嵐の幕開け(前篇)
どうも、SYSTEM-Rです。今回からいよいよ本編へと本格的に入っていきます。今回はまだ導入部分になりますが、次回に向けての伏線などは随所にちりばめていますよ。それではどうぞ。
「緊急の依頼とは何でしょうか、司令」
蒼は引き締まった表情を浮かべながら、眼前で椅子に腰掛ける自身の上司である海将補・播磨義晴と向き合っていた。
ここは、長崎県佐世保市は佐世保港の一角にある、佐世保沿岸警備局。前身の海上保安庁時代は第七管区海上保安本部の名で、福岡県北九州市門司区に置かれていたのを戦後に移転させたものだ。この佐世保に限らず、沿岸警備隊は本土から離れた位置にある沖縄沿岸警備局などのごく一部の例外を除けば、基本的に国防海軍と同一の港ないしは同じ都道府県内に司令部を設けている。全国に7つある沿岸警備局では播磨と同様に海将補が局長を務め、その7つを束ねて頂点に君臨する東京・霞が関の中央司令部を、政府から任命された沿岸警備隊長官(階級は海将)が率いているという構造だ。
多額の移転費用をかけてまで、わざわざ海軍と拠点を揃えたのにはもちろんれっきとした理由がある。それは、海軍と沿岸警備隊の間で定期的に隊員の合同訓練を行い、有事における両者の共同交戦能力をより高めるためだ。彼らは戦時には同じ海上戦闘集団として情報共有しつつ、共通のシークエンスに沿って戦闘や哨戒などを実施する。戦時における海軍の特別部門たる沿岸警備隊では、全ての所属艦船が海軍の運用する「海軍戦術情報システム(Naval Tactical Information System, 略称NTIS)」への加盟を法律上義務付けられているなど、両者の一体的運用は従来以上に重要なテーマとされているのだ。
もちろん共通の港を両者が使っていれば、お互いの動きはすぐに相手にも視覚的に伝わる。沿岸警備隊の船が緊急出港すれば、海軍側も「何かあったな」と瞬時に理解できるし、その後に備えた準備がよりしやすくなる、という算段である。そうした計算のもと作られた沿岸警備局の局長室に、蒼は局長たる播磨に呼ばれた。この日、ふそうは外洋での交通整理業務などに備えて、艦内の備蓄食料を搬入するために母港に戻ってきていた。そのさなかに急遽呼び出しがかかったのだ。
「つい先ほど入った連絡だがな。東シナ海を航行中の日本船籍のタンカーから、救援要請が入った。要請したのは帝国汽船所属の『オリオン』、載貨重量は16万5000トンで乗員数は22名。通報時点で北緯30度34分59秒、東経124度2分27秒の地点にいる」
「救援要請、ですか。どういった理由で?」
「機関異常だそうだ。ペルシャ湾から原油を運んでくる途上での出来事だったらしい。何とか動いてはいるようだが、通常の巡航速度よりもかなり遅いスピードしか出せないらしくてな。このままだと海上で立ち往生しかねないとのことだ。整備士がやらかしたか、航行中にそれと気づかずに浅瀬に突っ込んだか、原因はまだ不明だそうだが」
「なるほど…。しかし、その海域であれば沖縄に任せるべきなのでは?距離的にも彼らの方が近いでしょうに、なぜわざわざ佐世保に?」
「その沖縄が、こっちにこの話をよこして泣きついてきたのだ。乗員の救助に耐えられる能力がない、とな」
播磨はそう答えると、一度大きく息を吐きだした。その視線が、眼前にいる部下の姿を再び捉える。
異例の若さで一等海佐という階級にまで上り詰めた蒼は、そのいで立ちからして有能な指揮官としての雰囲気を醸し出している。身長167cmと、一般的な日本人女性の中でも比較的長身の部類に入る彼女の肉体は、軍人として鍛え上げられつつも女性的な曲線美もしっかりと兼ね備え、しっかりと胸を張ったその姿勢がより存在感を引き立てている。
一点の曇りもなくこちらをまっすぐ見つめるその目、邪魔にならないようシニヨンにまとめられたサラサラの黒髪。時には艦長としての冷静さを、また時には1人の女性としての穏やかさをたたえるその顔立ちは、ひいき目なしに見ても非常に整ったものだ。多少年は食っていても、下手なタレントや女優よりもよほど美人かもしれない。
