉に、凛子は腕を広げる。
「おいで。慰めてあげる」
「……とか言って、自分だって抱きしめて寂しさを埋めたいだけでしょう?」
「あは、バレた?」
「でもこの際、どうでもいいです。ありがとう」
唯葉は諦めたように言って、凛子に抱き着いた。
ぎゅっと胸に顔をうずめる。
「よしよし、辛かったね」
「凛子も、ずっとあきら達に悟られないように我慢してて、偉かったですよ……」
「ッ! ……うん」
「恋愛って、苦しいですね」
「……そうだね」
柊喜と過ごした八ヶ月。
凛子は竹原先輩の件で自分を守ってくれた柊喜の横顔を、唯葉はテスト後に母親を説得してくれた柊喜の姿を思い浮かべた。
そして涙を流す。
「……凛子の胸、あったかくて安心します」
「柔らかいしおっきくていいでしょ?」
「全然わたしの方がありますよ」
「あ、そんな事言うんだ。追い出すよ」
「えー!?」
と、そんな時だった。
インターホンが鳴る。
「え。誰だろこんな時間に」
凛子は怪訝に思いながら立ち上がる。
その時、唯葉が床に捨てられて後頭部をぶつけたのだが、まぁそれはいい。
「えっ?」
「どうかしました?」
しかし、すぐに凛子は声を漏らし、唯葉も玄関カメラに映る姿を見て言葉を失った。
◇
※すずの視点です
◇
家に帰るとリビングから明かりが漏れていた。
練習試合に行っていたはずなのに、最悪のタイミングで帰って来ていたらしい。
部屋を覗くと、弟が部活の練習着のままシャワーも浴びずにゲームで遊んでいた。
匂いが充満して最悪。
ふつふつとぶん殴りたい衝動が起こる。
「あ、ねーちゃんおかえり」
「ん」
「ん、じゃなくてただいまって言えよ」
「うるさい。黙れ」
すずはそう言って自分の部屋に行こうとした。
だけど、その後ろを弟が鬱陶しくついてくる。
「機嫌悪いな」
「……」
「なんかあったん?」
部屋の中まで入ってきた弟は、若干心配そうにすずを見つめた。
その顔を見て、何故か涙がこぼれた。
「え、ねーちゃん? 嘘だろ、おい。……大丈夫?」
「もう、やだ。出て行って……」
「いや、心配だから無理だって。何があったんだよ」
「……」
言いたくない。
何が悲しくて弟にフラれた話をしなければならないのか。
なんか汗臭いし。
だけど、いつもみたいに邪険にすることもできなかった。
追い出そうとも思えなかった。
心配してくれたからだろうか。
理由はわからないけど、すずはベッドに座ってただ泣いた。
「今日さ、めっちゃ活躍したんだぜ。意外とねーちゃんとの練習の成果がでたんだろうな。いっつも文句しか言わねー姉だと思ってたけど、役に立ったわ。ありがと」
「……」
「えっと……。そう言えば今度新作のスイーツが出るらしい。ねーちゃん甘いの好きだろ? 一緒に食べに行く? なんだったら俺がお金出してあげてもいいし」
「すずの方がお小遣い貰ってるのにいいんだね。じゃあ遠慮なく」
「都合いいとこだけしっかり話聞いてんな。まぁいいよ。ねーちゃんの辛そうな顔、あんまり見たくねーし」
「……」
言われて部屋の鏡を見る。
そこには、普段の眠そうな顔はどこにもなかった。
ただひたすらに、見ているだけで辛さが伝染しそうな泣き顔があった。
不細工だ。
こんな顔してたら、しゅうきを心配させちゃう。
それだけは、ダメだから。
明日から、また普通に接してあげなきゃダメだから。
それに、弟に心配されるのも癪だし。
「一真」
「は、はい」
「ありがとね」
「……ねーちゃんに礼言われたの何年ぶりだ? 雪でも振りそうだな」
「出て行け」
最後の一言でやっぱりイライラしたから蹴飛ばして部屋の外に出した。
再度ベッドに座ってため息を吐く。
すず、これからどうしよ。
少し悩んだ後、すぐに思う。
「バスケがんばろ。しゅうきのことまだ好きだし、みんなのことも大好きだもん」
前を向こうと、心に決めた。
しゅうきとは付き合えなかったけど、彼に貰った物は大事にしまっているから。
すずはもう、大丈夫だ。
◇
※あきらの視点です
◇
帰り道、私の足は重かった。
お母さんが夕飯を作って待ってくれてるから早く帰らないといけないのに、気分が乗らない。
だから、ふらふらと大回りをしながら帰っていた。
柊喜と姫希が付き合い始めた。
蓋を開けてみれば、お互い好き同士で、お似合いという言葉だって自然に出てきた。
結果として私は選ばれなかったけど、柊喜や姫希に不満があるわけでもない。
二人の事は今でも大好きだ。
それに、本気で幸せになって欲しいとも思っている。
だけど、それと私の喪失感は別だ。
ドラマなんかの最終回後にロス状態になることはあるけど、今回は比べ物にならないくらい胸にぽっかり穴が開いてしまった。
「なーんで涙出ないんだろ」
辛いはずなのに、全く泣けない。
前にフラれた時は枯れるほど泣いたはずなのに、おかしな話だ。
いや、前に泣いた時にもう出尽くしたとか?
