1.伯爵令息パブロくん、大地に立つ。
1.伯爵令息パブロくん、大地に立つ。
前世の記憶がなければ心をおかしくしていただろうなぁ。
名目上の伯爵家嫡男であるパブロ・ワングは青い空を滑るように流れてゆく鱗雲を眺めつつ、そんな事をぼんやりと考えてみる。
齢12歳にしてすっかり達観したパブロは、夕食にするための香草などを摘む手を休め、秋空の下不意に流れてきた心地の良いそよ風に目を細めながらも、これまでの毎日に思いを馳せた。
伯爵家にてパブロはいないものとして扱われている。
毎日の食事にも事欠く日々であったから、こうして屋敷を抜け出して、広い庭の片隅にある食えそうなものを片っ端から摘み取る作業が日課となってる。
そもそものきっかけは5歳の時に執り行われた魔力測定の儀式の結果が大変なものであったことに端を発する。
パブロの魔力保有量がちょっとびっくりするくらいに低かったのだ。
なんでも生き馬の目を抜くような厳しい貴族社会を渡り歩くためには極めて大きな魔力を保持していなければならないらしく、測定の儀でほとんど魔力を持ちえない事が発覚してから一挙にワング家の鼻つまみ者と転落し、誰にも相手をされずに今日まで生きてきた。
だがしかしパブロは、ここまでの自らの生は極めて運がよかったと現状を肯定的にとらえていた。
まず何より前世で長く一人暮らしをしてきた記憶があるので、いきなり一人で放り出されるようなことがあっても「あ、前の環境に戻っただけだこれ」と感じただけだった。
それどころか、働かなくてよいのである。
日本でうだつの上がらない会社員をやっていたころは毎日フルタイムで仕事して、移動時間も合わせると週に5日は10~11時間程拘束される。その上でやれ自炊だのやれ洗濯だのやれ掃除だの、クタクタになりながらもやらなければならない日々が1年365日続いたものだ。
そのうちの仕事をしなくてもよいのである。
ビバ! 伯爵令息! ここは天国か! てなもんである。
更にパブロは自分が生きていることそれ自体に奇跡のような幸運を感じていた。
そもそも5歳になるまでは裕福な環境で過ごすことが出来、最低限の身体の成長はしているのだし、自分で考え、自分で動き、自分で選択するのに充分な保障は確保できている。
おまけに、彼らは自分を直接的に殺そうとしないのである。
出来損ないの嫡男が生まれたらとっとと殺して次に回してしまえば良いだろうに、どういう訳だか自分はほったらかしにされつつも、直接害を加えられることがないのである。
むろん、5歳になってから先の生活は激変した。
侍女や侍従がかしずく専用の個室からその日のうちに追い出され、埃と蜘蛛の巣だらけの納屋のようなところに押し込まれることになった。
藁の上にありあわせの布切れをかぶせただけのベッドのようなものはダニだらけ。
ドアには閂が外からかけられ、一歩も出られない。
トイレ代わりに部屋の端に壺のようなものが置かれているのだが、パブロは見ただけでピンときた。ここで用を足しても片づけてくれるものなど一人もいないだろうことに。
食事も残飯のようなものが申し訳程度に朝、晩の2回届けられるが、実際には何もない日も多々あった。
ところでパブロはこの残飯らしきものには最初から一切口をつけなかった。
何故なら、パブロが真っ先に思い描いたのが自分の毒殺であったからだ。
だから納屋に閉じ込められたパブロが真っ先にしたことは外に出る抜け道を確保することであり、その次にしたことが、台所から塩を盗むことであった。
塩さえあれば、後の食材は自力で何とかしてみせる。
パブロの伯爵家自給自足生活の始まりであった。
自給自足生活の朝は早い。だいたい夜はすることもないので、日の入りとともに寝てしまうから、目が覚めてもあたりはまだまだ真っ暗だ。
そこでパブロは、夜の帳が下りた暗がりの中を、月明かり、星明りを頼りに台所に忍び込み、本日の食材を物色するのである。
