嵐の幕開け(中篇)
どうも、SYSTEM-Rです。今回、蒼が前話の最終盤で抱いた違和感の正体が明らかになります。そして終盤では、思わぬ緊急事態が…。それではどうぞ。
「ねぇ、機関長。うちら、何ん因果でCICなんかに呼ばれやるがですかねぇ?」
灰原美弥一等海尉は艦内の廊下を歩きながら、横を歩く茶谷早苗三等海佐に向けて口を開いた。6分隊のNo.2、黒川の直属たる測量長を務める灰原は、同じ九州は博多生まれの現在28歳。仕事中はともかく普段は気さく且つざっくばらんな性格で、部下たちからも慕われる存在だ。東京から移住してきた経験を持つ階級的にも年齢的にも上の40歳で、真面目な職人気質の機関長・茶谷とは対照的な存在と言えるかもしれない。
「さぁね。呼ぶべき事情があるから呼ばれてるんでしょうけど」
「そん事情が問題なんじゃなかですか。ね、なんか見当つきます?」
「まさか。私に聞かれても困るわよ。そんなもの艦長にしか分かるわけないでしょ」
茶谷は肩をすくめる。茶谷と灰原はつい数分前、艦内放送で蒼から直々にCICまで呼び出しを受けていた。「確認したいことがある、特別に入室を許可するから大至急来い」と言われただけで、詳細については2人とも何も聞かされていない。ただ、呼び出しの時の音声がどうもただならぬものに聞こえたのは確かなので、何かしら重大な事案なのだろうという見当だけはついていたのだった。
「まぁ、3分隊と6分隊所属の私たちを、わざわざ特別に許可してまで呼び寄せるんだから、何かしらの考えはあるんでしょ。よほどの異例の措置だとは思うけど」
「確かに、CICへん立ち入り権限ば持っとるんは乗員ん中でん、1分隊と2分隊ん海曹以上ん人間だけですけんねぇ。うちには縁んなか場所やったはずなんに。…、まぁ、めったになか経験ばしきるけん、ぶっちゃけちょっとだけ楽しみですたい」
「やれやれ…、たまにあなたのそのお気楽さが心底羨ましくなるわよ」
ため息をついた茶谷の目の前に、CICへの扉が姿を現した。戦闘時を含めた各種任務の指令が下され、任務中の周辺状況についての情報も一元的に管理される、文字通り戦闘艦にとっての中枢であり心臓部。この船にとっての最重要区画である部屋への立ち入りを前に、流石の灰原もその重苦しさで口をつぐむ。一つ大きく息を吐いた後、まず茶谷が内部に向けて声をかけた。
「茶谷三佐、入ります」
「灰原一尉、入ります」
2人の士官が中に入ると、そこには今まで2人が目にしたことのない光景が広がっていた。LEDの照明で照らされた室内には大小様々なモニターや管制装置がところ狭しと並び、それらの前では第1分隊・砲雷科の隊員たちが自らの仕事にあたっている。そして彼女たちの中に、ひときわ強い存在感を放つ者がいた。それがこの艦のトップたる蒼であることに、2人は難なく気づいたのだった。
「お疲れさま、機関長に測量長。突然呼び出したりして悪かったわね」
「いえ、とんでもない。それで、早速ですが用件とは?」
真面目な表情を崩さない茶谷に、蒼は「ちょっと2人とも、これを見てほしいんだけど」と背後にある大きなモニターを指さす。そこには日本を含め、CG処理された極東地域の地図が映っていた。その中に、船舶を示す2つの細長い五角形が映っている。鹿児島沖あたりにあるのが「ふそう」、目的地たる上海沖にあるのが「オリオン」であるということに、2人はほどなくして気づいた。
「凄か、CICんメインモニターってこうなっとるんやね…」
思わず灰原が小さく声を漏らした。
「これが我が船とオリオンの現在位置、ですか」
「えぇ。それで先程、オリオンの若林船長に事故当時の状況などを無線でお伺いしたのだけれど…」
蒼はそこまで言うと、一度意味ありげに言葉と目線を切った。再び顔を2人の方に向けた彼女の口から発せられた言葉に、思わず彼女たちが怪訝そうな表情を浮かべる。
「彼の証言が正しいと仮定すると、本事案には明らかに不審な点がいくつかあるの」
「不審な点、ですか…?」
「えぇ」
蒼がはっきりと頷いたのを見て、茶谷と灰原は何事か分からず思わず顔を見合わせた。そんな彼女たちに向かって、蒼は問いかける。
