3.男性がエロいコンテンツでハアハアすることについて
3.男性がエロいコンテンツでハアハアすることについて
以前から私、疑問があったのですが、猥褻物に関する法律における猥褻の定義ってありますよね。
「徒に性欲を興奮又は刺激せしめ」ってやつです。
このいたずらに、というのがどうもピンとこない。
いたずらにもなにも、男性は機会があれば興奮する生き物ですから、ボタンを押したら付くライトのようなものですよ。
それをいたずらに興奮せしめ、ってのはどういった状態なのかがサッパリ理解できないのです。
ピンポーン、ピンピンピンピンポーンみたいなドアホンへの悪戯のような感じで性欲のボタンを連射でもしてるんですかね。
たとえばですが、私は眼鏡をかけている女性に惹かれます。
これを徒に興奮させる属性であると考えたら、「女性が眼鏡をかけていること」がすでにして猥褻である要件を一つ満たしていることになります。
こんなメチャクチャな話があるわけがないですが、興奮なる要素が主題である以上、これは難癖・屁理屈の類ではありません。
私の眼鏡好きなどはオーソドックスな性癖にしても、もっと別の日常的な振る舞いに性的な要素を感じる性癖なども多数あることでしょう。
女性にも、スーツ姿や、あるいはそうしたスーツを脱いだりネクタイを緩めたりする姿に惹かれる方がおられると思いますが、じゃあスーツ姿がわいせつなのか、という話になってしまいますしね。
別に法律論を論じようという話ではなく、そもそもの話として男性が女性相手に興奮する生物である(逆もまた真なりです。例外も認められます)以上、いたずらもクソもあるか、と思ってしまうのですよね。
なんらかの外的な刺激によって興奮するのは確かですが、じゃあ何も刺激がなければ興奮しないのかと言えばそうでもありません。
我々男性の妄想力を舐めているとしか思えない、心底軽蔑すべき、唾棄すべき意見でありましょう。
ちょっと前座が長くなりましたが、この項で話したいのは、時折世間で見られるオタクバッシングの類についての反論です。
いま少し言いますと、表現を規制しようとすることに対する危惧を述べようと思います。
性癖というのは根本的にその人に属するもので、その人がどんな性癖を獲得したかは十人十色です。
そして、そうした性癖はそう易々と変更が利くものではありませんから、我々はそうした性癖と上手く付き合っていく必要があると考えます。
そこで登場するのがオナニーです。
自分好みの性癖に則り、同好の士が提供してくれるコンテンツに拝みながらオナニーに勤しむ。
交流するときには、互いの聖域を踏み荒らさないよう配慮する紳士ぶりです。
ここでは正常な性の発散の姿があって、こうした活動を阻害することは望ましくないと思うのですよ。
ステレオタイプの意見で申し訳ないのですが、やはり制限を加えた場合に起こるのは直接的な犯罪被害者の増加でしかないと思うのです。
最初に述べた猥褻の定義の話に立ち返りますと、おそらくはこの定義・概念には「正常な一個の人間が居て、なんらかの悪い外的要因で変な性癖が根付いてしまう」という観念が付随しているように思えます。
わかりやすく言えば「ロリコンが増えるのはロリコン向けの漫画やゲームがあるからだ!」といった主張が透けて見えるんですよね。
そうした前提があればこそ、表現規制の動きというのは絶えず発生しているのだと思うのですが(換骨奪胎化された児ポ法などは典型的な例でしょう)、私はそもそも、性癖は本人に内在すると考えます。
外的刺激がそうした性癖を促進してしまうというのも否定しがたい事実ですが、それがそもそも内在している以上は、ウイルスキャリアのようなものでいつ発露してもおかしくない。
思いがけないタイミングで性癖が発芽した場合、性的被害を受けるのは「実在する人間」です。
端的に言いますと、もしロリコンがその性癖を発芽させた最初のきっかけが近所の女の子だったらどうなるか、ということです。
漫画を読んでるだけならば、そんなもの、個人の勝手でありましょう。
所詮、「架空の人間」がどんなに酷い目に遭っていようが、被害者は存在しないのですから。
また、私自身の体験で言えば、性においてエポックメイキングな作品という物はあるのですが、その一方で結局身につかなかった属性というのも少なくありません。
たとえば、私は共感性羞恥の類(物語で主人公が恥ずかしい思いをすると自分まで恥ずかしくなってしまうようなことを言います)を痛覚にも持っていますので、陵辱・レイプの類では抜くことができません。
すぐ「うわあ……めっちゃ痛がってますやんか……」と萎えてしまいます。
そうした類のコンテンツを見たことがない、というわけではない以上、やはり性癖は先天的な要因が大きいのではないかなと思うのです。
エロいコンテンツでハアハアするのを規制する動きが絶えない昨今ではありますが、そうした動きが「抑圧」に繋がっていかないことを祈るのみです。
抑圧されたものは爆発せざるを得ない。それがどのような形で発生するのかは、素直に心配されるところです。
そうでなくとも、我々男性は自分の性癖と上手く付き合いながら生きているのですが、そうした付き合い方を否定されるのは、正直しんどい部分はあるんですよね。
そもそもの話ですが、性にまつわる話というのは、トイレで用を足すのと同様、小綺麗なものであるはずがありません。
人様のオカズをたたくのは、わざわざトイレのドアを開けて「お前のトイレの仕方は犯罪やぞ!」と叫ぶようなものであって、言われた側からすれば「お前いきなりトイレ開けて何言いだしとんねん!」ってな話で。
誰だって、ウ○コは汚いものです。
それをわざわざ暴き立てて「きったねえな!」ではあまりに無体な話でしょう。