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第百二十五話 切り替え

 控室の扉を前にして、深呼吸をした。

 どんな雰囲気かわからないため、入るのは勇気がいる。

 どんな顔をして、どんな話をすればいいだろう。

 すずには、どう接したらいいだろう。

 あきらとの距離感も考えなきゃいけない。


 ヤバい、緊張してきた。

 ドアをノックしようと握った拳に汗が滲む。

 と、そんな時だった。


『だから! おなかが空いたって言ってるのよ!』


 もはや台詞だけで誰の言葉かわかるのが面白いところだ。

 すぐにノックして部屋に入ると、すずに掴みかかっている姫希が見えた。

 何をしているんだこいつは。


「あ、しゅうき」


 すずはブロックタイプの栄養食を齧りながら、俺を見つめた。

 その顔に先程までの陰りはない。

 ぼけーっと何も考えてなさそうな、いつも通りの緩い表情だ。

 それを見てほっとした。


「さっきはごめんなさい。次の試合は頑張るから」

「お、おう」

「だから、見てて」

「あぁ。頼りにしてるぞ」

「うん」

「……で、何してるんだよ」


 俺とすずが話している間も、姫希とすずの謎の争いは続いていた。

 姫希をちらっと見ると、彼女は気まずそうに目を逸らす。

 と、そこであきらが教えてくれた。


「姫希がね、落ち込んでたすずに自分の非常食を分けてあげたんだよっ」

「なるほど」

「でもこいつ、他人のモノ食べておいてボソボソするだの美味しくないだの言うのよ! だから返してって言ってたの。あたしだってお腹空いたんだから!」

「弁当食べてないのか?」

「えっと、それは……」


 朝野先輩が注文していたはずだから聞いたのだが、やはり食べていたらしい。

 まぁこいつが並の一人前で足りるわけがないもんな。


 しかしそれはともかく、雰囲気が良くなっていてよかった。

 あきらを見ると、彼女は困ったように眉を寄せながら笑って見せた。

 色々あったみたいだ。

 今は聞かないでおこう。


「さてさて、もうそろそろ次の試合の準備です! 最後にあの人たちをダブルスコアで叩き潰しますよ!」


 唯葉先輩の声に全員が声を上げる。

 だがしかし、一人だけ姿がない。


「凛子先輩は?」

「凛子ならトイレです。もう十分以上帰って来てませんね」


 弁当を食べてお腹が痛くなったのか、それとも迷子か。

 どっちにしろ違う気がする。


「ちょっと俺、探してきますよ」

「女子トイレに入るつもりなのかしら?」

「んなわけないだろ」


 犯罪者を見るような目で見てきた姫希。

 こいつはいつになっても俺にあらぬ疑いをかけたがる。

 全くもって失礼な奴だ。


 控室を出て少し歩くと、すぐにお目当ての女子に遭遇した。

 体育館端の壁に寄りかかってぼーっと他校の試合を眺めている。


「凛子先輩」

「……柊喜君じゃん」

「試合観戦とは熱心ですね」

「これでも二年生だからさ」


 中身のない会話をして、互いに苦笑を漏らす。

 大きくため息を吐いた後、凛子先輩は言った。


「なーんか自分の事が大嫌いになった」

「どうしたんですか?」

「ん? 内緒だよ」

「……」


 話してくれるのかと思いきや、一気に壁を作られて驚いた。

 そんな俺に凛子先輩は自嘲気に笑う。


「ただ卑怯な自分に自己嫌悪してるだけ」

「卑怯っすか」

「……うん。いきなりこんな事言われても困るよね。ごめん」


 何があったのかはわからないが、落ち込んでいる部員を見ると放っておくわけにはいかない。


「なんでも言ってください。ロクなことは言えませんけど、話を聞くくらいはできますから。大事な部員のメンタルケアもコーチの役目です」

「ふふ、ありがと」

「いや、俺は何も」

「次は絶対勝とうね。情けない姿を柊喜君に見せ続けるのは僕も悔しいからさ」

「全力でサポートします」

「……うん」


 試合へのやる気は衰えていないらしい。


 そんなこんなで会話をしていると、目の前の試合が終わりに近づく。

 それと同じくして準備を整えたうちの部員達もやって来る。


「あー、凛子! こんな所にいたんですか」

「敵情視察だよ。ね?」

「まぁそんな感じです。負けられませんから」

「当然よ。完封してやるわ」


 血気盛んな姫希の声に、みんなの目の色が変わる。

 こういう切り替えが上手いのもこいつらの長所だ。

 本当に良いチームだな。

 雰囲気つくりという点では、俺の方が支えられている。

 だからこそ、ここからは俺の役目だ。

 俺の仕事はこのチームを勝たせることなんだから。


「最後の作戦会議をしましょう」


 次は絶対に負けられない。

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