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第二百一話 ビターなバレンタイン

 その日は、からっと晴れていた。


 重い体を起こしつつ、俺はスマホを確認して時刻を見る。

 今から支度をして学校に行かなければならない。


 制服に袖を通して寝癖を直しながら、俺はボソッと呟いた。


「ついに来たな……」


 今日は二月十四日。

 俗に言うバレンタインデーである。


 例年は大した行事ではなく、あきらと一ヶ月越しにお菓子を交換するだけのイベントだったのだが、今年は少々趣が違う。

 女子の知り合いが増えたのもあるし、謎の急激なモテ期により、波乱の予感だ。

 部活に行くのが面倒であり、若干楽しみでもある。


「楽しみか」


 心のどこかで自分の境遇を楽しんでいることが分かり、苦笑が漏れた。

 鏡に映る顔は、仕事に疲れたサラリーマンみたいだ。

 いつの間にこんなに老けたのだろうか。


 と、部活だけでなく、真っ先に遭遇する女子を思い出して俺はドライヤーを止める。


 未来は、俺に何かくれるのだろうか。

 結局あの後も毎日のように頑張っていたみたいだが、どうなんだろう。

 仮にもらう機会があったとして、受け取るべきだろうか。

 わからないな。


「やっぱり憂鬱だな……」


 そんな事を言いつつ、俺は洗面所を出てリュックを背負う。

 そのまま家を出た。



 ◇



 学校は賑やかだった。

 クラスのイケメンや運動部、人気者の周りに色んな女子がやって来る。

 そしてチョコを渡したり、他愛無い会話が行われた。

 それを遠巻きに眺める、いわゆる陰キャ。

 例年通りの学校風景である。

 現実というのは残酷だ。


「なーに黄昏てんのよ」

「姫希か」

「あの人、いないわね」

「そうだな」


 今は朝礼と一限の間の休み時間だ。

 だがしかし、こんな時間になっても俺の隣の席の奴はまだ出席していなかった。

 欠席なのだろうか。


 俺の席にやって来ていた姫希は、微妙な顔を無人の席に向ける。


「あんなに頑張ってたのに。体調崩したのかしら」

「寒いからな」

「それとも、お菓子作りに苦戦して遅れてるとか」

「……まさか」

「一回あたしも食べさせてもらったけど、あの人料理できそうにないし」


 思い出して顔を顰める姫希を見るに、余程美味しくなかったと見える。


「っていうか、お前はくれないのか?」

「何よ。そんなに欲しいの?」

「いや。前にくれるって言ってたから」

「部活の時にみんなと一緒に渡すわ。その方が良いでしょ」

「確かに」


 小さなことで揉める連中だし、こういうのは同じタイミングでやった方が良いか。

 結局みんなくれるらしいし。

 だから俺は、部活だけでも選手マネージャー含めて六人全員にお返しをしなければならない。

 モテる男は辛いって事だな。

 一体何様なのかと思って、自分に鳥肌が立ってきた。


 と、そのまま一限が開始する。

 未来は学校に来ていない。


 しばらく、普通に授業を受けていた。

 だが、授業が半分くらい進んだ時、突然走ってくる足音が廊下に響いた。

 その音はこの教室にドンドン近づいてきて、扉を乱暴に開ける。


「お、おはようございます」

「遅いぞ未来」

「すみません……」


 欠席していたわけではなかった未来。

 彼女は謝りながら、荒い息遣いで俺の隣の席に座る。

 そのまま俺の方を見た。


「……あとでちょっといい?」

「……うん」

「おい、私語は慎め。バレンタインだからって浮かれ過ぎだぞ」


 先生に叱られて面倒くさそうにため息を吐く未来。

 クラスは事情を察しているため、それを見て噴き出した。



 ◇



 俺は昼休み、未来に呼び出された。

 場所は何故かわからないが体育館。

 目の前で後ろに手を組んで俺を見る彼女に、色んな想像をする。


 もしかして、アレだろうか。

 某有名バスケ漫画みたく『バスケがしたいです』とか言われちゃうんだろうか。

 俺はコーチだが、顧問ではないため、そういう手続きは職員室でやって欲しいのだが。

 正式に部員になったら、流石に教えざるを得ないからな。


「しゅー君、これ」

「……これは?」