え? 台所の食材漁りは自給自足に当たらないって? とんでもない! パブロにとって伯爵家のキッチンは大事な食料源なのである。自給自足と言えば家庭内菜園であったり、狩猟や漁猟であったりといったものを思い浮かべるだろうが、伯爵家台所はそう、狩場なのだ。
王都に住まわうサバイバーにとって、窃盗は立派な生活手段の一つである。ましてやパブロにとっての伯爵家など、ある意味身内みたいなものである。
いや実際には血のつながった身内であるはずなのだが、前世の記憶が勝るパブロにとって今世での家族など赤の他人もいいところである。
けどまあ知らない仲ではないから、ちょっと生き抜くために借りパクするぜっ! と、にこやかな気持ちで小麦粉だのジャガイモだの鶏肉の切れ端だのを拝借するのに、いっさい何の良心も痛まぬのだ。
だいたいアレだ。伯爵家お抱えの料理人たちも、割と陰でこそこそ食材をパクっていやがる。こないだなど料理長が一等級の牛肉の一番おいしいところをしれっと切り分け油紙に包み、平然と自宅に持ち帰ろうとする一部始終を天井裏から覗き見してしまった。
その後「さすがは南部有数の黒毛牛の味は違う!」などと伯爵家一同が舌鼓を打っているところも天井裏から覗き見しつつ、「いやあんたら、いいところは全部料理長に盗まれてますがな」となんとも物悲しい気持ちになったものだ。
伯爵家のものどもはいろいろ使用人に舐められているのだ。知らぬは当人ばかりなりと、パブロとしては居たたまれない気持ちでいっぱいである。
まあ赤の他人の家の事なのでコント感覚で楽しんでいる部分の方が大きいのだが。
ちなみにこれは余談だが、その後捨てられていた牛骨はパブロがしっかり回収し、コトコト煮込んで極上のスープの元とさせていただいた。
異世界って基本的にダシ文化がないよね。
それでともかく、ぱちくった食材を元に納屋の裏手の森の中で少し早めの朝食の準備である。
石を並べたかまどの上に枯葉や小枝などを積み、生活魔法のプチファイアで火をつける。
プチファイア! そうパブロは全く魔法が使えないわけではない。あくまで大変魔力が少ないだけなので、見よう見まねで覚えた簡単な魔法がいくつか行使できるのだ。
特にありがたいのがプチウォーターで、清潔な水の確保が早急の課題であったパブロにとって、この魔法を真っ先に獲得できたことが今日の生につながっていると言っても過言ではない。
更にはプチウィンド、プチアースなどといった魔法があり、どれもパブロにとっての生活上の生命線である。
なおこの世界、『生活魔法』などといったジャンルは厳密にはないようなのだが、由緒正しき異世界転生人としては雰囲気を大切にするためにパブロは自らの魔法をそう呼び表している。
閑話休題。
などと馬鹿な事を考えているうちに火勢が落ち着いてきたので、ぱちくった鶏肉に塩を振り小麦粉をはたき、その辺に生えてた香草を乗せ、これまた以前にぱちくってきた鉄のフライパンに自家製ラードを落とし、これが溶けて全体に回ったら肉を乗せ、菜箸を使って適度に動かしつつ、じゅーじゅーと焦げ目がつくまで焼いてやる。
その間にプチウィンドで器用にジャガイモの皮をむき、芽をくり抜き、食べやすいように一口大の大きさに切り分ける。
鶏肉にしっかりと火が入ったらこれまたぱちくった皿の上に移し、フライパンに残った油の上にジャガイモを乗せ、プチウォーターで水をたらして蓋をして、火が通るまで気長に蒸し焼きにしてやる。
出来上がったらこれも皿に移し、最後に瓶詰めにして仕込んであるキャベツの発酵漬けを皿に盛って完成! 朝から豪勢な感じになりました。
ザワークラウトによるビタミンと食物繊維、鶏肉のたんぱく質と脂質、ジャガイモで炭水化物と、男やもめの一人暮らしにしては頑張って栄養価を考えた献立と言えるのではないでしょうか。
これを箸でむしゃむしゃと食べているうちに当たりが明るくなり、王都のお屋敷に朝がやってくる。
このころには屋敷の方がなにやら騒がしくなり、かまどに火を入れ煙突から煙が上がったり、何やらどたどたと使用人どもがあちこち動き回る様子が遠目にも見て取れるようになる。
