正直に
『キサラギジャック 0件』
それを見たぼくらは、テストで0点を取ってしまったようにため息をつく。
「どうすりゃいいんだ……」
「どうしようか……」
さっきからぼくと陽平くんは、ずっと下を向いたままだ。
本当にどうしたらいいのかわからない。
本の海でも、電子の海でも、キサラギジャックは見つけられなかった。
この町にヒーローはいない。そう言われているような気分だ。
「キサラギジャックなんているわけないだろ」
とつぜん、その声が現実になって聞こえてくる。
顔をあげて前を向くと、メガネをかけた男の子が立っていた。
「黒田くん……」
ぼくの口から彼の名前がこぼれる。
「おまえらまさか、キサラギジャックが図書館にいると思ってるのかよ」
メガネのおくにはギラリと光る目が2つ、ぼくらをにらみつけている。
「キサラギジャックはいないんだ。そんなの最初からわかりきってたことだろ」
ぼくはもちろん、いつもならすぐにおこる陽平くんも言い返さない。
「だれも見たことがないのに、どうしているってわかるんだ。どうしてキサラギジャックなんて名前がついてるんだよ。そんなの決まってる。じいさんがウソついているからだ。そろそろ気づけよ。正義のヒーローなんていないってことに」
正義のヒーローなんていない。
その言葉がぼくの心に重くのしかかってくる。
そう感じる理由はわかっている。
ぼくがキサラギジャックのことを本気で信じていないから。
心のどこかで、本当はいないんじゃないか、と思っているから。
「灰塚。おまえも気づいてるんだろ。本当は、キサラギジャックがいないことに」
ドキッとした。ぼくの思っていることを言い当てられたから。
今、ぼくはどんな顔をしているだろう。
それを聞いた陽平くんはどんな顔をしているだろう。
こわくてとなりを見ることができない。
「なんだよ。なんか言えよ」
「ぼ、ぼくは……」
考えがまとまらなくてうまく言葉が伝えられない。
「そんなんじゃ灰色の人生を送ることになるぞ。いや、おまえは生まれた時から灰色だな。だって苗字が、灰塚、だもんな」
初めて国語辞典で『灰色の人生』という例文を見つけた時と同じ気持ちになる。
いやだ……灰色の人生は……いやだ……。
そんなの……いやだよ……。
ぼくの目からなみだがこぼれそうになった時、肩に手が置かれていた。
視界がぼやけてよく見えない。
けれどぼくには、なんとなくわかった。
ヒーローがニカッと笑っていることを。
「おい黒田! 他人の人生を勝手に決めるなよ!」
転入してきたばかりの頃、ぼくは教室に居場所がないように感じていた。
そんなぼくに声をかけてくれたのが陽平くんだった。
今と同じように、ニカッと笑っていっしょに遊ぼうってさそってくれた。
正直、最初はこわい人だと思っていた。いつも黒田くんと言い争いをしていたから。
でも話したり遊んだりするうちにそんなことないってわかった。
ぼくは陽平くんを通じて他にも友だちができて、教室にも居場所ができたんだ。
その時からだ。ぼくにとって陽平くんは友だちであり、ヒーローになった。
「いいのか陽平? こいつといっしょにいるとおまえも灰色の人生だぞ?」
黒田くんは、わざと『灰色』という言葉を大きな声で言う。
「そんなこと言ったらおまえはどうなんだよ。『お先真っ黒』とか『黒色の人生』だぞ」
陽平くんがサラッと悪口を返す。
「あの、それを言うなら、お先まっくら、だと思うよ?」
まちがいに気がついたぼくは、国語辞典で調べたことを教えてあげた。
「べ、べつにいいだろ。先が見えないのは同じなんだから」
なぜか陽平くんは顔を赤くしている。
「……今日は旅行先の外国について調べようと思って来たけど、もう帰る」
「おう。さっさと海外へ行っちまえ」
「おみやげを買ってきても、おまえらにはあげないからな!」
「おまえが買ってくるようなセンスのないおみやげ、こっちだっていらねぇよ!」
いつの間にか黒田くんと陽平くんは、言い争いをはじめてしまった。
「ふ、ふたりとも、ここは図書館だから。おしずかに。しーっ!」
このままではいけないと思ってすぐにぼくは声をかけた。
「キサラギジャックなんていない。自由研究勝負はおれの勝ちだ」
黒田くんは、そう言い残して背を向ける。
