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73 旅行前日

 ガーシュの話を聞いてから、一人になると胸騒ぎがして仕方なく、溜息の数が増えた。


 これでも元は皇女である。淑女教育の敗北、ではあれど、皇室の人間として隠し事をするのは当たり前にできる。


(……下手をしたら、今度は、本当に生贄……)


 アグリア様の前でも、バルク卿の前でも、メリッサやグェンナの前でも、少しも顔にも態度にも出さなかった自信はある。


 のに、バレたのだ。


「王太子妃殿下、少々お時間を頂いても?」


「イーリャン? えぇ、かまわないわよ」


 バルク卿の執務室から出た所で声を掛けられ、抱えていた書類をイーリャンに取り上げられると、すぐ隣のイーリャンの執務室に入った。バルク卿とは暫く王宮を開けるので、頼んでいた仕事の引き取りと、いない間に頼む仕事を話していたのだ。


 人払いがされているので、秘密の話にはちょうどいい。仕事の部分にいる間、私は別段男性と2人きりになっても誰からも何も言われない。それが業務だからだ。


「私も護衛の一人に加えてください」


「……イーリャン」


「バルク卿にはお願いしてあります。王太子妃殿下が許可を出せば構わない、とのことでした。実際に、城を開ける支度はもう済んでいます」


「待って。どうしてそうなるの? イーリャン、あなたが護衛につく意味は?」


 言わなければだめか、とばかりに額に手をついて溜息を吐いたイーリャンは、私に真剣な目を向けてきた。


「貴女が何も知らなければ……、それでよかったのです。ですが、知りましたね? 忠告で済んだことが、貴女が知った事によって、現実味を帯びた。この国には馴染がないでしょうが『言霊』を重んじる四神教では、いけません。貴女を見殺しにする程、私は貴女個人を嫌っていない」


 ここまできて言い訳する程、私はイーリャンを甘く見てはいない。イーリャンが敢えて濁した言葉で道中お気をつけて、と言った言葉で、私は実態を探ってしまい、知ってしまった。


「私が余計な忠告をしたせいなので、責任の一端は私にあります。貴女は、四神教を許容してくれた。無関心ではなく、知った上で信じてくれた。……貴女が歓待されること、丁重に扱われること、それらの理由を垣間見た気がします。私は、貴女を見殺しにしたくない」


「……貴方がついてくれば、どうなるの?」


 イーリャンに武術の心得は無いだろう。四神教の話や、イーリャン自身の考えを聞いた限り、違う宗教の国へ行くのはよいことに思えない。


「ドラグネイト王国のボグワーツ卿の言葉を覚えていらっしゃいますか?」


「えぇ……と、神と名付けた人智を超えたものへの、信奉……のこと?」


 夕陽を背に、イーリャンは机に両手をついて身を乗り出した。入口近くに立っている私とは距離があるが、逆光で表情が見えない。その迫力に気圧される。


「そうです。信じる物は違えど、そこは何も変わりません。まして、リーナ教ウェグレイン派は古くから同じ神を信奉している。私のような、不思議、に触れている人間を一人はつけておくべきです」


「それは、貴方は危ない目にあったりは……?」


「問題ありません、貴女が安全な限りは」


 つまり、私が危ない目にあう時にはイーリャンも巻き込まれるということらしい。


「何も、護衛としてではなく、通訳としてねじ込んでくれればいいのです。一人くらい増えても2週間の旅程ならば問題ないでしょう?」


 王都から近い2国にしたとはいえ、言葉は当然違う。私も話せるが、通訳がつくのは体面上もいいことだ。


 言語やある程度の文化は理解できるにしても、いちいち私がアグリア様の通訳をするのは、確かによろしくない。


「……わかったわ。アグリア様にお話しておく。身支度は済んでるの?」


「一応は」


「……ごめんね、イーリャン。まさか……、私、知らない方がよかったことがあるなんて……」


 私は、隠し通していたつもりでいても、こうして好奇心から他人を巻き込むことになるとは思っていなかったことと、安心感から涙を流してしまった。両手で顔を覆って、泣き顔を隠して俯く。


「……女性の涙というのは、私の最も嫌悪するものの一つですが――」


 言われて、どうにか泣き止もうとするものの、この3日程ずっと頭の中を嫌な想像に蝕まれながら過ごしていた私は、どうしても涙がとまらなかった。


 コツコツと近付いてくる足音が目の前で止まると、綺麗なハンカチが差し出される。


「貴女はよく、堪えましたね。並みの女性にできることではありません。大丈夫、何も心配しなくとも、必ず守ります」


 私に触れることはしない。けれど、差し出されたハンカチを黙って受け取った私は、イーリャンの前でしゃくりあげて泣いた。


 死の恐怖を一人で抱え込むこと。それはこの国に嫁いできた時にも経験したはずだが、私はバラトニア王国の人間になってから、随分と自分の命も時間も惜しくなったようだ。


 子供のように泣く私に椅子を勧めて、イーリャンは黙って側にいてくれた。

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