その蒼、あるいは播磨が今まとっている白い制服は、「サマードレス」と呼ばれ夏の間使われるものだ。基本的なデザインは、旧海上自衛隊及びそれを継承した国防海軍が用いる「幹部常装第三種夏服」と全く同じだが、帽章と両肩の階級章のデザインは異なる。階級章について言えば、紺色の地に黄色の桜星が乗る海軍に対し、沿岸警備隊は青色の地に黄色の錨が施されている。帽章の輪郭も、海軍が楕円形であるのに対して沿岸警備隊は盾形だ。かつて海保時代に使われていた制服も、基本的には海軍ベースで作られたものではあるものの、一新されたデザインはより軍事組織としての色合いが濃くなっている。
「確かにお前の言う通り、本来なら彼らにこの件は任せるべきところだろうが、あいにくあそこには中型以下の巡視船や巡視艇しか配備されていないし、その数自体もここと比べれば少ない。万が一の際、22人を乗せて連れて帰ってくるには十分ではないということだ。そこで、次に近い佐世保にお鉢が回ってきた。お前の船なら航洋性も十分だし、サイズ的にも乗員の収容は問題なく可能だろう」
「そういうこと、でしたか」
「それともう1つ」
播磨はそこまで言うと、ふいにその表情をより一層シリアスなものにした。
「オリオンが救援要請を送ってきたエリアだが…お前も気づいたかもしれんが、端的に言えば上海沖だ」
「…、東亜連邦にほど近い海域、ということですね」
心臓の音が、ひときわ高まるのを蒼は感じた。
「そうだ。場合によってはあっちの海軍や海警局の船も近くをうろついているかもしれん。幸い今は戦時ではないが、たった10年前には敵国だった相手だ。万が一何かあった時に、不十分な武装しか持たない巡視船艇では流石に不安だろう?」
「…」
「事態は急を要する。悪いが、早速頼まれてくれるか?」
その問いに、蒼は一呼吸置いた後に自信満々の笑みを浮かべて頷いた。
「もちろんです、司令。人命救助は我々沿岸警備隊にとって、最も重要な任務の一つですから。まして、救援を求めてきたのが同じ日本国民であればなおさらです」
「その言葉を待っていた」
播磨は頷くと立ち上がり、威厳に満ちた声で蒼に告げた。
「真行寺蒼一等海佐、職権を以て海難対処任務に就くことを命ずる。本任務にはふそう乗員と共にあたれ。本作戦の目的は、22名の『オリオン』乗員の生命と財産の安全を確保すると同時に、同船の航行能力回復を可能な限り支援し、日本への帰還を支援することだ。万が一沈没の恐れがある場合は、乗員の『ふそう』への避難誘導などを適切に実施。海洋汚染が発生した際には、その被害を最小限に食い止めるよう対応せよ。以上!!」
「Aye, sir!!」
局長室に、蒼の張りつめた返事が響き渡ったのだった。
佐世保の空は今日も快晴。港の向こうには、キラキラと輝く大海原が顔をのぞかせている。この街で生まれ育ち、幼い頃から海を身近に感じて生きてきた蒼にとって、それはいたって見慣れた光景だ。沿岸警備隊員として今の自分が生きているのも、きっと何かの運命なのだろう。
「副長、司令から詳細は聞いているわね。現在の艦内の状況はどう?」
「はい、つい先ほど連絡を受けました。事務作業のため上陸中の隊員には、直ちに戻るよう命じてあります。残っている者は、出港前ミーティングに備えさせているところです」
蒼が播磨に呼ばれている間、留守を任されていた沢渡がスマートフォン越しに答える。
「私以外は、上陸しているのは全員主計科の子たちだったわよね?」
「えぇ。食料の搬入作業はもう終わって、今は各種書類の提出や整理に行ってます。敷地外にまで出る用事がある者はいませんから、皆すぐ戻ってくるかと思いますが」
「フフッ、航発後帰をやらかす不届き者が出ないといいんだけど」
「もう、艦長ったら。よりによって出港前に、そんな縁起でもないことを仰らないで下さいよ。万に一つでも本当にやらかす隊員が出れば懲戒ものですよ」
沢渡は蒼の軽口にため息をついた。船を降りて陸上へと足を踏み入れることを指す「上陸」や、遅刻して出港に間に合わないことを指す「航発後帰」という用語。これらは旧海保が沿岸警備隊に再編される過程で、もう1つの「親」たる旧海自から輸入されてきた「業界用語」だ。