朝食の跡片付けなどを終えたパブロがえっちらと自分の住処である小屋に戻ってくると、申し訳程度に本日の朝ごはんらしき残飯が皿に盛られて置かれていた。
まあパブロは食べないけど、これを猫どもの餌とすべく、手にもって裏手のいつもの場所に置いてやる。
にゃーにゃー鳴きながら、屋敷の居候仲間である猫が3匹ほどすり寄ってきた。
塩気もなく野菜も肉も申し訳程度の適当な残飯であるが、却ってこれが猫どもにはぴったりの味付けらしく、こいつらは喜んで食べてくれる。
パブロとしても食材を無為に捨てずに済むのでありがたい。
むろんニンニクや玉ねぎの切れ端などを見かけたときは全部捨てるようにしている。
すると猫どもからにゃーにゃー猛抗議を食らうのだが、いやお前ら、これお前らにとっては毒だからな。
そう、毒である。
パブロは最初、自分自身の毒味係として猫どもにこの餌を食わせていたのだ。
パパンは絶対パブロを毒殺してくるだろうとはなから決めてかかり、猫どもを使って実験をしていたのだ。
ところが猫どもは特に具合を悪くすることもなく、いつまでたってもみな元気なのだ。
えー? 毒ぐらい入れたらいいのにぃ。
なんだか想像していたのと違うなぁとパブロはすっかり拍子抜けしたのだった。
だがこれも後日になって分かったことだが、どうやらこの国の貴家には、そうおいそれと簡単にパブロを殺める事の出来ない事情というものがあるようであった。
まず何より、パブロは伯爵家の長子である。
王国では、貴家に生まれた長子はよほどのことがない限り家督を継ぐ決まりがあるらしく、現時点でパブロは次期伯爵様となる未来が決定づけられているのである。
初めのうちパブロは、貴族というものは魔力が高くなければいけないのではないかと勝手に思い込んでいたのだが、どうやらそれはあくまで貴家のメンツの問題で、実際には正妻の長男が必ず第一継承権を持つらしく、これは王国法で定められた決定事項なようである。
これが王族になるとそんな決まりは特にないらしく、最も魔力の高いものが王になるようだ。
それってもしかして、王権を強化して貴族の力を弱体化させるための迂遠な計画なのでは? などとパブロは下衆な勘ぐりをしてしまうのだが、本当のところは良くわからない。
いずれにせよ頭の悪い理由で制定された決まり事なんだろうなぁなどと、パブロは漠然と想像するばかりである。
けれどもその悪法らしきもののおかげでパブロは今生き長らえているのだから、馬鹿な決まりを作った昔の王様ありがとう! てなもんである。
また、パブロの育つこの家が王都貴族街のお屋敷であることもパブロの命を大いに長らえさせる要因ともなっていた。
王都内では社交というものが活発に行われているから、パブロが生まれた際には懇意にしている貴族どもが集まって華やかなパーティをしたものだし、その後も5歳になるまでは事あるごとに様々な催しごとにパブロも引きずり回され、なんと可愛らしい婚約者などもいたのである。
5歳を過ぎ魔力測定の儀を越えてから、このようなものはすべてなくなってしまったが、いかんせんそれまでにあちこちに顔と名を売りすぎた。
前世の記憶があるパブロはこういった催しなどでとても賢いところなども披露してしまったため、貴族社会においてはそれなりに知名度を得てしまったのである。
それでパブロが12歳になる今でもちょくちょく他家のお子様からのお茶会などの誘いを受けることもあり、ぼんやりとだがその存在はいまだに知られているところなのだ。
これが突然死ぬようなことがあれば、当然痛くもない腹を探られることになるだろう。いや、殺人を犯してしまえば痛い腹か。
更には、高位のものが死ぬようなことがあると王宮から検分のために専属の医師が派遣されるそうだから、安易な毒殺などは一発でバレてしまうようなのだ。
ちゃんと調べれば検死を誤魔化すうまい殺人方法ありそうだけれど、根がチキンなパブロのパパンはビビッてしまい、パブロを直接殺すことが出来ずにいるようなのだ。
