目くそ鼻くそを笑い、耳くそを妬む
目の前は真っ暗だ。
もちろん、瞼を開ければ、そこには明るいリビングがある。
だが、正面のテレビの画面も真っ暗だ。
女が耳かきに集中するために、消されているのだ。
男の頭は、女の膝、いや、正確に言えば太ももと、ちょっと大きい胸と、そしてこれまたちょっと大きい腹の肉で三方向で抑えられている。
そういえば、頭を太ももに乗せるのに、なぜ膝枕っていうのだろう。男はぼんやりと考えていた。
今は右耳が上だ。
それほど大きいソファーではないため、男の体の半分はソファーからはみ出る形になっている。これが近ごろの腰痛の原因なのかもしれない。
女はテーブルに道具を並べる。竹素材のメインの耳かき、プラスチック製の光る耳かき、先端の尖った普通のピンセット、そしてティッシュペーパーを一枚。
正確には薄い紙が二枚重なっているが、一つまみというのも何だし、ワンセットというのもあれだし、面倒なので”一枚”という表現にしておく。だってくっついてるんだし、それでいいじゃん。
さて、女は道具が一通りそろったのを改めて眺めながら、「手術を開始します」と宣言する。
「手術じゃねえだろ」と男は返す。いつもこんな感じだ。
女は医師でも看護師でもないが、医療系のドラマが大好きだったため、その真似事をしてみたいのだろう。
絶対に失敗しない医師の話、救急患者の対応をする病棟の話、ヘリコプターで現場に駆け付ける医師の話など、いろいろ観ている。初心者だったが成長していく看護師の話だったり、検査技師の話だったり、病院薬剤師の話だったり、困難な病気と闘う患者の話だったり、病院がらみの話なら何でも好きなようだ。
女は、光る耳かきの電源を入れ、男の右耳に入れる。耳の内部が明るく照らされる。まずは、耳の状態を観察だ。
「耳うんち発見!」
「耳うんち言うな」
耳垢、耳くそは言うのに、耳うんちとは言わないのは何故だろう。男は女に言いながら考えていた。
そういえば、テレビなどでは、うんちやゲロはモザイクかけられるよな。目くそや鼻くそや、この耳くそも、万が一テレビで放送することがあったら、モザイクの対象になるのだろうか?
そんなことを考えている間も、耳うんち除去の作業は進む。
メイン耳かきで慎重に耳クソの端をこする。何度かこすると、耳くそと耳の間に隙間ができ、その奥へと耳かきを入れていく。程よいところで手を止め、ピンセットに持ちかえる。耳くそをピンセットでつまみ、そぉーっと耳から剥がしていく。
「うひょっ!取れた!大きいの取れた!」
ピンセットの先には、縦横それぞれ五ミリ程度の、不規則な形の薄い物体があった。女はそのまま手を上に持っていき、天井の照明と耳くそを重ねる。薄い部分は明るく、厚い部分は暗くなって視界に入る。女はそうやって、取り出した耳くそを眺めるのが好きだった。
「ねえねえ、これ、記念に写真撮ろうか。それとも、額に入れて飾っとく?」
「やめてくれ。どうしてもやるなら、写真だけにして」
そして、ティッシュの上にゲットした大物を置き、再び全神経を男の耳の穴に注ぐ。
細かい耳くその屑を耳かきで書き出し、ティッシュに並べる。それの繰り返しだ。
耳かきさてれいる間、男は気持ちよくなってウトウトとなってしまう時もある。だが、今日は、眠気よりも妄想が頭の中を駆け回っている。
確かに耳かきは上手い。耳かきのエキスパートと言えるだろう。プロがいるならプロになれるかもしてない。ここでいう”プロ”っていうのは、それでお金を稼ぐことができるという意味だ。いまだ耳かきを職業にしているという話は聞いたことがない。自分が知らないだけなのかもしれないが。少なくとも世間では知られていない。もし、この女が耳かきする店を開くとしたらどうだろうか?客はくるのか?話題性は高いだろう。少なくとも最初のうちは。固定客をつかむことも大切だな。料金設定も考えなければ。一回いくらぐらいがいいんだろうか。片耳一回百円ではどうか?利用しやすい料金だが、例えば一日の売り上げ一万円を目指すとしたら、百回、みんな両耳するとしたら五十人に来てもらわなければならない。五十人かぁ。難しいな。駅前で店を構えるなら可能かもしれないが、そうなると店の賃貸もそれだけ高くなってしまう。
