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第百話 ちゅーして

 すずと二人で気まずい時間を過ごしていると、しばらくして弟君が部屋に入ってきた。

 その顔には動揺が見て取れる。


「……先ほどは取り乱してすみません」

「いや、俺も自己紹介してなかったのが悪いから」


 姉のことが大事なら、得体の知れない男を遠ざけようとするのもわかる。

 笑顔を見せて怒ってないことを伝えると、少年はふぅと息をついて座った。


「おいお前。なんで部屋に入ってきた」

「別にいいだろ。っていうか風邪の時くらいはもうちょっとしおらしくなれよ」

「黙れちび。邪魔だからどっかいけ」

「いつも邪魔ばっかしてくるねーちゃんが言うな」


 お互い結構口が悪い。

 シスコンと言っていたが、姉の事が大好きというわけでもなさそうだ。

 と、そこで弟君が俺の方をじっと見つめる。


「どうしたんだ弟君」

「一真です」


 一真と名乗ったすずの弟は、大きく息をついた後に訝し気に言った。


「あなたが女バスのコーチなのはわかりました。ただ、姉とはどういった関係なんですか? 初めて見ましたよ、この人が男に抱き着いているところを」


 言われてすずを見ると、きょとんとした顔を向けられる。

 不覚にも可愛いと思ってしまった。

 いつも幼い感じだが、今日は火照っているのと寝起きというのもあって、あどけなさが普段よりも強く見える。


「まさか……付き合って――」

「ないです」


 言い終える前に即答すると、彼は今日一番のにっこりスマイルを浮かべた。


「ですよね! よかったぁ。ねーちゃんに彼氏なんてできるわけないっすよね」

「……そんな事はないと思うけど」

「ほら、ねーちゃんって雑じゃないですか。服を脱ぎ散らかすし、パンツ履かないし、ちゃんと喋らないし、デカいから邪魔だし」

「……」


 最後の単語はちょっと俺も耳が痛かった。

 あのおでこからつけられた傷が若干開く。


 と、そんな俺を他所に一真君は続ける。


「でも良いところもあるんすよ。意外と料理ができたり、運動神経がよかったり、馬鹿だからずっと笑ってるし、そのおかげで雰囲気も和やかになるっていうか」

「はぁ」


 ディスったかと思えば急なヨイショ。

 よく見ると先ほどのように若干目つきがおかしくなっている。

 やはりシスコンには違いないらしい。


 そしてそんな語りに、勿論不快そうな顔をするすず。

 彼女はベッドから降りて一真君を強引に部屋から出そうとする。


「出て行け」

「おい、なんだよ! 人が看病に来てやったのに!」

「うるさい。しゅうきとの時間を邪魔するな。いい感じだったのに」

「……は?」

「せっかくの二人きりなのに」

「え? 待ってくれよ。でも付き合ってないって……」

「付き合ってないけど、すずはしゅうきの事が好きなの」

「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」


 またも大声を上げて驚く一真君。

 一々反応がうるさい奴だ。


「ちょっと、それは話がちが――」


 話の続きなんて関係ない。

 パワーに定評のあるうちのすずは、ごり押しで一真君を部屋から追い出し、即座に鍵を閉めた。

 ドアをノックする音がしばらく聞こえたが、何のその。

 ガン無視を決め込んですずは俺に笑みを向ける。


「今日はありがと」

「おう」


 どうやらあいつの存在はなかったことにするらしい。

 俺としてもちょっと面倒に感じ始めていたので、この雰囲気に乗ろう。


 再びベッドに腰を掛けるすずの額から、ぺらっと冷えピタシートが落ちる。


「剥げたぞ」

「ん、どうしよ。自分じゃ張れない」

「……」


 おでこに冷えピタを張るのって、意外と自分じゃ難しいからな。

 仕方がない。

 それくらいしてやるか。


 おとなしく寝転がるすずの顔に、若干ぬるくなった冷えピタを張りなおそうとする。

 すると当然彼女の顔が至近距離に来るわけで。


「……目を閉じてくれないか? 少しやりにくい」

「ん」


 ガン見されて困ったのでそう言うと、すずは目を閉じる。


 改めて見ると、めちゃくちゃ整った顔をしていた。

 肌がきめ細かく、ニキビの一つもない。

 こんなに自堕落なのに、何故肌荒れしないのか意味が分からない。


 そんな綺麗なおでこに冷えピタを張ると、すずは目を開けた。


「ありがと」

「……おう」

「あのねしゅうき」

「うん」

「……ちゅーして」

「……」


 突然の言葉に、少し前の凛子先輩がフラッシュバックした。

 そしてすずの表情を見て、俺も言葉を失う。


 反則だよそんな顔。

 なんでいつもみたいに笑ってくれないんだよ。

 断られたら泣きます、みたいな顔しやがって。

 卑怯すぎる。


「風邪がうつるだろ」

「それもそう」


 なんとか傷つけないように断ると、すずはすぐに頷いてくれたので安堵した。


「困らせるような事言ってごめん」

「いやいいんだ。……早く良くなるといいな」

「うん」


 赤い顔を隠すように布団にもぐる彼女を見て、俺は必死に自分の胸の鼓動を抑えようとしていた。


 正直、すずの抱く好きの本気度を見誤っていた。

 こいつの想いを蔑ろにしようとか、そんな事は思っていなかったが、こいつが俺に何を求めているのかもよくわからなかったからだ。

 ただ、今の表情を見て気付いた。

 すずは俺の事を、ちゃんと好きでいてくれたんだ。

 そのことが嬉しくて、でも想いに応えるわけにもいかなくて。


「すず、もっと頑張る」

「試合近いからな」

「……むぅ、それだけじゃないけど」


 凛子先輩にしろすずにしろ、真正面から告白されたとき、俺はしっかり断れるのだろうか。

 逃げたりはぐらかしたりする男には、なりたくない。


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