「例えば、今回の事故が起こった原因。現時点でオリオン側でもまだ特定はできていないそうだけど、彼ら自身はそれと気づかずに船体が岩礁に接触したか、スクリューのプロペラに海洋生物の群れを巻き込んだか、そのあたりだと見ているそうよ。そのどちらにせよ、航行中に一度大きな衝撃があり、それによって大きく船体が振られたと証言しているわ。だけど…」
蒼はそこまで言ってから、スクリーンの方を一度振り返る。
「このモニターに映っている状況から考えて、果たしてそれは本当に事故原因として妥当と言えるかしらね…?」
その言葉に、2人の士官は怪訝そうな表情を崩さないままモニターを睨む。しばし考え込んだ後、何かに気づいて「あれっ」という表情を先に浮かべたのは灰原の方だった。
「艦長、あん海域で『オリオンが岩礁にぶつかった』いうんはおかしゅうなかですか」
その言葉に、CICにいた人間全員が彼女の方に振り向く。
「東シナ海ん日本側海域には、つい先週うちら自身が任務で来とったばっかりですたい。そん時ん調査結果と照らし合わせやったら、不自然いうこつばすぐピンとくばい」
灰原の言葉通り、ふそう乗員たちはちょうど1週間前、測量と海図作成業務のために今回の現場近海を訪れていた。その時の調査結果で、改めてはっきりと確認したことがある。この辺りは比較的浅いとはいえ地形は平らで、岩礁と呼べるのは東亜連邦と韓国が領有権を争うソコトラ岩くらいしかないと。大体、そのソコトラ岩だって同じ上海沖とはいえど位置的には黄海寄りだから、現場海域からは離れた場所なのだ。
「大体、いくら東シナ海が浅か海言うても水深は200mあるとですよ。オリオンはVLCC(大型タンカー)クラスとはいうばってん、ばってん普通に航行しとってぶつかるような暗礁ば、あん海にはそもそもなかですって」
灰原がそう付け加えて肩をすくめたのを見て、今度は茶谷が口を開いた。
「そういえば、オリオンは排水量16万5000トンと聞きましたが」
「えぇ、私も司令からはそう聞いています」
訓練に協力した山村三尉と同い年の茶谷。階級的に下の人間には、親しみを込めつつ全員平等に接するという意味を込めて、多少年上であろうとも基本的にタメ口で接するスタイルの蒼ではあるが、流石に10歳も年上の直属の部下が相手だと思わず敬語が飛び出る。思わずそうさせてしまうような雰囲気を、彼女が持ち合わせているという証拠だろう。
「それだけの巨大な船が動けなくなったというなら、機関部には恐らく相当な損傷が生じているはずですが、その予兆などはあったのでしょうか?」
「いいえ、若林船長曰く事故の直前までは何も発見されなかったと。点検作業も全てマニュアル通りに行われていた旨証言されています」
「そう…ですか。中東からの長旅ですし、もしも事前に予兆現象が何か発見されていたのであればそちらの可能性を疑えたのですが…。そうでないのだとすれば、プロペラに海中生物の群れを巻き込んだくらいのことで船が動けなくなる、とは流石に考えにくいかと」
茶谷がそう自分の見解を述べた時だった。
「艦長。差し出がましいようですが、私からも1つよろしいですか」
脇の方から声がする。声の主は、沢渡に次ぐ砲雷科のNo.2で対潜戦闘におけるリーダー格である、水雷長・我那覇翠一等海尉だった。沖縄出身の28歳で、配属は違えど同じ一尉の灰原とは、同い年かつ入隊同期生という間柄である。
「我那覇一尉、発言を許可します。どうぞ」
蒼に促され、自身の持ち場に座っていた我那覇は立ち上がると、こちらに歩み寄りながら自身の見解を述べ始めた。
「私も、機関長の意見に同意します。言葉は悪いですが、いくら沿岸警備隊最大級とはいえ満載排水量10000トンに満たない我が船ならともかく、16万5000トンもの巨大船舶を暗礁への衝突や、海中生物の巻き込みごときで止められるはずがありません。まして、衝撃で転倒者が出るほどの揺れを起こすなんて、よっぽどのことでしょう。相当な破壊力を伴った衝撃でなければ、そんなことは不可能なはずです」
そこで、我那覇は立ち止まった。その目が、艦長である蒼の顔を捉える。
「それともう1つ、もしもこれが本当に自然発生的に起きた事故であるなら、若林船長がもう1つ証言しておられた『監視飛行をするように頭上を飛んだヘリ』についての説明がつきません」
「ヘリがオリオンの頭上を飛んでた?若林船長がそんなことを?」
