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第百六十一話 甘く見過ぎていた

 電車に揺られて数十分、俺達は先輩の家に向かって歩く。

 踏んだことのない土地に若干わくわくするが、隣の唯葉先輩の足取りは重い。

 家に帰るのが怖いのだろう。


 いつも姉と比べられるのがどうとか言っていたし、母親に怒られることに苦手意識があるのかもしれない。

 だがしかし、最近の唯葉先輩の努力は母親も気付いているはずだ。

 成績も絶望的状態から上げているし、そんなに怒られることはないだろう。

 鬼じゃあるまいし。


 しばらく歩いて一軒家に着いた。

 ここが唯葉先輩の家らしい。


「いつもはこの庭か近所の公園で練習してるんです」

「今日は公園にでも行きましょうか」

「はい。……ボール取ってきますね」


 唯葉先輩はそう言って家の中に入る。


 一人玄関の前に立たされて、妙な緊張感に襲われた。

 先輩の女の子の実家の前で仁王立ちしている状況に、気まずくなってきたのだ。

 ただ練習に付き合うだけなのだが、一応年上+異性ということで、アウェー感はぬぐえない。


 そんな事を思っているとしばらくして暗い顔の先輩が出てきた。

 母親と一緒に。


 彼女と母親と思しき女性に頭を下げると、彼女は口を開く。


「あなたが千沙山君?」

「はい」

「わざわざ練習に付き合ってもらって悪いわね。でももう帰って」

「は?」

「この子、部活辞めさせるから」


 言われて唯葉先輩に視線を移す。

 言われて見れば先輩はボールを持っていなかった。

 泣きそうな顔で俯いている。


「や、辞めさせる? なんでですか?」

「成績が落ちたから」

「前回の中間テストよりは良かったはずですが」

「あんな最悪な成績を上回るのは当たり前でしょ。私が言ってるのは塾に通ってた時より成績を落としてる事について。約束してたのよ、以前と同じ順位に戻さなきゃ部活辞めさせるって」

「え」


 そんな約束をしていたとは知らなかった。

 だからあんなに勉強していたのか。


「というわけだから、帰って」

「……」


 どうしよう。

 唯葉先輩に部活を辞められるのはものすごく困る。

 だがしかし、これは家庭の問題だ。

 俺が口を挟むような事ではないと思うのも事実。

 唯葉先輩の母親はかなり怒っているし、確かに学生の本分は勉強である。

 満足できる成績が維持できないから部活を辞めるという判断は、間違っていない。


「ほら、結局ダメだった。あなた、いくつになっても口だけね」

「……ごめんなさい」

「もういいわよ。さっさと退部しなさい。これ以上無駄に時間を浪費してる時間はないの」

「……無駄じゃないもん」

「そういうのは勝ってから言いなさい」

「……」


 下唇を噛みしめる唯葉先輩。

 その瞳から涙がこぼれ落ちた。

 そしてそれを見て、母親はため息を吐く。


「みっともないわね。後輩の前で親に怒られて泣いてるとか、高校二年生のすることじゃないでしょ? 彩華はこんなこと一回もなかったのに」

「っ!」

「なんでこんなに差がついたのか不思議でならないわ」


 彩華さんの名前が出た瞬間、唯葉先輩は膝から崩れた。

 声を漏らしながら泣きじゃくる。


 見ていて、物凄く胸がむかむかしてきた。

 俺は宇都宮家について、甘く見過ぎていたらしい。

 これは……あんまりだ。


「あなたは要領が悪いんだから、ちゃんと塾に行って勉強だけしてればいいの。どうせ両立なんてあなたにはできないんだから。そもそも今回部活を休みにして勉強してたんでしょ? それでその成績って何よ。ありえない。本当に勉強してた? どうせ遊び呆けてただけなんじゃないの?」


 違う。そんなことはない。

 唯葉先輩は誰よりも真面目に、誰よりも時間をかけて取り組んでいた。

 わからない問題は周りに聞いたり、職員室まで走ったり。

 そうして頑張っていたのを、俺は知っている。


 だけど唯葉先輩は何も言い返せない。

 もう、心が折れているのが目に見えてわかった。


 俺は母親に叱られた記憶すらないため、ロクなことは言えないが、だけどこの状況になったら辛いことくらいは容易に想像できる。

 努力を否定され、認めてもらえず、あまつさえ姉と比べられてため息を吐かれる。

 耐えられるわけがない。


「はぁ……。鬱陶しいわね。泣いてる暇があるなら勉強しなさい」


 さて、どうしたものか。

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