「影」が来る
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
ふん、ふん! くそ〜、やっぱりだめか。ねえねえ、こーちゃんはさあ、縄跳びで連続二重跳びできる? 僕は全然。一回で止まっちゃう。
どうも「高く跳ばなきゃ」って意識と、「早く縄を回さなきゃ」って意識が強くってさ。一回跳ぶのに全身全霊。二回目以降に続かないんだよ。他の人が「ヒョウ、ヒョウ」とうなりをあげながら何回も跳んでいるのを見ると、正直すごいなあと思わざるを得ない。
――ん? どうして縄跳びに力を入れ始めたかって?
いやあ、最近、知り合いのおじさんから聞いた怖い話があってさ。ジャンプ力を鍛えておいた方が、少しは危険を減らせるかも、と思ったんだ。こーちゃんも聞いておかない? というか、もう聞きたそうな顔、してるもんね。
おじさんが小さい頃に住んでいた地域は、家々に節句の道具がきっちりと揃っていて、時期が来るたびに、きっちり準備をしていたみたい。
当時のおじさんは、花より団子を地で行く人だったから、ひな人形や兜飾りより、ひなあられやかしわもちとか、その時でしか食べられないものに対しての関心の方が、ずっと大きかったみたいだけど。
そして、ある年の子供の日。ごちそうを食べ終えたおじさんたちの家に、回覧板が届いた。この時期に珍しい、とおじさんのお母さんはファイルになっている回覧板を開いて見たけれど、すぐに目の色が変わった。
そこにたくさん挟まっていたらしいプリントを、一枚抜き取ると、すぐにお隣さんに渡しにいった。おじさんは、いつもなら自分が回覧板を届けにいく係なのに、お母さん自ら、届けに行くなんて珍しいな、と思ったみたい。
お母さんが帰ってくると、すぐに食卓の上の料理がどけられ、できたスペースに、先ほど回覧板から抜いたプリントが置かれる。余白の多いプリントだったけど、中央には太く大きなフォントで。こう書かれていた。
「『影』が現れました。すでにけがをした方が出ています。外出する時には皆様、できる限り日なたを歩くようにしてください」
おじさんは意味が分からなかったけど、お母さんを含め、お父さんやおばあちゃんの顔は真剣そのもの。おじさんも明日からの通学は、できるだけ影に入らないように、気をつけなさい、と注意されたそうな。
翌日の登校。おじさんの地元はまだ高い建物こそ少なかったけれど、学校の近辺は地面が舗装されていて、車道と歩道できっちり分かれている。まだ真新しいセメントの色に、近未来を感じた、と話していたっけ。
おじさんは一人で登校することが多いけど、その日は後ろから追いついてきた、クラスメートに肩を叩かれた。
「なあなあ、お前んちも回覧板来た?」
例の「影」についてのことらしい。おじさんたちが生まれてから初めて聞く話でだったから、何とも雲をつかむような話だったらしい。
「うちの父ちゃんの話だとさ、影の中にさえいなけりゃ、いいんだって。日なたに立っていることが大事なんだってよ。わけわかんないよなあ」
じゃあ、俺、日直だから、と友達はすすっと、前を歩いている人をかわしながら走っていく。ところが、向こうから歩いてくる人とすれ違おうとした時。
軽く後ろに跳ね飛んだかと思うと、しりもちをつくのが見えた。まるで何かにぶつかったかのような動き。すれ違った人は気づかなかったようだし、周りの人もちらりと彼を見やっては、すぐに前を向き、歩いて行く。
おじさんが「どうした」と助け起こすと、彼は顔をさすりながら、つぶやいた。「何かがこちらにぶつかってきた」と。
学校でも朝のホームルームで、「影」の話がされた。
数日の間は、屋外での運動は控えるように、とのこと。それに伴って持久走をやる予定だった体育も、急きょ教室での保健の授業に変更されて、安堵のため息をもらす音が教室中に響くほどだったらしい。
「すでに登校時に『影』にぶつかった人がいるそうです。下校する時もできる限り、影の中に入るのは避けること。どうしても入らなくてはいけない時は、細心の注意を払ってください」
先生方は授業のたびに、必ず注意を促してきたんだって。いわく、相手は「影」だから、罪に問うことはできない。被害に遭ったら、泣き寝入りをするしかないから、と。
おじさんたちは下校する時も、日影になっていない校門から出ていくように指示されて、家が遠くなる人にとっては、不満だらけだったらしい。そのまま校門で友達と別れて家路についたけど、今日はやけにものの影が長い。年が明けてもう一ヶ月。じわじわと日が長くなってきて、ちょうど今は西日が影たちを地面に押さえつけて、引き伸ばしているような感じだ。
おじさんは片っ端から影をかわすように、ふらふらしながら歩き、やがて家の近くのブロック塀が立ち並ぶ区域に入ったんだ。
白線こそ書いてあるけれど、ガードレールの類はなく、車も歩行者も十分に注意するように言われている場所だった。普段ならまっすぐ突っ切ってしまえばすぐに家につけるけど、途中の道はすっかり影に閉ざされてしまっている。かなり遠回りをしないといけなかった。
おじさんはブロック塀の影にも入らないよう、慎重に慎重に歩いて行ったけれど、家まであと50メートルほどの曲がり角に差し掛かった時、角の向こうから犬の悲鳴があがったんだ。
ほどなく姿を現わしたのは、白いセダン。道を通り抜けるには十分な幅だけど、問題は影だった。
おじさんの進行方向の地面を、すっかり覆ってしまっている。大きさはさほどでもないが、このままだと確実に影の中へ入ることになる。今朝、友達がしりもちをつくだけで済んでいたが、あれはちょうど人同士が接触したレベルの衝撃に見えた。もし、車の「影」と自分がぶつかったらどうなるか……、
ブロック塀によじ登ってかわそうかと思ったけど、おかしい。このあたりの塀はどれも低かったはずなのに、今は5メートル程度の大きさになっている。ジャンプでは届きそうにない。背後にも背が高い堀が続いていて、車に追いつかれるまでに、かわせそうな要素も皆無。
どうする、とおじさんは向かってくるセダンの「影」に、知恵をめぐらして、ふと思った。
今朝、友達が言っていたこと。影の中におらず、日なたに立っていればいい、と。ならば、影の中に足をつかなければいいのでは、と。
おじさんはダッシュした。後ろではなく、前に向かって。ぐんぐん近づいてくるセダンの影。その端に足がかかろうとした時、おじさんは思いっきり跳んだ。幅跳びをする時のように。
影の中特有の涼しさを感じながら、しばし宙を舞うおじさん。やがてその身体が地球にひかれ、足がつこうとする寸前。
にわかに地面が、光を帯びた。影を飛び越すことができたんだ。小さくなっていく車のエンジン音にため息をつきながら、角を曲がる。
すぐそばの家では、いつも元気に吠えていたはずの犬が、ぐったりとしていて、ぴくりとも動かなかった。その背中には、タイヤをこすりつけたような跡がついていたんだって。
数日後。再び回覧板が回ってきて、「影」が収まったことが連絡された。
おじさんが親たちに尋ねたところ、この地域では節句の前後に、「影」の活動が活発になることが多いらしい。
はっきりとした理由は分からないものの、おじさんのおばあちゃんは、年に一回しか出されない道具たちの「影」が、日頃、動いているものの影に溶けこんで、遊んでいるのだろう、と話していたって。
それからおじさんの地元も開発が進み、やがて鉄道も通るようになった。運行は順調なものの、節句近くになると、列車にひかれたようなけがをする人や動物の姿が、ちょこちょこ見受けられるようになるんだってさ。