「えぇ。わずか数分とはいえ、自分たちを監視でもしているかのように飛んでいて、船員たちも不審がっていた、と」
茶谷が聞き返したのに対して、蒼ははっきりと頷いた。
「あくまでも、あのヘリコプターと今回の事故の間に関係があると仮定しての話ですが…。そもそもヘリコプターが海上、それも船の上を飛び回るなんていう状況自体、限られたパターンしか考えられないと思いませんか」
我那覇はそこまで言うと、よりシリアスさを増した顔つきで決定的な一言を放った。
「若林船長は、どこから飛んできた機体なのか特定できなかったようですけど、オリオンが辿ったであろう航路や諸々の状況を照らし合わせれば、我々軍人ならおおよそどこの所属かは推測できるかと思いますが」
「…、やはりあなたもそう思うのね、水雷長」
蒼は静かにそう呟いて、部下の顔を見返した。他に、この場に言葉を発する者はいない。何かをはっきりと確信したような、そのどこか不気味なほど静かで落ち着いた声色に、その場にいた誰もが背中にゾクッとした寒気を覚えていた。我那覇が一度頷いたのを見て、蒼は一呼吸おいてからヘッドセットの電源を入れた。
「ヘッドクォーター、ネプチューン。司令、緊急でお知らせしたいことがあります」
交信の相手は、佐世保に残っている播磨だった。蒼が口にした「ネプチューン」とは、ローマ神話における海の神からとられた「ふそう」のコールサインである。蒼は播磨に対して若林の証言や、それに対する自身や部下たちの考察を伝えた後、我那覇を除くその場の誰もが驚くような結論を彼に対して述べた。
「…、以上述べたとおり、本事案には単なる事故として片づけるには不審な点が多々あります。状況から判断するに、本件については敵国潜水艦による通商破壊活動の可能性を疑うべきかと」
「通商破壊…だと…!?」
播磨だけでなく、その交信を聞いていたふそう艦内の乗員も全員が思わずどよめく。CICにいた面々もお互いに顔を見合わせた。通商破壊とは、すなわち物資輸送を手掛ける民間船舶に対する攻撃である。仮に事実だとすれば、当然れっきとした国際法違反だ。
海洋国家日本にとって、シーレーンによる海上輸送は絶対に寸断されるわけにはいかない物流の大動脈。アジア海洋戦争が勃発したのだって、間接的にはそれが日本側から見て脅かされたからという側面もあるのだ。旧海自にとっても、もちろん現在の国防海軍にとっても、シーレーン防衛は絶対に欠かすことのできない最重要任務の1つと言える。そこに打撃が加えられたとなれば国家の一大事である。
「仮にそうだったとして、どこの国の所属か見当はついているのか?」
「現時点では、どこの国からの攻撃かは不明です」
「いずれにせよそのワードを出すからには、ある程度はっきりとした確信はあるんだろうな。通商破壊はれっきとした軍事作戦だ。お前の見立てが本当ならば、本件は海軍マターということになる。我々だけでは手に負えなくなるぞ」
ヘッドセットの向こうから聞こえてくる播磨の声も、どこか震えていた。
「もちろん分かっています。至急、国防海軍第2護衛隊への出動要請実施を具申します」
「分かった、すぐに手配しよう」
「それともう1つ、お知らせしておきたいことが」
蒼は畳みかけるように、上官に対してもう1つの提案を行った。
「万が一、件の潜水艦が依然現場付近に潜航していて、本艦自身にも攻撃を行った場合、救助したオリオンや本艦の乗員にも危険が及ぶことになります。我が船にも対潜戦闘能力は十分に付与されています。その際は状況に応じて自衛措置を採ります」
「あまり想像したくはない展開だが、そうなればやむを得んな」
播磨はそう応じた一方で、しっかりと釘を刺すのも忘れなかった。
「ただし、あくまでも諸君に命じたのは海難対処任務だ。22名の乗員の救助が最優先事項であることを忘れるな。そこを疎かにしてはならんぞ、いいか」
「ハッ!!」
そう答えてから、蒼は司令部との通信を終えた。その目が再び眼前のモニターを捉える。一つ大きく息を吐いてから、彼女は命令を下した。
「合戦準備」
合戦準備。その四文字を全員が一度頭の中で反芻する。戦闘に、それも実戦に備えろという旧海自から伝わった号令だ。この命令が下されることはすなわち、ふそうが「大型巡視船」から「軍艦」へとその役割を転換することを意味する。
「合戦準備!!」