って、そんなわけない。
「思いに区切り、つけなきゃね。姫希と柊喜の幸せの邪魔は、したくない」
絶望の淵に立たされている。
でも、私の態度次第では、柊喜や姫希を傷つけてしまうことになる。
それこそ、さっき私をフッた柊喜の顔は、悲痛に満ちていた。
「あ」
そう言えば、前もそうだった。
私が初めて柊喜に思いを打ち明けた翌日、柊喜は体調を崩していたと聞いている。
私の態度が負担をかけてしまっていたんだ。
そして、今回もそうなる可能性があるわけで。
やっぱり、このままじゃいけない。
大好きな柊喜をこれ以上縛るのは本意じゃない。
幼馴染は心の拠り所であれば、それでいいじゃん。
私が追い詰めて、どうするの。
そりゃ選ばれないはずだ。
ふと、私は過去の事を思い出し、スマホのマップで現在位置を見た。
「……けじめ、つけよ」
一言独り言を漏らし、そのまま私は目的地を変更した。
◇
「こんばんは」
「ど、どうしたのあきら?」
「凛子ちゃんにお願いがあってきました」
私が訪れたのは、凛子ちゃんが住んでいるマンションの一室。
部屋には唯葉ちゃんもいて、一緒に出てきた。
とりあえず上げてくれたため、私は家の中に入る。
「ごめんね、汚いけど」
「私の部屋より綺麗です」
「……掃除しな?」
「凛子、今のあなたが言うセリフじゃないですよ」
「言ってて僕も違うなぁとは思ったよ」
明るい雰囲気で話してくれる先輩二人。
いつもながら優しくて頼れる、可愛い先輩達だ。
そんな凛子ちゃんに、私は言った。
「凛子ちゃん、前に私にキスしようとしましたよね」
「あ、あったね」
「今もキスしたいって、思ってます?」
「……」
凛子ちゃんはキス魔だ。
したいと思った相手には拒絶されない限り迫り、モノにする。
実際にすずや姫希や唯葉ちゃんは、されているのを見たことがある。
だけど私は断った。
そういうのは好きな人と……と、やや本気で断った。
あの時、私に好きな人がいたわけではない。
だけど、何故かちょっと嫌だった。
「もし嫌じゃなかったら、キスしてください」
「あ、あきら?」
「柊喜の事、忘れるためにお願いします」
滅茶苦茶な事を言っているのはわかる。
唯葉ちゃんは狼狽えたような声を出し、凛子ちゃんの顔を見た。
当の凛子ちゃん本人は、じっと私の顔を見つめるだけだ。
そのまま口を開く。
「……僕ね、柊喜君の事好きだったんだ」
「えっ?」
「だから、今僕も失恋中できついんだよ」
「そ、それは知らなかったです。……ごめんなさい」
焦った。
予想外の言葉に驚くと同時に、してはいけないお願いをしたとも思ったから。
だけど、そんな私の肩を凛子ちゃんは優しく触る。
「いいの? 今そういう気分だから遠慮しないけど」
「……お願いします」
「後悔しないでね」
「……」
するわけがない。
今後一生柊喜への想いを引き摺り、変に恋愛に対して潔癖を拗らせるくらいなら、別の人に奪ってもらった方が良い。
それも、私としたいって言ってた人ならwin-winだ。
私も凛子ちゃんなら、嫌じゃない。
「んっ。はぁ……」
「……ほんと、何させてくれるんだよ。これで柊喜君以外、全員コンプリートじゃん」
「ありがとう、ございました」
「いいよ。辛いときに頼ってくれてありがと。……今日泊まっていく?」
「いや、もう大丈夫です」
そう、もう大丈夫だ。
辛いけど、でも吹っ切れた。
私は、柊喜にフラれたんだ。
秘かに望んでいた柊喜とのファーストキスもなくなって、すっきりしている。
だから、私はようやく泣けた。
唯葉ちゃんに抱きしめられながら、凛子ちゃんに頭を撫でられながら、泣いた。




