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第二章夜風に隠れて

 狩場早苗が気が付いたのは商店街の入口で彼女が意識をなくして倒れてから15時間以上が過ぎた翌朝のことだった。

朝の検温に廻ってきた看護士が彼女の変化にいち早く気がつき声をかける。

「狩場さ〜ん、聞こえますかぁ」

早苗は小さく頷いた。若い看護士は、早苗が頷いた事を見ると、手早く体温を測り、血圧を測り、足早に病室を出て行った。 直ぐに、小肥りの医師がやって来て早苗に声をかける。

今度は

「はい」と、早苗は小さな声で答えた。


彼女に何が有ったのかはともかく彼女が、危険な状態を回避したことは確かだった。

一週間が過ぎた。

早苗の容態がだいぶ快方に向かって来た頃、それを待っていた警察から、二人の刑事がやって来た。


早苗の居る病室の、開け放たれた窓から、五月の心地良い風が、薄手のカーテンをなびかせながら、病室いっぱいに入り込んでいた。

「この度は本当に大変な目に遭われましたなぁ、大分元気に為られたと伺まして、安心致しました。」あきらかに先輩と見える方の刑事が見舞いの言葉を口にすると、それを合図にでもするかの様に、若い刑事が質問し始めた。

「狩場さん、貴女が此処に入院なさっている間に、容疑者は逮捕されました、否認はしてますが…」

「嫌な事を思い出して頂かなくては為りませんが、事件を解決する為です、ご協力お願いいたします。」

窓の外に視線を向けながら早苗は小さく頷いた。

早苗の長い髪に風が当たり、白い横顔に幾筋もの髪が貼り付いて、儚い美しさを醸し出している。

その美しさが、かえって痛ましさを増している。 その横顔を眺めながら、二人の刑事は、改めて拘置所の中で、容疑を否認し続ける男に対しての怒りが込み上げて来るのだった。


狩場早苗は、湘南の開業医の家に生まれ、何不自由無い環境に育った。

私立の幼稚園、小学校、中学校と進み、高校も都内の名門大学の附属女子高を首席で卒業した。

そして大学へ進学、それまでの半生で何一つ不幸な事など経験した事の無い早苗に、突然の不幸が襲い掛かったのは、早苗が大学二年の夏だった。


都内のホテルで行われた医師仲間の息子の婚礼に招かれた早苗の両親は、車での帰路、突然センターラインを大きくはみ出してきた対向車の大型トラックと正面衝突、両親と運転していた兄の宣彦の三人は即死だった。

事故は、大型トラックを運転していた四十代の男の居眠りが原因だったという。

この悲しい出来事は早苗の幸福だった過去とこれから進む未来との境界線に為った。

明るく快活だった早苗の美しい顔から、微笑みが消えた。

一瞬にして、父と母、そして兄を失った狩場早苗は、父親の弟、早苗にとって叔父にあたる、狩場直治の家に身を寄せる事になった。狩場直治は、都内に在る大学病院で脳神経外科の部長の要職に在った。

彼には子が無く、世田谷の家は妻の佳代子との二人暮らしには広すぎた。


二人は、早苗を引き取ることに、何の異存も無く、むしろ悲しすぎるきっかけとは言っても、早苗を引き取ること自体は、喜ばしい事だった。

狩場直治夫妻のもとで、早苗は少しずつ心の傷を癒して行った。

いつの頃か、周囲の人達を優しい気持ちにさせてしまうあの笑顔も取り戻していた。

狩場早苗を中心にした小さな世界は新しい形を形成しながら、静かな平和を取り戻し、流れて行く。



─三年が過ぎた─


狩場早苗は、美しい女性に成長していた。


四月に大学を卒業し、外資系の大手商社の秘書課に就職した年の夏狩場早苗は、恋をした。 相手は同じ職場の三歳上の青年だった。

早苗に、幸福な季節がやって来た。

そして、更に六ヶ月、早苗は青年を叔父夫妻に紹介し、青年の両親に、息子が結婚したい女性として紹介された。

両親と兄の突然の死がもたらした陰りは、すっかり消えて、早苗の美しさは、まばゆいばかりに輝きを増していた。

その美しさが、新な不幸を呼び込んでしまう事など、早苗は勿論、誰が予想しただろう。

しかし、不幸はやって来た、それも突然に。


緊急の取締役会議が開かれる事になり、その為の資料をまとめなくてはならない早苗は秘書課の同僚と残業する事になった。

仕事が済み、早苗が二〇階の副社長室の机の引き出しに翌朝の取締役会議用の資料のファイルを置き、正面玄関横の社員通用口を出たのは午後九時を過ぎていた。早苗は携帯電話から家に連絡をして、残業が今終わり、これから帰宅する事と、疲れてしまったので、タクシーで帰ることも伝えた。この時間帯である、一〇時前には家に着けるだろうと思い、タクシー乗り場まで急ぎ足で向かう。

会社の直ぐ近くに在るタクシー乗り場には二〇台近くが客待ちをしていた。

早苗が先頭のタクシーに近づくと、後部座席のドアが開き、早苗は滑り込む様に乗り込み、車は走り出す。

行き先を告げ、身体を、シートに預けた早苗は、(まぶた)を閉じた。

そして思い出したように、運転手に、疲れているので眠ってしまうかも知れないから、行き先の近くに着いたら、声を掛けてほしい旨を伝えもう一度、瞼を閉じた。

少しだけ下げた窓の隙間から入って来る夜風が心地良く、間もなく早苗は眠りについた。

春の終ろうとする夜、入れ代わるように夏が近づいて、その夜の中を早苗を乗せたタクシーは走っている。

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