「防護服着用急げ!!」
数秒の間を置いた後、CIC内部は一気に慌ただしくなった。蒼はそのさなか、茶谷の方に振り返る。彼女自身もまた、これから起こりうることを予感して緊張感のある表情を浮かべていた。
「機関長、直ちに配置について加速機の起動準備を」
CODAG(COmbined Diesel And Gas turbine)と呼ばれる方式で機関を運用するふそうには、IHI-SEMT 16PC2-5 V400ディーゼルエンジンと、LM2500ERガスタービンエンジンが2基ずつ併設されている。通常は航続距離と燃費を優先してディーゼルのみで運用するが、燃費を犠牲にしてでも機動性とスピードが求められる有事の際には、ガスタービンも併用してさらなる出力を得る形がとられていた。
「ハッ、すぐに手配します」
茶谷はそう答えてから、「攻撃が行われたことはほぼ間違いないと見ている、という認識でよろしいんですね」と確認の意味も込めて問いただす。それに対して、蒼は静かに頷いたのだった。
「少しでも可能性があるなら、それはケアすべきですよ。想定外が起きてからでは遅い」
「右舷前方にタンカー視認!!右30度、距離25000!!オリオンと思われます!!」
艦橋に蒼が戻ってから1時間ほどが経った頃、航海科の海士が叫んだ。その声に、戦闘に備えて防護服に着替えた航海科の隊員たちが一斉にそちらに注目する。確かに、右舷前方にまだ小さいながらも、白・黒・オレンジの3色で塗装された大きなタンカーが姿を現していた。青空の下、海上にポツンと停止したままの状態になっている。
「恐らくあれ、ですかね」
佐野倉が呟く。
「えぇ、私もそう思うわ。そろそろあちらにも連絡を入れておきましょう」
そう答えた蒼が、ヘッドセットの電源を入れようとしたまさにその時。突然、その眼前のタンカーから黒煙と火柱が上がった。
「っ…!?何事!?」
「ばっ、爆破閃光視認!!前方のタンカーからです!!」
大慌てで艦橋の外へと飛び出した蒼が見つめるその先で、タンカーからは黒煙が黙々と天に向かって上がり続ける。その異様な光景に思わず青ざめた蒼に向かって、今度は佐野倉が叫んだ。
「艦長!!オリオンより、メーデー呼び出しです!!」
その声に、蒼は急ぎ艦橋内へと戻る。無線機からは、若林の緊迫した声が響いていた。
「メーデー、メーデー、メーデー。こちらはオリオン、オリオン、オリオン。メーデー、オリオン。現在地は北緯30度13分15秒、東経124度45分48秒。機関室にて爆発発生、至急救助されたし。乗船人数は22名。メーデー、オリオン。オーバー」
不幸にもその音声で、前方の爆発炎上中のタンカーがオリオンであることが確定してしまった。蒼は急いで、若林に向かって船舶無線で呼びかける。
「オリオン、オリオン。こちら沿岸警備隊ふそう、応答願います」
「あぁ、よかった…。沿岸警備隊ふそう、こちらオリオン。どうぞ」
応答してきた若林の声は、緊急事態の中にも安堵で感極まっていた。
「若林船長、真行寺です。現在、本艦は右舷前方25000の位置に貴船を視認しています。これよりただちに皆さんの救助に向かわせていただきます。皆さんにお怪我は?」
「真行寺艦長、ありがとうございます。他の乗員はまだこれからですが、私はひとまず大丈夫です」
「分かりました。早速ですが、そちらの救難ボートは使える状態でしょうか」
「2つ備えていたうち1艘は大丈夫ですが、もう1つは爆発の衝撃でクレーンから外れてしまいました。どうやら海上に落下したようです」
「では、救助の実施にあたりどこかに本艦が接舷することは可能ですか」
その問いかけに答えたのは、若林ではなかった。おそらく40代と思われる、彼よりも若い男性の声が無線機を通じて聞こえてくる。
「真行寺艦長、オリオン一等航海士の真田と申します。せっかくのお申し出ですが、残念ながら接舷は状況的に難しいと思われます。現在はまだ辛うじて機関室内の爆発にとどまってはいますが、場合によっては燃料や積み荷にも引火するかもしれません。そうなれば本船はもちろん、貴艦まで危険にさらすことになりかねないかと」
「分かりました。…そういう事であれば、プランCでいきましょう」
蒼はそう答えると、最後の手段を2人に提案した。
