第二話 夏野菜のカレー
帰宅すると、良い匂いがした。
よく見れば時刻も午後七時を回っており、夕飯時である。
部屋に入ると、冷房の効いた天国が広がっていた。
「はぁ、生き返るぅ~」
「おかえり柊喜」
「あれ?」
よく見るとキッチンに人が立っている。
エプロンをつけた短めのポニーテールの女。
幼馴染の沢見あきらだ。
「どしたの。連絡したでしょ?」
「そうだったな」
先程学校で確認したものはあきらからのメッセージだった。
夕飯を作りに行くとか、そんな感じだったか。
大体いつもいるので大して気にしていなかった。
夜になるとご飯を作りに隣の家からやって来るのが日常だ。
「今日の晩飯は?」
「夏野菜のカレー」
「夏野菜って?」
「夏の野菜」
「そうじゃねえだろ」
普通具体的な種類を答えるだろう。
と、彼女は口を大きく開けて笑った。
「今日はナス、ピーマン、カボチャを入れました。どうですか?」
「すごくいいと思う」
「あはは。柊喜はどれも美味しいって言ってくれるから作り甲斐があるよ」
半袖からこぼれる腕で精一杯力こぶを作る彼女。
可愛いが、貧弱だ。
「筋トレが甘い」
「うーん。これでも頑張ってるんだよ? 週に二日腕立て三十回!」
「舐めてんだろ部活」
あきらは運動部に所属している。
中学の頃からやっていたバスケを継続していて、高校でも日々部活に勤しむ生活だ。
そんな中で、わざわざ俺の夕飯を作りに来てくれている。
「今日どこ行ってたの?」
「……学校」
「何しに?」
「なんでもいいだろ」
先程の事を思い出すと、気まずくて話す気になれない。
丁度カレールーを溶かし入れたらしく、一気にカレーの香りが部屋に広がる。
「未来ちゃんと会ってた?」
「……」
「そうなんだ」
後ろ姿しか見えないため、今のあきらがどんな表情をしているのかわからない。
ただ、的確に当てられて俺は言葉を失った。
あきらは俺と未来の交際を知っていた。
そして未来もまた、あきらが俺と仲の良い幼馴染であり、よく夕飯を一緒に食べているのも知っている。
三人で夕飯を食べたこともある。
いくら幼馴染と言っても、相手は女子だ。
彼女以外の女子と無断で夕食を共にするのは気が引ける。
そのため付き合う前に幼馴染の存在は話していたし、付き合い始めは会う頻度も減らしてはいた。
ただ、未来の交際感覚は恋人というより友人に近いものであり、彼女もよく他の男友達と二人で外出しているのを知っていたため、徐々に気にするのも馬鹿らしくなった。
そしてなにより、俺とあきらが一緒に居るのは家庭的な事情がある。
俺には両親がいない。
いや、正確には存在するのだが、小学生の頃に離婚した。
父親が名義上は親権を有しているが、家には全く帰ってこないため、事実上は一人暮らしである。
一応収入はある人なので、十分な生活費を入れてくれているのがせめてもの救い、愛情なのだろう。
というわけで、料理ができない俺を心配して隣の幼馴染家が昔から俺によくしてくれていた。
中学に入ったくらいからは、急に家庭的になったあきらが家に来て夕飯を作ってくれるようになった。
「もしかしてフラれた?」
あきらの声が聞こえる。
「なんで?」
「帰って来てからずっと落ち込んでるもん」
「……」
まぁ、そうだよな。
あんなフラれ方をした手前、流石に未練なんてものはないが、それでも心はかなりやつれている。
高身長なところが好きって言っていた奴に、デカいから邪魔ってフラれるのは流石に皮肉が効きすぎだろう。
「あいつ、新しい彼氏いるって」
「……なにそれ」
「だよな。俺もびっくりだぜ」
肝心なところはぼかして、間接的にフラれたことを伝えると、あきらは火を消して俺の方に歩いてくる。
その瞳は明確に怒りを含んでいた。
「あり得ない」
「まぁ、俺にも責任はあるんだ。高校入ってから運動部にも入らず、結構静かな生活を送っていたから」
「それは……」
未来はスポーツマンが好きだと言っていた。
思ったのと違うとは、部活に入らなかった事に対する感情も大いに影響しているだろう。
あきらは俺の隣に座ると、顔を覗き込んでくる。
「大丈夫?」
「まぁ、一応」
「別れるのは普通だけど、その前に別の彼氏作るのはよくないと思う」
「あいつ曰く、結婚してるわけでもないのによりいい人を探すのは当然らしいが」
「なにそれ」
ムッと頬を膨らませる彼女。
もはや俺より怒ってくれている気がする。
優しい奴だな、本当に。
だからこそ、これ以上のことは言えない。
さっき向けられた暴言の数々をこいつに話すのは、やめた方が良さそうだ。
それに、一応は元カノである。
あいつが言いふらすどうかはさて置き、俺は二人の会話をあまり他言したくない。
これで良いのだ。
「私なら、絶対そんなことしないのに」
「ははは。お前は好きな奴とかいないのか?」
「……いない」
「もしできたら優しくしてやれよ」
「うん」
言うと、あきらは俺の手を握る。
中学以来だな。
「どうしたんだよ」
「寂しいかなと思って」
「俺に優しくしてどうするんだ」
「練習。好きな人ができた時のための」
「ふぅん」
含み笑いを浮かべるあきらから、俺は居心地悪くなって目を逸らす。
こいつが良いんならなんでもいいか。
俺も寂しかったから、こうして優しくしてもらえるとありがたい。
幼馴染という、互いになんとも思っていない関係性だからこそ出来ることだ。