仮にこれが領地のお屋敷であればこうはいかなかっただろう。
いみじくも貴族にとっての領地というのは小さな王国であるからして、この中ではかなりずいぶんと色々な無茶が利く。
妾の子を嫡子としたり、使えぬ子供、邪魔な子供はこっそり殺してしまったり、死んでいるはずの子供をしばらく生きていることにしたり、まあいろいろ悪い事が出来る。
だからパパンはパブロの魔力が非常に少ない事が分かった時点で、病気療養などの理由をつけてとっととパブロを領地に送り出してしまえば良かったのに、パパンにはそれが出来なかった。
これがまた実にしょうもない理由で、領地の管理運営はどうやら代官どもに乗っ取られているらしく、パパンは自分が治めているはずの土地であるにも関わらず、地元に戻ると完全アウェーで大変肩身が狭いらしいのである。
そんなところにパブロを送り込んでも大したことが出来るはずもなく、さらに妙に小賢しいパブロが現地の代官どもと変に結託するようなことがあれば、却って自らが寝首を掻かれかねん、そういった恐れがあるようで、パパンはパブロを王都の屋敷に留め置いているようなのだ。
パパンぇ。
ただこのような土地持ちお貴族様の統治事情は割と一般的な話らしく、ママンの実家から遊びに来た子爵家の連中がパパンと愚痴を言いあっているのを聞くにつけ、なんだかなぁと残念な気持ちになるのであった。
要はこういうことなのだ。貴家の当主たるもの居城は王都に構え社交や政治の真似事に精を出し、領地の事は信頼のできる下民どもに任せておくのが当代一流のお貴族様のカッコいい生活スタイルだという話らしいのだ。
それでお貴族様はみんなしてカッコつけてよくわかんない奴らに領地経営を任せているうちに、実質的に殆ど乗っ取られたような状況になってみんなして陰で泣くのだそうだ。
アホな人たちですねぇ。
それって多分、貴族どもに余計な力をつけさせないように支配階級の王族などが貴族を王都に縛りつけているだけなんじゃなかろうかと、なんだか暗澹たる思いにさせられるパブロであった。
参勤交代よりもひどい、王都縛りつけの計、みたいな。
どうにもこの国のお貴族様はおバカが多いように思える。
王族にいいようにそそのかされ、わざと考える力を奪われて、中央集権の肥やしにされているように見受けられる。
国内政治だけで国が回るならこれでもよいのかもしれないが、諸外国との戦争になったとき、果たしてこんな国造りでまともに戦えるものなのか? パブロはいらぬ心配までしたくなってくる。
まあ所詮は他人事であるのだが。
さて、朝食も終えまったりと朝の涼しい時間を過ごしたパブロが次に頑張るのが洗濯である。
屋敷の裏手にある井戸の近くを一時的に占拠してせっせと水を汲む。
それで、ぱちくってきたタライに水を張り、ぱちくってきた石鹸を使って衣類などをごしごし洗い、ざばざばと洗い流しては良く絞り、納屋の南の物干し場に並べてやる。
秋も深まるこの季節、正直井戸水は冷たく手がかじかむのだが、あまり贅沢は言っていられない。
というのも、現在のパブロの生活において最も恐ろしい事は、風邪や病気に倒れる事なのだ。
なんちゃってオフグリッドログキャビンなパブロの毎日の中で、よほど滅多なことがないかぎり悠々自適の暮らしぶりが約束されてはいるものの、万一身体を壊してしまっては誰も助けてくれるものがないのだ。
屋敷の全員に無視されようとも何の痛痒も感じないパブロであっても、いっさいの社会保障のない立場というものは少々堪えるものがある。
弟のマルコなどはパブロを馬鹿にしようとしょっちゅう絡んできて、そのたびに適当にあしらいつつも「こいつ馬鹿だなぁ」と普段は適度に見下しているのだが、こといざというときのセーフティーネットの有無という一点についてのみ、パブロはこの弟が羨ましくてたまらないのだ。
パブロが風邪で命を落とそうものならパパンは大喜びするだろうが、馬鹿でも魔力が高いマルコに何かあれば大変なので、この弟は蝶よ花よととても大切に育てられているのである。