「やぁねぇ、本気で心配なんかしてるわけないでしょう?自分の部下が優秀な人財揃いであることは、艦長である私自身が一番よく分かってるわよ」
その言葉を笑い飛ばした蒼は庁舎の階段を下りながら通話を終えると、自身のスマートフォンを制服の胸ポケットにしまい込む。建物を出たその先に、自身の船であるふそう型沿岸警備艦1番艦「ふそう」が左舷側をこちらに向けた形で、その堂々たる姿を現した。
旧海保から引き継いだ他の巡視船・巡視艇と同じように、ふそうもまたその艦体は白色で塗装されている。両側面には、「Security」の頭文字である大文字のSを右向きに倒した形でブルーのラインが入り、同じ青色で左側に「MGV-01(MGVは沿岸警備艦を示すMaritime Guard Vesselを意味する)」「ふそう」、右側に従来と同じ「JAPAN COAST GUARD」の文字がそれぞれ描かれている。だが、備えている装備などの細かな部分に目を転じれば、基準排水量7715トン・満載9920トンの大きな身体を誇る彼女は、明らかに他の巡視船艇とは一線を画す存在であることが分かる。
艦首部分には、ともに立入検査訓練でも使われた54口径127mm単装速射砲と、62口径76mm単装速射砲が顔を揃える。127mm砲は沿岸警備隊の中で最大サイズ、76mm砲にしても本来は海軍艦艇に搭載される兵装で、日本国沿岸警備隊にとっての範たるアメリカ沿岸警備隊でさえも「取り締まり任務に使用するには殺傷力が高すぎる」として採用を見送ったほどの威力の持ち主だ。
艦橋構造物の上にはマストの他、捜索と探知に使用する対空・対水上レーダーと射撃指揮装置(FCS)、そして対空迎撃用のファランクスCIWSブロック1B。両舷の中ほどには、68式三連装短魚雷や自走式デコイ(MOD)の発射管が見える。もちろん、これらも本来は海軍に卸されている装備ばかりだ。領海や接続水域だけでなく、時には排他的経済水域と公海の境界線付近をも自身の活動範囲とする沿岸警備艦は、万が一の事態に備えて海軍艦艇とほぼ同等の戦闘能力を付与されているのは既に述べた通り。それは対潜戦闘についても同様で、ふそう型はアスロック対潜魚雷を搭載していないことを除けば「完全に海軍駆逐艦を代替できる」だけの能力を誇る。あくまでも政治的な理由により沿岸警備隊籍としているだけで、彼女たちが「戦闘艦」として扱われていることの裏付けだ。
艦尾には、警備救難艇と全天候型救難艇各2艇ずつを収容するウェルドック。そのすぐ上の一段高い場所に、ヘリ格納庫と後部ヘリ甲板が設置されている。その内部には、これまた海軍との共通装備であるSH-60K哨戒ヘリと、負傷者の救難と搬送用に用いられるMD902ドクターヘリの2機を収容。これらは計20名からなる航空科の隊員たちによって運用されている。戦闘と遠洋での負傷者救出、どちらの非常事態にも円滑に対応できる体制が整っているわけだ。
そしてこの船では、全248名の隊員たちが第1~6分隊という6つの部署に分かれて、日々それぞれの仕事にあたっている。基本的には国防海軍と同一構造で、順に「砲雷科」「航海科」「機関科」「主計科」「航空科」「警備・測量科」で構成。唯一、国防海軍には(少なくとも常設部署としては)存在しないのが第6分隊の「警備・測量科」であり、測量や海図制作といった沿岸警備隊ならではの平時任務の多くは、ここが司る仕組みだ。
その彼女たちをまとめ上げる艦長としての仕事は、もちろん法律的にも道徳的にも多くの責任を伴う重いものだ。ましてやこの船は、沿岸警備隊の中でも最大クラスのサイズと重武装を兼ね備える、まさしく看板の1つと言える存在である。だが、蒼自身はある種その重圧すらもどこか楽しんでいる部分があった。もちろん、それくらいの気構えでなければ30歳の若さでこの職は務まらない、ということは間違いなく言えるだろう。
「艦長、お帰りなさい」