「我が船には10人乗りの7m型高速警備救難艇が2艘、全天候型救命艇が2艘、それとドクターヘリ1機があります。このうち、警備救難艇1艘とヘリをこちらから出します。それと貴船の救難ボートで、22名は恐らく全員賄えるはずです。負傷者はヘリで救出しますので、残っているボートを下した後に残りの乗員についてはその場で待機させてください。後ほど、うちの警備長の黒川より詳しく指示はさせますので」
「分かりました。では、すぐに準備させます。ありがとうございます」
オリオンとの交信を終えると、蒼は艦内マイクに向けて叫んだ。石油タンカーはその構造上、船橋は機関室の上部にある。状況を放置すれば、連絡役の2人も危険にさらすことになるのだ。もはや一刻の猶予も自分たちには許されていなかった。
「海難対処部署発動!!副長及び全ての分隊長と分隊士は直ちに士官室に集合!!1番艇及びドクターヘリ、全力即時待機となせ!!」
オリオンから9000ヤードほど離れた地点の海中。
「前方のタンカー、ボートとヘリによる救出活動開始。どうやら、来ているのは日本の沿岸警備隊のようです」
「まさか、コーストガードがこんなに早く到着するとはな。流石、東洋の島国の軍人は相当に優秀らしい」
部下からの報告に、その男は呟いた。セリフだけを聞けば称賛の文句だが、その口調からするとむしろ皮肉っぽくも聞こえる。東亜連邦共和国海軍所属の晋級原子力潜水艦「長征2901」艦長、孫俊輝上校(国防海軍でいうところの大佐に相当)。今から約3時間前、「軍事警戒線を侵犯しながら航行しているタンカーがいる」という軍用ヘリからの偵察報告を受けた海軍司令部から、「当該船舶を撃沈せよ」と命じられて出動。オリオンに対する、長魚雷を用いての2度目の雷撃を完了したところだった。
「しかし、本当にあのタンカーに攻撃を仕掛けたりしてよかったんでしょうかね」
彼の右後方に控える副長の黄志成中校がぼやく。
「日本海軍の補給艦ならまだしも、相手は図体がでかいとはいえただの民間船ですよ。兵装を備えているわけでもなし、我が軍に害をなす存在とは思えません。戦時中ならともかく、平時に音声での警告もなしにいきなり攻撃するとは、対応を誤れば後々面倒になるのはこちらの方かと思いますが」
「それくらいにしておけ、副長。我々軍人にとって、党からの命令は絶対だぞ」
すかさず、その言葉に孫が釘を刺す。
「それはもちろん分かっておりますが…」
「私も一個人としてはお前に同意しなくもないが、それ以上続けるようならお前を反国家的思想者とみなして党に告発しなければならん。だが、私とてそんな下らんことで優秀な部下を失いたくはない。…、言いたいことは分かるな?」
「…、申し訳ありませんでした」
「よろしい」
黄が頭を下げたのを見て、孫は発令所の隊員たちに向かって「皆、分かってるな」と声をかける。すぐに声を揃えて「是的、我没有聴到任何消息(はい、私は何も聞いておりません)」という返事が返ってきた。
「それで、これからあの船はどうするおつもりで」
「このまま海中から見物というのも一興だろうが、最終的に確実に撃沈できねば上も納得はしまい。とどめを刺さねばならんな。それに、あいつらを救援しに来たあのやけにでかい巡視船も目障りだ」
孫はそう答えると、その口元に邪悪な笑みを浮かべた。
「たとえどんな理由があれ、我が国の軍事境界線を破った不届き者がタダで済むとは思うなよ。あちらがそう受け取ったかはともかく、少なくとも我が方は警告した。東亜の海を荒らす者には裁きをくれてやれ。命を以て償ってもらおう。…、第2次攻撃用意!!目標、正面の巡視船艇。対艦ミサイル、発射準備急げ!!」
やっぱりお前らかよ東亜連邦!見事に敵のターゲットを言い当ててしまう蒼も流石ですが、ずいぶんと身勝手な理屈で牙をむいてくる彼らはちょっと…、って感じですね。警告するなら事前に音声でもやれよ、という黄副長の言い分も分かるような。
ちなみに当然ながら、この時点でまだふそう乗員は本当にこの攻撃が通商破壊であったことにも、長征2901が近海に潜んでいることにもまだ気が付いていません。既に攻撃準備も始まっていますが、果たしてこの後彼女たちはいったいどうなってしまうのか?次回はそのあたりを中心に描いていきたいと思います。それではまたお会いしましょう。