本人はそのありがたみが全く分からないようで、過保護な使用人どもとしょっちゅう喧嘩をしているようなのだが。
アホな奴だ。
それでともかくパブロは、徹底して清潔を保とうと洗濯ものは相当こまめにするようにし、身体を洗うのもこまめにし、小屋の掃除なども徹底しつつ、どこか不潔なところがある屋敷の連中とはなるべく距離を置いて暮らすように注意しているのであった。
また、普段から運動も欠かさぬようにして、なるべく健康な身体を維持できるように心掛けている。
しかしそれでも、冬場は辛い。
5つで一人になってからかれこれ7年、風邪や病気は何度もしたが、症状が悪化し死を覚悟した3度はいずれも冬であった。
冬の寒い季節、洗濯するのも大変だし、身体を洗うのも大変だし、料理を作るのも一苦労だし、運動するのも億劫だし、まあ色々大変で、雪なんか降った日にはもっと大変で、秋が深まるこの季節、パブロは先を考えると色々頭が痛いのである。
今年はかなり早くからいろいろ準備出来たので、去年よりはましになるはずではあったが、それでも不安は事欠かぬ。
人類は冬を越すために知恵を増やしてきたのだなあ、などと勝手に決めつけて感慨深い思いに浸ったりするパブロであった。
ところで余談であるが、パブロが洗濯などに使っている屋敷裏の井戸であるが、これが大変不味い。
どうも王都の地下を流れる水脈は色々汚染されているらしく、ここからくみ上げた水は妙に臭くておかしな味がする。
なんでだろう? とふとパブロが考えを巡らせてみて、すぐに気づいた。王都には下水道や下水処理施設などといった文明的な設備がないという事に。
屋敷から出た糞尿などの排泄物を穴の中に放り込んでいるだけであるという驚愕の事実に。
一応穴の底には排泄物を処理するスライムなどを飼っているようなのだが、どの程度効果があるものか分からぬ。
処理されず地に染みたそれらが、どうあたりに影響を及ぼしているか、まるで想像もつかぬ。
だからパブロはこの水は掃除洗濯に使う程度にして、飲み水はプチウォーターで用意するように注意しているのだが、屋敷のものはこの水を飲料水として使っているのである。
その上で、この水を使って作ったお茶やスープなどをうまいうまいと飲み干しているのである。
パブロは水に気を付けるようになってから身体の調子がすこぶるよくなったのだが、彼らは気にも留めずに毎日これを口にしており、ときおり下痢などに苛まれつつも元気に暮らしている様子なので、パブロとしてはなんともやるせない思いでいっぱいである。
その上で彼らが、見た目が薄汚れているだけのパブロを「ばっちい」などといって邪険に扱うようなことがあると、なんとも居たたまれない気持ちでいっぱいになる。
もちろんこれらのいっさいについては何も語らず、肩をすくめて退散するのがパブロなりの彼らへの気遣いなのであった。
さて、そんなこんなで洗濯ものも一段落したところで、午後からは屋敷に忍び込んで情報収集である。
ワング家の構造上、なぜか天井裏は忍び込み放題で、重要な会話なども盗み聞きし放題なのだ。そこでパブロはするするするっと屋根に上がり、ささっと天井裏に立ち入ってあちこちの部屋の天井を徘徊すると、色々な話が聞こえてくる。
新しく入ってきた女中にパパンがお熱で、その尻を追っかけまわしている情けない話だとか、魔力だけは立派な弟のマルコがおバカすぎて勉強が進まないだとか、妹のアンナマリーがおませさんで家令見習いのギャレットに色目を使いだして誰に似たのやらだとか、ママンが新しくしつらえたドレスがあんまり似合ってなくて、でもそれを誰も指摘できずにどうしようだとかそんな話が聞こえてくる。
でもこんなのはどれも、パブロにとってはノイズもいいところで、同じ屋敷に住む自分とは位相がずれた別世界の住人達の物語は、パブロとの接点がどこにもない。
パブロにとって重要なのはそう、自分自身に関わりのある例えばこんな情報達だ。
『あの薄気味悪いガキは今日も勝手に肉や野菜を盗みやがった』
