第二百十六話 そっか
やってきた運命の日曜日。
俺が一番最初に呼び出した女の子が、体育館に姿を現す。
服装は制服だ。
相変わらずスタイルが良すぎるため、短いスカートから零れ落ちるスラッとした長い足が目の毒である。
モデルと言われても疑わないだろう。
「ふふ、こんにちは」
「こんにちは」
「今日、良い天気だね。僕的にはもうちょっと遅い時間に呼ばれたかったんだけど」
「……」
凛子先輩は苦笑しながらそう言う。
そのまま普通に笑おうとして、失敗した。
俺を見る目に涙が浮かぶ。
「僕じゃ、ないんだね」
「……はい」
「……そっか」
現在時刻は午後二時。
俺が何時からみんなを呼び出しているかは伝えていないが、時間を見れば何となく察しが付くだろう。
実際、俺は五人の中で最初に凛子先輩を呼び出した。
告白するつもりなら初めには呼び出さない。
「いいね。ごめんとか言われたら嫌いになってたかも」
「じゃあ言えばよかったかもしれませんね」
「確かに。ふふ、面白いね柊喜君は」
泣きながら笑う凛子先輩に、どうしていいかわからず、苦笑する俺。
正直心臓がバックバクだ。
鼓動がデカすぎて木々の揺れる音さえ聞こえない。
だけど、そんな中で凛子先輩の声だけが耳に心地よく入ってくる。
先輩の告白を断るのなんて――ましてや、こんな美人の告白を断るのなんて生まれて初めてだ。
フラれる側の方が百倍キツいのはわかるため、絶対口には出さないし、考える事すらおこがましいのはわかっているが、俺も物凄く緊張している。
「柊喜君の初恋の人って僕でしょ? それでもダメなんだ?」
「……」
「うすうす気づいてたよ。最近はあんまり目で追われてる気もしなかったし」
「そうですか」
「まぁ、逆に誰を意識してるのかもわからなかったけど。僕じゃないって事は、他の誰かって事だもんね。誰だろ、全然わかんなかった」
「気を付けてましたから」
凛子先輩に以前言われて、俺が目で追っているのがバレていると知ってからは、特定の誰かを目で追わないように気を付けていた。
流石に馬鹿じゃないし、自分の隙を教えてもらえば対策はする。
そんな俺の返答に凛子先輩はクールに笑った。
「僕、自惚れてたのかな。正直結構好かれてると思ってた」
「……」
「この際だから一つ聞いていい?」
「どうぞ」
「僕の事、好きな時あった?」
聞かれて俺は頬を掻いた。
どう答えたものだろうか。
涙目で笑顔を必死に作りながら、若干早口で言う凛子先輩。
いつもの余裕がないのは馬鹿な俺でも感じ取れている。
しかし、本人は知りたそうだ。
「……好きっていうかわかんないですけど、初めて見た時から超可愛いなとは思ってました。あと、秋に告白されてそのままキスを迫られた時は、満更でもなかったです」
「そっか。じゃあキスしちゃえばよかった」
「……」
「あーあ。なんで僕こんなこと聞いちゃったんだろ。そんな話聞いちゃったら、後悔が……」
手で顔を覆ってその場にしゃがみ込む凛子先輩。
咄嗟に手を差し伸べようとして、やめた。
コーチである俺なら寄り添って慰めるべきだろうが、今の俺はコーチじゃない。
ただ先輩の告白を断って泣かせた男だ。
中途半端な優しさはかえって逆効果だろう。
俺はただ、体育館の外に見える木々を見るだけだ。
この前まで葉すらついていなかった桜の木に花が咲いている。
満開だ。
舞い散る桜はなんだかとても綺麗に見えた。
いつもは汚く見えるのに。
「……はぁ、何やってんだろ」
涙を拭いながら口を開く凛子先輩に、俺は考える。
不用意な発言はダメだ。
だけど、突き放すような事も言ってはいけない。
俺はこの身で思い知っているからな。
フり方一つ間違えれば、その後の関係性が完全に変わってしまう。
そして、これは完全にわがままだし、そんな事を言う資格がないのはわかっているが、俺は凛子先輩に嫌われたくない。
みんなで一緒に頑張ってきた時間も、好きだと言ってもらって二人で味わったドキドキも、全部なかったことにはしたくないのだ。
そもそもまだ部活は終わっていない。
目標は達成したが、俺達の部活はまだ続く。
フッてはいさようなら、というわけにはいかないのである。
「でもさ、一つだけ嬉しいんだ」
「え?」
「なにその顔。別に僕はドМじゃないよ? フラれて喜んでるわけじゃないんだから」
苦笑しながら立ち上がる凛子先輩の顔は、涙でぐちゃぐちゃだった。
そんな状態でも綺麗という言葉が似合うのがアレだが、少なくとも俺が見た今までの顔の中で一番衝撃的なものだった。
「僕を最初に呼び出したのって、偶然じゃないよね?」
「……」
「僕なら受け止められるって、思ってくれたんじゃないかな?」
「……心読めるんすか?」
「あはは、なんかそのくだり懐かしいね」
吹き出す先輩に俺は顔を引きつらせていたと思う。
「柊喜君が誰に告白するつもりなのかは知らないけど、どうせ今から三人はフラれるわけでしょ? その中で僕が一番柊喜君の気持ちを受け止めて、消化できるって思ってくれたんじゃないかな。要するに柊喜君は僕に甘えたわけだ」
「……マジで、すみません。その通りです」
「ふふ、いいよ。ちょっと優越感あるし。……なんてね。改めて痛感するけど、僕って性格悪いね」
「どうでしょう。人間そんなもんだと思いますけど。聖人が過ぎても気持ち悪いだけです」
「そうだね。ふふ、あはは。あーあ、なんでこうなっちゃったんだろ」
先輩はそのまま伸びをすると、俺に聞いてきた。
今度は真面目な顔だ。
「柊喜君の事を信用してるからあくまで確認だけど、消去法で選んだわけじゃなよね?」
その問いは、物凄く鋭利だった。
低い声で聞かれて俺は真っ直ぐ視線を返す。
「当たり前です」
「うん。いいね。凄いよ」
「そうですかね」
謎に褒められて首を傾げると、凛子先輩も首を傾げた。
お互いによくわかっていない。
二人で声を上げて笑った。
「なーにがダメだったかなぁ。部員みんなに隠してたのが問題? それともあんまりにも性格が悪すぎた? わーっかんないや、思い当たる節が多過ぎて。何がダメだったの? ……って聞いても困らせちゃうだけか。そっかそっかぁ……そっか」
独り言のように話す凛子先輩。
俺はリアクションの取り方が分からず、黙っている。
ふと彼女は思い出したように俺を見て、ニコッと珍しく子供っぽい悪戯な笑みを浮かべた。
「ねぇ柊喜君」
「はい」
「キスしていい?」
「ダメです」
「そっか」
思い返せば俺達は『キスしていい?』で始まった。
だから、終わりもこれが正しいのだろう。
初めて明確に断った俺に、一瞬目を丸くして、すぐに凛子先輩は寂しそうに苦笑した。




