四話
あれから何回か、デートを重ねていて。今度こそは、ちゃんとやめます、と言わなければいけないのに、木宮さんはやんわりとその拒絶を退けるように言葉を紡ぐ。
それで、私は段々といっそのこと、木宮さんと付き合った方が良いのかと思い始めるようになった。なんだか、優柔不断で情けなくなるが、選択肢が沢山あるということは新鮮で、楽しく、迷う時間があるだけ自分が幸福者であることを思い出させる。
これは、私の人生で、両親の決めたルートでなく、あのマンガのシナリオでもなく、自分の決めた道だ。これから起こるであろう幸せも不幸も喜びも哀しみも、…後悔も、全て自分の責任。慎重になるのも大切だけど、たまには思いきったっていいじゃないか。
それに、周りも迷惑……驚く位に応援してくるし、空気を読まないといけない、と、どうしても思ってしまう。あれ、なんか流されている?と不安にならないこともないが、皆はそうするのが正解だと説いてくるのだ。
それに対して、しっかりとした否定も肯定も出来ないのは、自分に自信がないからなのだろう。
それでも、初デートから早3ヶ月。忙しくて休む暇もない充実した日々を送っている。
市街に降りて分かったことだが、私には家に籠っておしとやかに、貴族女性の一般的な嗜みをするよりも、外で苦しくて目が回るほど仕事をしている方が向いているようだ。勿論、たまには休みたくもなるが、一回知ってしまった充実感に勝てる程のことでもない。
だったら初めから、あの家に生まれずに庶民の家のモブB位の人に生まれれば良かったのでは。……だが、それでは、尊氏様と出会う事が出来ない。それだけは、許せない。
酷く辛い日々も、別れがあると知っていても尊氏様のいない人生には価値がない。
私は初めて、如月美春として生まれてきて良かったと思い。初めて下衆な両親に私を産んで貰えたことを感謝した。
忌々しく感じた如月美春は、それでも如月美春だったからこそ愛しい尊氏様の側にいることが出来た。
失ってから気付くものがある、というが正にこのことなのだろう。
そして今、やっと私は変わった。
如月三春を失ってただのハルに。
悪役令嬢からただのモブに。
後から見たら大切だった立ち位置を消し去って、私は今ここでハルとして立っているのだ。
「うわぁ、この髪飾りハルちゃんに似合うよ!!」
「ええ、そうかな。それは、オレンジ髪のガッキーの方が似合うと思うけど」
「えー、この髪の色に似合う髪飾りってあんまりないんだよねぇ。だいたいの人は、自分の髪色と同系色のアクセサリーを選ぶけどさ。私のオレンジ色だとつけられるのって赤か黒か黄色くらいじゃない!?」
「あ、あと緑も似合うよ」
「そしたら完全にミカンの出来上がりじゃん!!」
「うん。可愛いよね!みかん」
「この馬鹿者!!珍しい劣性銀髪だからなんでも似合いやがって!!私も銀髪に生まれて来れば良かった!!」
「うーん。でもガッキーの両親って赤髪と黄髪でしょう。その時点で劣性銀髪が出てくる可能性はゼロだもん」
「うわあああん。正論止めてよ!分かってるもん、それくらい。だからこそ銀髪は珍しいんでしょ!!」
この日は、久し振りに友人と街に出ていた。夜からは、また食堂で働くのだが今日は五時まで自由時間。遊ぶ相手は市街に来てから一番最初に仲良くなった女将さんの姪っ子ガッキー。本名は言いたくないらしく、アダ名だけ知っている。
このシルバーに見えなくもないピンは、尊氏様に似合いそうだ。私のそこそこ珍しい銀髪も、尊氏様の黒目黒髪よりはメジャーで。だから尊氏様のような見た目の人は滅多に見ることが出来ず、服装も好んで黒を着ることが多かったことから尊氏様は、黒の貴公子と呼ばれるようになっている。
