殻の中は 〔ノア目線〕
「ノア様どうぞこちらにお掛けください」
サクスベルド家の使用人がそう声をかけてくる。
はぁ、今日は憂鬱だ。アルト・サクスベルドに剣術大会の順番を聞きに、わざわざやってきた。剣術大会は学園が主催しているから、申請は学園側に行わなければならない。しかしアルト・サクスベルドは不登校だから、誰かが聞きに行かなければならない。
別に彼とは友人でもなんでもないが、周りが友人だと勘違いしている。だから頼まれている。
あんな偉そうで何事にも適当な奴、仲良くなるわけないだろう。
コンコンとノックが聞こえた。使用人が来たのだろう。
「すいません、遅れました」と入って来たのはアルトだった。
「?はい」
異様な光景だった。そんなこと言えるなんて初めて知った。
このアルト・サクスベルドが。
前、ここに来た時なんて酷かった。
まずここに来て1時間ほど待たされた。おかしい、事前に何時に行くか伝えたはずだ。時間も午後からだし、起きていて当然の時間だった。使用人の人たちは散々謝ってくれた。次は待たせませんと、言っていた。
本人からの謝罪はなかったが。
そして、待たせたことなんてまんざらでもないような態度でソファに座った。
「で、何のよう?早くして」
早くするのはお前だろう、と突っ込みたい。
それにアルト・サクスベルドも、俺ノア・ルイスも同じ侯爵家の人で対等な筈だ。いくらなんでも命令口調は良くない。
「はぁ。今度行われる____」
と一通り説明を終えると、
「はっ、なんだそのために時間を取ったのか。さっさと帰れ」
ちなみに、彼は誰かと対面するときは使用人を部屋に入れたがらない。理由は簡単だ。この育ちの悪さを両親にチクられたくないのだろう。使用人の前でも、少しは皮を被っているらしい。それもいい態度ではないが。
もうこの人はだめだろう。
嫌がらせも兼ねて今日は午前中に来た。といってもお昼時に近いが。彼は起きてないだろし、今頃無理やり使用人に起こされているに違いない。そして超不機嫌な顔でやってくる。
と思っていたのに。申し訳なさそうな顔をしながら俺の向かいにあるソファに腰を掛ける。
アルト・サクスベルドは座ると、驚いなような顔になった。そしてソファを触ったり、もう一度腰を上げて座ってみたりと、ひたすらにソファの虜になっている。
面白い。それは見てて飽きないし、あのアルト・サクスベルドがしていると余計におかしく見える。本人は無自覚にソファを楽しんでいるようだが、その顔はキラキラと輝いていると言っても過言ではないだろう。
コイツ、誰だ?
ソファで遊び終わったのだろうか、落ち着くと俺に話しかけてきた。
「えーと、お久しぶりです」
こんな典型的な挨拶すらできない奴だと思っていたが。
「はぁ、」
本当に誰なんだ。
こっちは相当考えているというのに、目の前の奴は呑気に聞いてきた。
「それでノア君、今日はどうしたの?」
コイツに名前をまともに呼ばれた記憶がない。おい、とかお前とか、口の悪い呼称ばかり。そのアルト・サクスベルドが下の名前で呼ぶとか。今までの経験上考えられない。
なんといっても、この顔に君付けで呼ばれるのは気味が悪い。
君付けと呟くと訂正してきた。
「ノア!」
と呼ばれるなんて、まるで友人のよう。もしかしたら向こうは俺のことを友人と思っているのかもしれない。
案外、悪くないように感じた。
「今度の剣術大会の件で来た」
「う、うん、剣術か」
自信なさげな返事が返ってきた。本人は少し考えてから、
「私、お、俺出るよ!」
それくらい承知の上でこちらは来ていた。毎年優勝候補だのと言われて、未だに優勝した姿を見たことはない。彼は努力することが苦手そうだ。もう少し頑張れば変わるだろうに。
順番はどうする?と聞くと、訳の分からない返事が来た。
「じゃあ、ノアに任せていい?」
いつも他人を頼る上、こんな簡単なことでさえ人任せだとか。頭を使うのが嫌なのだろうか。この鳥頭め。
「なんで?」
「だって、ノアの方が俺のこと知ってるだろ?」
こうも当然かのように言われると、否定しにくい。全くもって、彼のことは詳しくない。
しかし、こちらが決めていいとなると少し意地悪をしたくなる。
「一番最後」
に出ればいいと思う。
前の彼なら、喜んで最後に出ただろう。無駄に自信家なのだ。
しかし今日見て来た限りの彼は、逆に消極的だ。なんというか、とても気を使われているように感じる。
だからそんな違和感が気になって、だんだん面白くなってきて、一番最後と言った。今の彼から嫌がりそうだ。何故だか、それが見たいと思う。
「ん?」
現に彼は少し焦ったような顔をして、俺に聞き返して来た。やっぱり面白い。
「というか、なんでノアが出場の順番を聞きに来てるの?」
ふと疑問に思った、という顔で聞いて来た。
「最近学園来ない」
本人も知っているだろうに。アルト・サクスベルドが不登校のせいでどれだけ俺の荷物が増えていることか。教師からは「友人なんだから様子を見に行きなさい」と言われたり「これを伝えてね」と言われたり。
いつもは面倒くさい。
でも、今の彼になら伝えに行くのも良いとさえ思えてくる。
「明日からちゃんと学園行くから!」
「明日休みの日」
「じゃ、じゃあ明後日」
「ん、わかった………」
こんなやり取りが楽しい。アルト・サクスベルドの皮を被ったコイツは、俺の友人と言っていいだろう。コロコロ変わる表情は見てて面白い。
「あ、玄関までお見送りする!それじゃあ、また明後日」
「うん」
アルト・サクスベルドからお見送りされる日が来るとは思わなかった。心なしか学園で会うのが楽しみだ。明後日、ちゃんと顔を見せて、アルト。
朝ベッドから降りると、メイドを呼びつけ登校の準備をする。指定の制服に着替えて、朝食を食べる。いつもより、早めの時間に行くことにする。あわよくば、最近友人と認めたアイツと一緒に教室に行きたい。
馬車を降りると、チラチラ見られながら道を開けられる。俺の家が侯爵家の中でも権力があるからだろうか。前々から思っていたが、権力と比例するように友人もできない。
しかし今はアルトがいる、と考えれば気が楽になる。
そもそも、今日来ることすらハッタリかもしれないし、性格もあの傲慢さを取り戻しているかもしれないが。
「ノア!」
それは一昨日と変わらない、あのアルトだった。驚き半分、嬉しさ半分。
後ろを振り返ると、手を振りながらこちらへ向かって来る。
「アルト」
「あの久々の学校であんまり覚えてないから、悪いけど俺のクラスまで案内してくれない?」
手を前に合わせて、頼んで来る。
自分のクラスすら忘れるとは、記憶力がない。鳥頭だけは引き継いだのかもしれない。
でも頼られるのは嬉しい。
「いいよ。同じクラスだから」
一緒に行こう、という言葉までは出なかった。"一緒"が少し照れくさかったのだ。
アルトは俺の横に並ぶと、にこっと俺に笑顔を向けた。続けられた「ありがとう」という言葉が俺の心を優しく包む。
友人とはこのように温かいものなのか。
先程からアルトは注目を浴びていた。
態度が大きい故に今まで悪目立ちをしていたという点と、久々に姿を見かけたというのが理由だろう。決して良い視線ではない。
しかし、今の俺は特に気にならない。コイツが横で笑ってたら、何かが吹っ飛んだ気がしたから。