「キサラギジャックがいないと勝手に決めるな。勝負はおれたちが勝つぞ」
陽平くんが言い返した。
黒田くんの姿が見えなくなり、階段をおりていく音も聞こえなくなる。
これでまた陽平くんとぼくのふたりだけになった。
「ごめんな、拓也」
「え?」
先に口を開いたのは陽平くんの方だった。
どうして謝っているんだろう。
「キサラギジャックさがしに付き合わせてわるかったな」
「どうして……?」
どうしてそんなことを言うの、と聞きたかった。
「じいちゃんの話を聞いている時、すごくこまったような顔をしてたからな」
「……」
「資料室でも同じ顔をしてたんだよ。それ見て、わるいことしたなぁって」
「……」
「拓也はあんまりしゃべらないし、あんまり表情が変わらない。でも、がまんしてる時の顔は、なんとなくわかる。いやなことに付き合わせて……ごめんな」
陽平くんがそこまでぼくのことを見てくれているとは思わなかった。
「雨の日にグラウンドで遊んだ時も黒田との通知表勝負も。ほんと、ごめんな」
ちがう。ちがうよ。
ぼくはいやだなんて思ってないよ。
はじめて雨の日のグラウンドを走りまわったのは楽しかった。
通知表対決も陽平くんといっしょに勝てたからうれしかった。
すこしがまんしたこともあるかもしれないけれど、いい思い出だよ。
「なあ拓也。正直に言ってくれ。キサラギジャックは、本当にいると思うか?」
陽平くんが真剣な表情で問いかけてくる。
「ぼくは……キサラギジャックは……」
いると思う、と言いかけてやめる。
言いたいことをがまんしたらダメだ。
正直に言わなきゃダメだ。
がまんせず、正直に、ぼくの考えをはっきり伝えるんだ。
「キサラギジャックは、いないと思う」
「そうか……」
「でも、まだキサラギジャックがいないと決まったわけじゃないよね?」
ぼくは、さらに言葉を続ける。
「探してみたい。この町のヒーローを見つけたい。陽平くんといっしょに」
「いいのか? いやじゃないのか?」
「そんなこと思っていないよ。今までだって楽しいと思ってるんだから」
「拓也……ありがとな……」
よかった。陽平くんの顔にいつもの元気がもどってきたみたいだ。
「よーし、それならいっしょにさがすぞ。いやなことはいやって言えよ。がまんなんかするなよ。言いたいことはハッキリ言うんだぞ。 俺と拓也、男と男の約束だからな?」
「うん。でも、どうしようか。ほかに調べる方法が思いつかないけど」
「だいじょうぶ。まだおれにいい考えがある。聞きたいか?」
「うん。聞かせて」
「本もインターネットもダメなら人に聞けばいいんだ。な、いい考えだろ?」
たしかにいい考えだと思う。
人見知りせず、だれでも気軽に話しかけられる陽平くんには簡単だろう。
けれどぼくは、人と話すのが苦手だ。
ぼくにできるだろうか。不安と心配で胸がいっぱいになる。
「だいじょうぶだ。聞き込みはおれがやってやるから」
「ありがとう。じゃあぼくは、聞いたことをノートにまとめるよ」
ぼくらは、ならんで歩き始める。話を聞かせてくれる人をさがすために。
棚にはカバーのぶあつい本がずらりとならんでいる。
手におさまりそうな小さな本もたくさんある。
外国語で書かれた本もある。
なんと書いてあるのか、ぼくにはわからない。
大きな机がいくつも並び、そこで本を読んだり勉強したりしている人もいる。
話しかけやすそうな人をさがしていたら、陽平くんがなにか言おうとする。
「……」
「き?」
「気持ちわるい……」
「え?」
「本に、酔った……」
本に酔うなんて初めて聞いた。そんなことあるのかな。
「こんなたくさんの、本を見てたら、うっぷ……」
見る見るうちに陽平くんの顔色がわるくなっていく。
「ちょっと休もう」
ぼくは、休けいスペースに行こうとうながす。
「だいじょうぶ。それより聞き込みしよう」
陽平くんは青ざめた顔のまま答える。
きっと、それだけキサラギジャックさがしを本気でやっているのだ。
ぼくは、右手をギュッとにぎって力をこめる。
「ぼくが聞き込みをするよ」
「でも拓也は……」
「だいじょうぶ。だから、陽平くんは休んでいてよ」
「……そうか。わかった。あとはたのんだぞ、拓也」
陽平くんがニカッと笑う。ぼくも笑い返す。