第22話 ステラ、新たな海の支配者となる
水流カッターに削られ、海獣の首元から血しぶきが上がった。
でも、しばらくすると傷は塞がり、噴き出す血も見る間に止まる。
私と海獣との綱引きは、完全な膠着状態に陥っていた。
「あいつ、結構な量の血を放出したと思うんだけど……」
「自己回復で、失った血もその場で補充してるんじゃないか?」
「ミランもそう思う? 私も、そんな気がするんだよね」
貧血に陥るような様子は見えない。
どうやらこのまま、私と海獣との魔力量勝負になりそうな予感……。
水流魔法を維持する私の魔力が尽きるのが先か、自己回復を繰り返す海獣の魔力が尽きるのが先か。
私も魔力の量には自信があるけれど、あくまで人間基準での話。
長い年月この大海原を支配してきた海獣の魔力量との比較となると、正直掴みきれない。
「このままあいつと根比べをしても、分が悪いかも……」
「そうは言っても、他に手立てはないんだよね?」
どうするの、とミランは私に顔を向け、小首をかしげた。
「現状、少なくともあいつの圧縮水流は抑えられているし、どうにかこの状態は維持したいところね。とにかく、ミランは《騎乗》がうまくいくように頑張って。私も、他になにか手段がないか、考える!」
「わかったよ!」
ミランは視線を自分の手元に戻し、目を閉じた。
「さて、どうしよう」
私は水流カッターを放ちつつ、海獣の首元を注視した。
再び海獣の首から血が吹き上がる。
そのとき――。
「クッ!」
ちょうど強めの風が吹いたために、空中を舞っている血の一部が私たちに降りかかってきた。
生暖かい血が頬を伝う。
「うわっ、気持ち悪……。まさか、血に毒なんか混じってないでしょうね」
身体に付着した血液を、念のため水流魔法で吹き飛ばした。
乾く前なら、血液だって液体には変わりがない。水流魔法で操作できるだろうと踏んでの処置だ。
「ここまできて、血液に混じった毒でやられましたー、だなんてイヤだしね」
試みがうまくいき、安堵する。
瞬間、フッとひとつの考えが私の脳裏をかすめた。
「って、もしかして……」
私は右手で水流カッターを維持しつつ、左手で海獣の背に触れた。
「どうしたの、ステラ?」
「思ったんだよね……。もしかしたら、《水流魔法》でこいつの体内の血液、操作できるんじゃないかって」
ミランに顔を向けて、私はニッと笑った。
「マジ?」
「マジよ! さぁ、にっくき海獣! 虚血でもだえ苦しむがいいわ!」
私は叫ぶと、左手から《水流魔法》を放った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
一時的でもいい、血流を止めて脳への酸素の供給を遮断してやれば、さすがの海獣でもひとたまりもないはず。
うまいこと意識を失ってくれれば、ミランの《騎乗》もうまく決まるに違いない。無理に倒しきる必要はないんだ。
私は転生前に生物の授業で学んだ知識を思い出しつつ、左手に意識を集中した。
だが――。
『グギュルルルッ!』
海獣はわずかに不快感を示したものの、一向に意識を失う様子は見せない。
「ダメなの!?」
何度か左手から《水流魔法》を発動しようとしたけれど、うまくいかない。
「抵抗、されている?」
生きた生物の体内を巡る血液を直接操作なんて、さすがに無理なのかな。
さっき海獣の血液を水流魔法で振り払えたのは、体外に放出されたものだったせいかも。
原因を探ろうと、私は必死に思考を巡らせた。
「でも、あいつの血流を止めるっていうのは、方向性としてはいいと思うんだよね」
自己回復で外傷には強くても、虚血による細胞への酸素供給の遮断には、きっと対抗できないはずだ。
膠着状態を打破するには、これ以外の手はないように思える。
再び、海獣の首筋から血しぶきが上がった。
「あれっ?」
吹き上がる血液を見て、ふと思いついた。
どうして体内の血液に対する水流魔法が、うまくいかなかったのか。
考えられる原因としては、二点。
一点目は、対象の液体を術者の私が直接視認できなければ、水流魔法で操作ができない可能性。
これまで私が使った水流魔法は、いずれも対象の液体を直接目で確認できる状態で使用していた。
もう一点は、生物体内にある液体は、生物の何らかの抵抗力が作用して、水流魔法自体がはじかれる可能性。
もしこれが原因なら、体外から直接、水流魔法であいつを虚血状態にするのは厳しそう。
でも――。
「今って、操作対象の液体を、しっかりと視認できる状態にあるよね」
前者が原因であるならば、今ならうまく水流魔法を発動できるはず。
「それに――」
後者が原因だったとしても、このタイミングであれば、うまくいく見込みがありそうだ。
傷口から吹き出す瞬間の血液なら、海獣の体内を巡っている血液とまだ直接繋がっている。その血液を操作できれば、体内の血液についても、もしかしたら間接的に……。
「試すしか、ないわね!」
左手を海獣の背から離し、血が吹き出している傷口に向けた。
「さぁ、今度こそ、虚血で苦しみなさい!」
私は声を張り上げ、吹き上がる血液に向かって《水流魔法》を発動した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『グギュ……』
海獣は弱々しく叫び声を上げ、長い首をふらふらさせ始めた。
「やった! うまくいったわ!」
海獣は、明らかに今までとは違う反応を見せる。
「ミラン、《騎乗》はどう?」
私は振り返り、ミランの様子を窺った。
「さっすがステラ。うまくいったよ!」
ミランは親指を突き立て、ニッと笑った。
私はホッとため息をつくと、《水流魔法》を解除した。
《騎乗》が成功したのであれば、もう水流魔法は必要ない。
海獣の傷が見る間に修復されていく。
虚血状態から解放されたせいか、首のふらつきも収まっていた。
「それにしても……」
私はキョロキョロと周囲を見回した。
「すっかりおとなしくなったわね、こいつ」
「《騎乗》がしっかりと発動しているからね。みてよ、ほらっ」
ミランの声に合わせ、海獣が前脚を動かしはじめた。
「僕の意のままに動いている」
「すごい……わね。ということは」
「そう、僕たちはあの悪名高い海獣を、完全に従属させたってこと」
弾むミランの声を聞いて、私は胸の奥からじわじわと達成感がこみ上げてきた。
船からもみんなの歓声が聞こえる。
あぁ、私たちは成し遂げたんだ。
二百年間、海を支配し続けた凶悪な魔獣を、この手で打ち破ったんだ。
もうこの大海原に、私たちを遮るものはなにもない。
「これで……」
私はぎゅっと両拳に力を込め、空を見上げた。
「これで、私たちが、新たな海の支配者になったんだっ!」
天に向かって、声の限りに叫んだ。
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