ラッタルを上がりきったところで、1人の幹部(旧海自と同様、三等海尉以上の階級にある士官を指す)隊員が待ち構えていた。第6分隊のトップである警備長こと、黒川響三等海佐。ある意味で、砲雷科以上の「戦闘集団」たる立入検査隊を率いる指揮官らしく、精悍で中性的なルックスと日焼けした肌が印象的な、柳田の直接の上司だ。
「ただいま。艦内では特に変わったことは?」
お互いに敬礼を交わした後、問いかけた蒼に対して黒川は首を振った。
「いえ、おかげさまで特に何も。副長から聞きましたが、海難対処だそうですね」
「えぇ。あなたたちにも大いに活躍してもらう事になると思うわ。期待してるわよ」
蒼はそう答えると、それまではどこか穏やかだった表情にシリアスさを取り戻した。
「後で詳しく説明するけれど、今回の現場は上海沖だそうよ」
「上海沖…。東亜連邦のご近所ってことですか」
「えぇ。特に何も起きないことを祈るけれど、万が一の事態が起きないように用心しておいた方がいいかもしれないわね。海曹と海士の子たちにも、注意するよう十分言い含めておきなさい」
「ハッ」
その言葉に、黒川もまた真剣な表情を浮かべて頷いたのだった。
「舫、6番放せ」
「6番放ーせー!!」
冗談半分で発せられた蒼の心配事は、案の定杞憂に終わった。彼女の帰艦からほどなくして、第4分隊のリーダーである主計長・白金弥生三佐以下5名の主計科隊員が合流。出港前ミーティングを終えたふそう艦内では航海当番がそれぞれの配置につき、いよいよ出港の時を迎えようとしていた。
「舫、6番放しました!!」
「了解」
航海科の海曹が告げたのに対して、立ったまま前部甲板での作業の様子を見つめていた蒼は、いつも通り一度大きく頷いた。緊張の面持ちで「その時」を待つ部下の1人に、目で合図を送る。続いてはっきりとよく通る声で、艦橋中にその指示が伝わった。いよいよ出港の直前、乗員全員の士気を高めるための大事な儀式の始まりだ。
「これより佐世保港を出港する。ラッパ用意!!」
「ソーソッソシーシッシ、レーレッレソーソレーレ、ソーソッソシーシッシ、レーレッレソッシソー♪」
「出港用意!!」
第2次世界大戦時の大日本帝国海軍とも、その後継組織を自任してきた海上自衛隊や国防海軍とも異なる、沿岸警備隊独自のメロディによる出港ラッパと若手隊員の元気な叫び声が、佐世保港に響き渡った。
このラッパによる号令、いわゆる「日課号音」も旧海自から輸入した文化の1つだが、沿岸警備隊には1から独自に譜面を作成したもの、旧海自から引き継いだもの、さらには起床の号令である「総員起こし」をはじめ帝国海軍から輸入したものなど、様々なルーツを持つラッパ譜が混在している。出港ラッパについては旧海自と同じ譜面(ソシレソー、ソシレソー、ソシレソーシレッレレー♪)をそのまま引き継いだ国防海軍とメロディを変えているのは、もちろん旋律によって双方を容易に判別できるようにするためだ。
「舫、1番放ーせー!!」
「1番放ーせー!!」
砲雷長も兼務する沢渡、続いて船務長・葛城朱音三佐がそれぞれ、万が一問題が起きた時のために最後に1本残していた舫を放すよう命じる。長い黒髪をポニーテールに結った沢渡は、涼しげな切れ長の目元が印象的。一方、やや亜麻色がかったショートヘアの葛城は、透明感のある白い肌がトレードマークだ。普段はCICにいることも多いこの2人は、沢渡が32歳、葛城が35歳と蒼よりも年上ではあるが、どちらも入隊は彼女よりも遅い。階級的にも下ということもあって、(少なくとも他の隊員などの目がある場で)彼女と話す時は常に敬語である。
「舫、1番放しました!!」
「了解。曳船ありがとう」
海軍艦艇同様、出港の際には常に引き出しに協力してくれるタグボートに、蒼は簡単に礼を述べた。葛城が「曳船使用終わり。YT-17及び18、曳船舫放せ」と告げる。2隻の支援船がふそうから離れた。いよいよここからは自力で動き出す番だ。
「行進の機械を使う。両舷前進微速」
蒼の一声で、ふそうは目指す海域に向けてゆっくりと進み始めたのだった。
「オリオン、オリオン。こちら沿岸警備隊ふそう。聞こえますか」
港を出たふそうは、現場海域に向けて航海を始めた。船舶無線を通じた蒼の呼びかけに、ほどなくして向こうから壮年の男性の声が聞こえてきた。