「クッキー焼いてきた。今日バレンタインだから、あげる」


 まぁ、そんなわけない。


 ふざけた想像を打ち砕く真っ直ぐな未来の視線に、俺は頬をポリポリ掻く。


「いらないかもしれないけど、受け取って欲しい。しゅー君に食べて欲しくて、一生懸命頑張ったから。遅刻したし」

「……これ、朝作ったのか?」

「朝って言うか、朝まで」

「え?」


 よく見ると未来の顔には目の下に薄っすらクマがあった。

 寝ずに徹夜で作っていたらしい。

 だから学校にも遅れてしまったのか。


「私料理とかしたことなかったから、おいしいかわかんないけど」

「なんで急に作ろうと思ったんだよ」

「しゅー君に喜んでもらいたくて。……いや違う。自己満足だね。しゅー君が私なんかからお菓子貰って喜ぶとは思えないし。でも、なんかどうしても作りたくなったから。今までごめんって意味も込めて。あと、ちょっとでも好きになってくれたら嬉しいなって思って」

「……」


 やはり未来は未来だ。

 こんな聞いている方がぞわぞわするような事を、真顔で淡々と言ってくる。

 恥ずかしくないのかよ。


「食べて欲しい。私の事嫌いだろうけど、今日だけは我慢して受け取って欲しい。捨てられてるの見たら、多分泣く」

「わがままだな」

「ごめん。今あんまり頭回ってない」


 大きなあくびをする未来は、本当に限界状態なのだろう。

 だがしかし、俺にそんな事は関係ない。

 だから何だよって話だ。


「お返しは何が欲しいんだ?」


 未来からラッピングされた袋を受け取って聞いた。

 少しぶっきらぼうな声が出たと思う。


「え?」

「チョコとかクッキーとかあるだろ」

「……チョコの方が良い」

「了解。あんまり高いのは期待すんなよ」


 俺は弱い人間だ。

 ここまで言われると、受け取らなきゃダメな気がしてくる。

 脅迫染みた事を言われてまで断る勇気はないのだ。

 それにしても、捨てられてるの見たら泣く、か。

 結局脅し文句じゃないか。


 背を向けて歩き出した俺だが、すぐに腕を掴まれた。


「……なんだよ」

「話終わってない」

「……」

「一つ聞きたいことがあったから」


 未来はじっと俺の真意を探るように目を見てくる。


「好きな子出来た?」

「……」

「最近なんかおかしくない?」

「なんかってなんだよ」

「わかんないけど、最近のしゅー君見てたら気持ち悪くて」


 突然の暴言に驚いた。

 最近優しくなったと思ったのに、気のせいだったのだろうか。


「あ、別にしゅー君が気持ち悪いわけじゃない。なんか、雰囲気っていうか」

「変わってないだろ」

「そうかな。最近女バスの人と話してること多くない?」

「大会に向けて練習頑張ってるから」

「それだけ?」

「なんだよ、お前に関係ないだろ」


 突き放すように言ったら、未来は手を放して俯いた。


「あの中の、誰かが好きなの?」

「……」

「良いんだよ別に。私が散々最低な事してるのはわかってるから。別れる前に他の男子と新しく付き合い始めるとか、本当に非常識だったよね。最近色んな本読んで、自分がどんなにしゅー君に酷い事してたか色々考えたんだ」

「……」

「だから、今更しゅー君に選ばれたいとか、そんな押し付けはしない」


 未来は俺の方を見るとフッと笑みを零した。

 その顔は、多分俺が今まで見てきた元カノの顔で一番綺麗だったと思う。


「私が言いたいのは一つだけ。なんか困ったら相談して」

「……なんで未来に?」

「たった一人の元カノだから」

「一番ないだろ。本当に、お前は何考えてるのかわからねーよ」

「あは、そう?」

「あぁ。……でもありがとう」

「うん」


 それを合図に、俺達は別れた。

 目的地は同じなのに、あえてバラバラに。



 俺は廊下で、ふと気になって持っていた袋を見る。

 そしてその中から一つクッキーを取り出して齧った。


「かった。嚙めねえよ……。なんか苦いし。はは」


 今まで食べたことのない味の斬新なクッキー。

 その味は、多分一生忘れないと思う。


「……あの人泣いてね?」

「……言うなよ。可哀想だろ」


 俺はそのまま大回りをして教室に帰った。

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