客は多くても二十人が限度じゃないだろうか。とすると、一人当たり五百円、片耳二百五十円になるな。耳掃除だけで五百円かぁ。それも難しい気がするが、払う人は払うかもしれない。ようするに、客が満足できるサービスができるかどうか、にかかっているな。
「はい、反対」
「あ、はい」
男が妄想しているうちに、耳掃除が終わる。
次は左耳を上にするのだが、このまま体を捻ると、顔がお腹の肉に密着して、息ができなくなってしまう。そのため一旦立ち上がってソファーの反対側へと移動する。今度は女の左側から頭を太ももに乗せる形になる。相変わらず体の半分はソファーからはみ出る。さっきとは反対方向なので、腰痛もプラマイゼロにならないだろうか、と男は思ったりしてみる。
それはないか、と自分で思い、フッと笑みがこぼれた。
「何か面白いことあったん?」
「いや、別に」
「にやついてたやん」
「なんでもないよ」
男は説明するのが面倒だったので、何とかごまかす。説明するのが苦手で、言ったところで分かってもらえるかも分からないし、仮になんとかして伝えることができたとしても、どうでもいい話だから、「くだらない」で返されて終わりだ。そんなことのために労力を使う必要もない。いつも男はそんな考えで、妄想していることのほとんどは人には伝えていない。
左耳も、同様に内部の確認から始まる。
耳かき型のライトで耳の中を照らす。耳かきとしても使える形をしているので、照らしながら耳かきすることを想定して作られたモノなのだろうが、先端が太目で耳かきとしての機能がうまく果たせないので、ライトとして利用しているのだ。
耳の奥を照らすなら、光ファイバーを利用したライトがあればよさそうだな。今度ネットで探してみようか。
ガサガサ、ゴソゴソ。
耳垢が削り取られているような音が聞こえる。
「ガサゴソいってるね」
同じ音が聞こえているのだろうか。それとも耳かきを持つ手の感触だろうか。
「こっちもたくさんある」
女の機嫌よく微笑む。
「イテッ!」
「あ、ごめん」
奥まで突っ込みすぎだ。たまにやるんだよなぁ。これじゃ、店出すのは無理だな。クレームや障害賠償で赤字になるな、絶対。
体を起こそうとすると
「待って、まだあるから」
と続けようとする。痛いって言ってるのに。それでも従ってしまう。
きっと耳垂れでグチュグチュになるだろうなぁ。その耳垂れも一日も経てば乾いて固まって耳くそ同様になり、この女を喜ばす材料になる。
普通、耳かきは月に一度がベストだ。やりすぎると、耳を傷めてしまうのだ。
それに、耳くそが溜まる前に耳かきしても、細かい粉状の耳くそが取れるだけで、耳かきのやり甲斐が無い。
一般的にはそうなのだ。
だが、自分の場合は、何故か一日でたくさん溜まる。そういう体質だ。いつのころからか、そんな耳くそ状況だ。
いつも職場で嫌な話を聞かされたり、理不尽なことで怒られたり、耳を塞ぎたくなることばかりだ。それでも、上司の前で怒られている最中に耳を塞ぐなんてことはできない。
だから、耳くそが耳を塞ぐ役割でたくさん溜まり、ショックを和らげてくれているのかもしれない。ありがとう、耳くそ。
さらに、耳かき大好きな嫁にとって、耳くそは夫婦円満の材料にもなっている。ありがとう、耳くそ。
目くそは鼻くそを笑うらしい。目くそも鼻くそも汚い扱いされる運命だから、どっちもどっちだし、自分のこと棚に上げて何言うてんねん、ってことなんだろうけど。
じゃあ、目くそは耳くそも笑うのだろうか。耳くそは、目くそや鼻くそとは別物だろう。耳くそを取る道具はあるが、目くそを取る道具や鼻くそを取る道具は無いはずだ。いや、そういう問題でもないのだろうが。耳くそは他人が取ることに違和感はないが、目くそや鼻くそは他人に取られると恥ずかしい。仮に、目くそを耳かきのような道具で取られるとしたらどうだろうか。あ、奥に入れすぎたーって眼球が飛び出してしまう映像が脳裏をよぎる。一人で青ざめた。
「どうかした?」
「いや、なんでもない」
そんなこんなで、耳くそは、目くそや鼻くそとは一緒にしたくない。そんな風に思った。とすれば、目くそは、耳くそを笑うどころか、妬むかもしれない。
「終わり~。次、目うんちも取る?」
「それだけはやめてください」