滑走路
夕刻の木洩れ日は断末魔だ。
近づけばいつかは触れられるものだと信じていた。だがそれは勘違いだった。正確に言えば、誰かにとっての自分が特別な存在であるという都合の良い解釈をした、尊大で贅沢な勘違い。
そしてこれは、終末際にようやく自らの過ちに気づいた人間の末路。
結局ただの凡人に過ぎない僕は、理解者であると偽善ぶって、実際には彼女にとって侵略者でしかなかったのだ。
この人となら理解し合えそうだ、なんて。
未熟だ。甘い。
そうだ。
本当は必要ではなかった。
ただ、他人軸で生きることが癖になってしまった彼女が、僕にそういう錯覚を起こさせただけ。
きっとそれだけなんだ。
僕の人生に角南馨が現れたのは高一の夏で、その日は青の水彩絵の具がもう少しでなくなることを見越して画材店に来ていた。
夏に彷徨う万緑が頭上でさざめき、季節を投影する極彩色が痛いほど目映かったのを覚えている。
その頃目に写る誰もが馬鹿に見えて仕方なかった僕は、初対面でありながら「君がどんな絵描くのか見てみたい」なんて言う角南馨も同様に馬鹿に見えて仕方なかった。馬鹿に見える、というのは他人に興味を持てないが故に作用する一種の他者嫌悪。あるいは、誰かと無理に関わることで作り着飾る自分への自己嫌悪。自分に自信がないのと同時に他者を見下している、自分でも理解しがたい自己矛盾。
素直に生きることができたなら、どんなに楽だろうと何度も思った。
だが僕の体に染み付いた生き方は、今さら変えようもなかった。
僕のことは僕が一番嫌いだ。
だから、傷つけたこと、本当に悪いと思っている。
相変わらずだと、誰かがため息をつく。
それでも君らしくていいねと、誰かが微笑む。
もう怒ってないよと、誰かが背中を押す。
呼応して、二人だけの世界に終わりを鳴らす。
そして僕は、憧憬の君に告ぐ。