「沿岸警備隊ふそう、こちらオリオン。私、船長の若林と申します。今回はご迷惑をお掛けして申し訳ない」
「いえ、構いませんよ。これが我々の仕事ですから。ふそう艦長、一等海佐の真行寺と申します。どうぞよろしく」
蒼は穏やかな口調でそう返答すると、「早速ですが、貴船の事故当時及び現在の状況をお知らせ願えますか」と尋ねた。
「異変が起きたのは20分ほど前です。我々、出発地のサウジアラビアを出港してからずっと巡航でここまでやってきておったんですが、突然『ドーン』という衝撃が1度ありましてね。船がその弾みで大きく振られました。何せ16万5000トンのでかい船なもんで、体勢を立て直すのにもずいぶん時間がかかったんですが、そのあたりから急に後部のプロペラがうまく回転しなくなってしまいまして。それでどうしようもなくなって、救援要請させていただいた次第なんです」
「なるほど。船内にけが人などは?」
「船が振られた際に転倒した人間が何人かおりますが、重傷者はおりません」
「それは何よりですね」
蒼は一度ほっと安どのため息をついた。
「それで、原因に心当たりなどはありませんか?」
「それがお恥ずかしい話、どうもよく分からんのです」
若林は困惑した様子で言葉を続けた。
「私も最初は整備不良が原因かと思いまして、うちの機関科の人間を全員集めて確認したんですが、彼ら曰く事故の直前などは何の問題もなく動いておったそうなんです。実際、点検や動作確認作業なども弊社のマニュアル通りにきちんと行われていて、特におかしなところは見つかりませんでした」
「そうですか…」
「航行中にそれとは気づかずに浅瀬にあたってしまったか、それともプロペラに海中生物の群れでも巻き込んだか…。目星がついているのはそれくらいなんですけどもね、どうも何か判然としない」
「なるほど。他に何かお気づきになられたこと、気になったことなどはありませんでしたか?」
蒼の問いに、若林は「そういえば…」と言葉を続けた。
「事故の1時間ほど前でしたかね、我が船の頭上をヘリコプターが1機ついてきておりました。何なんだろうと思って乗員も話題にしておったところだったんです」
「ヘリコプター、ですか」
「えぇ。どこのヘリだろうと思って私も船橋を出て見上げてはみたんですが、すぐ真上におったもんですから私のところからはよく見えませんで」
「そのヘリですが、ずっとあなたの船についてきていたと?」
「頭上を飛んでいたのは数分くらいです、飛び去るまでに10分もしません。ただ、妙にその飛び方に違和感があるというか、こちらの動きを監視でもしてるかのような感じがしたので、何か不気味だとはウチの一等航海士である真田とも話しておりました」
「なるほど…、承知しました」
蒼はそう答えると、一息ついてから若林を安心させるべく言葉を続けた。
「なんにせよ、我々はこのままあなた方の救援のためにまっすぐそちらへ向かいます。そちらへの到着までに、また何か変わったことがあればすぐにお知らせください」
「了解しました。本当にありがとうございます、真行寺艦長」
感謝の念を前面に押し出した若林の声に、蒼の顔には女性らしく穏やかな笑みが浮かぶ。だが通話を切った瞬間、その顔は一転して厳しく怪訝そうな表情に変わった。しばし何事かを考え込んだ後、蒼は厳しい表情を崩さないまま航海長の佐野倉の方に向き直る。
「航海長、しばらく艦橋はあなたに預けるわ」
「かしこまりました。艦長、どちらへ?」
「CICよ。大至急、確認したいことがあるから。よろしく頼むわよ」
そう答えると、蒼は急ぎ艦橋を降りてこの艦の中枢へと速足で降りていく。その急転直下の行動に、艦橋にいた第2分隊の面々は何事かと顔を見合せたのだった。
出港ラッパのメロディを文章で表現するのは、なかなか難しいですね。うまく脳内再生いただけたでしょうか?こういう海事関係の事項が出てくる作品は知識を蓄えなければいけないので、調べ物をするのはなかなか大変ですが楽しさもありますね。
次回は、最終盤で蒼が感じた違和感の正体が明らかになります。どうぞお楽しみに。それではまたお会いしましょう。