――しばらく厨房から食材を盗むのは控えるか……。
『井戸の周りが水浸しだわ。本当にいい迷惑。』
――別に自分が何もしなくてもあそこはよく水浸しになる。これは無視だな。
『ガキの目つきが気に入らねぇ。あんな奴早くどっかに消えてくれ。』
――僕も出来ればそうしたいところだよ。
『そうも言っておれんさ。あれでどういう訳だか、公爵様などに妙に気にいられているのだ。下手な事があっては色々勘ぐられるのさ。』
――そうだね。僕もあちこち名前が売れているから、おかげで未だに表だってひどい目に遭わずに済んでいるんだよね。ありがたい話だね。
『その公爵令嬢様だが、また来月お茶のお誘いがあるようだぜ。』
『やれやれ面倒な事だな。あの臭いガキをそれらしく着飾るのは大変なんだ。』
――おや! 来月にお茶会があるようだ。これは重要な情報だ。
とまあこんな具合に屋敷の情報をある程度集めておかないと、いざというときに梯子を外されたりしてひでぇ事になりかねないのだ。だから、パブロにとっての天井裏での諜報活動は生きるための生命線の一つなのだ。
それからもうしばらく情報収集をして、めぼしい話題は特にない事を確認しているうちに、パブロはなんだかうとうととなってしまい、いつの間にか寝入ってしまっていた。
子供の身体は燃費が悪いのか、ちょっと動くとすぐに眠くなる。
とはいえ日本でおっさんだった頃も燃費が悪いのか、休みの日の午後はすぐに眠くなって昼寝しまくっていたから、当時と今であまり変わりがない気もする。
パブロが天井裏の一画で目を覚ますと、壁の隙間から西日が差しこんでいた。
気が付けば日も傾き良い時間のようである。
パブロは大慌てで天井裏から抜け出すと、夕食の食材集めに奔走する。
といっても自生する香草などを集めるだけの簡単な作業であるが。
ところで屋敷内に畑を作るかどうかについては、パブロは今でも悩んでいる。
ニンジンやジャガイモ、玉ねぎなどの根野菜は、厨房からパチくってきたものを埋めるだけで芽が出るだろうから簡単に増やせそうである。
自給自足を目指すなら是非育てたいところなのだが、いかんせん怖いのが土まみれの畑仕事をして、衛生問題は大丈夫なのかという不安なのだ。
パブロの生活環境では毎日風呂に入るなどまずできない。
シャワーを浴びるなども、とても出来ない。
お湯を沸かして人肌に薄めて、これを使って布切れでごしごし身体を拭き取るぐらいがせいぜいなのだ。
石鹸はある程度パチくれるから、身体や髪を洗うことはできる。
けれどもこれだって毎日できる事じゃない。
土まみれの身体を清潔にするのはとても難易度が高いのだ。
また、パブロの魔力が非常に少ない事も問題だ。
例えば土魔法を駆使して畑仕事が出来れば、身体を汚さずに作物を育てることが出来るかもしれない。
あるいは水魔法、火魔法を組み合わせて充分なお湯が作れれば、毎日風呂にだって入れるかもしれない。
だがこれらの作業にはいずれも莫大な魔力を必要とするのだ。
パブロの魔力ではとても間に合わない事なのだ。
とはいえ畑のようなものが作れればパブロの食卓事情はかなり安定するので、出来れば何らかの方法で挑戦したいとは思っている。
今のところは、それなりに大きなお屋敷のあちこちに生えた雑草の中から食べられそうなものをより分けて、優先的に水をやったり土をよくしたりしてぼんやりと増殖を目指す程度の努力を重ねる程度だ。
それでも少しづつだが手ごたえを感じている。
なにせいつでも伯爵家台所から食材を安定的にパチくれるわけでもないのだ。
こういったところから改善を進めていかなければ、いつ何が起こるか分からないのだ。
そんなわけで天高く馬肥ゆる秋空のもと、自生した香草などを夕食にすべく摘みつつも、パブロは不意にもたらされた秋風の心地よさに目を細め、しばしこれまでの生に思いを馳せてみたのだった。
こんなふうにしてパブロは今日も元気に生きている。
Youtubeでオフグリッドログキャビンな動画を見まくっていたら、何故かこんな話を思いつきました。