黒の貴公子って改めて考えると凄い名前だが、それに名前負けしない実力を持っていたのだから尊氏は、本当に凄いのだと思う。
ガッキーは、ノリが良くて一緒にいるとついつい時間を忘れてしまう。なんだかんだ言って、ガッキーが葉っぱの形のピンを買っているとき、とっくに帰らなきゃいけない時間になっていたことに気付いて、慌てて別れた。
まったく、楽しい時間はどうしてこんなにも、あっという間に過ぎてしまうのだろう。
現在時刻は、4時45分。
そして、ここから食堂までは、早くても20分はかかる。このままでは間に合わない。
人生において、一回も遅刻をしたことのない私はとても焦ってしまっていて。つい、安易に動いてしまった。
なるべく早く帰らなきゃ、と普段は使わない路地裏の抜け道を使うことにしたのだ。その抜け道は時々、柄の悪い人達がたむろしていると噂になっていて。絶対に通るなと言われていたが、その柄の悪い人とやらを見かけたことはなかった。
大丈夫だろう。いつもいないんだし。
そんな、今日に限って現れるなんてあり得ないだろう。
その時、私は市街に降りてから物事が上手く行き過ぎて、警戒を怠っていたのだ。
どこにだって危険は潜んでいるのに。ハルに生まれ変われたと、有頂天になっていたからかもしれない。
一度も見たことのないそれは、ちょうど今日初めてそこを通る私の前に現れた。
目の前を塞ぐ三人の凶悪。
「よぉ、これはべっぴんな嬢ちゃんじゃねぇの」
「これは上玉!!」
「嬢ちゃんよぉ、ここは俺たちの道なんだ。ここを通すわけには行かねぇ。そらに、少しでも入ってきた嬢ちゃんは悪い奴だよなぁ?」
つくづく自分の悪運に飽きれた。
自分より遥かに大きくがたいのいい男は恐怖でしかなく、こちらを下品な目でじろじろ見てきた。市街に降りて何度も身の危険を感じたことはあるが、今回はそれと比ではない気がする。
目の前の男達は、私のことを獲物としか思っていなかった。何、このあからさまな凶悪は、仮面を被った醜悪よりは分かりやすい。貴族の位を持っていた頃ならいくらでも仕様があった。だが、今の私には対処する権力と金はない。
頭の中で警報が鳴り響き、私はすぐに道を引き返そうと後ずさる。
「…すいません。もう、ここ通らないので」
「はあ!?それで許すとでも思ってるのか。大丈夫。ちょっと付き合ってくれればいいだけだからさ」
「私、急いでいるので」
「そんなの無視すればいいじゃん」
怯えていると知られれば、より、この男達を付け入れさせる。必死に自分を落ち着かせて体の震えを喉に伝えないことだけには成功したのだが。踵を返して、やっといつの間にか男達に囲まれていることに気付いた。
「おいおい、どこ行くんだ嬢ちゃん。まだ話は終わってないぜ」
「退いてください。話すことなんてありません」
穢らわしい。
無造作に伸びてきた手を思い切りはね除ける。
見下した態度を出したつもりはなかったが、無意識に出ていたのだろう。はねられた手をそのままに男には、先よりよっぽど酷い狂気の色がさした。
「こんの、あま。調子のってんじゃねぇぞ。美人だからってお高くとまりやがって」
「…そんな気は無かったのですが」
「おい、こいつもう、許せねぇ。ヤッちまおうぜ!!」
「ああ、そうだなぁ!ぶち犯してやる」
抑えきれず震えた声で言い返したが。その一言を皮切りに男達は、ジリジリと私を捕まえようとしてくる。
「やめてください。私には仕事があるんです。遅れると誰かが私を探しに来ますよ」
「ああ?その容姿からお前どうせ娼婦だろ?誰がそんなちっぽけな女のために人を送ってくる?」
「ははは、そうだなぁ。是非とも玄人の指南を受けてぇ」
誰が娼婦だ。確かにスカウトされたこともあるが、そこまで堕ちたつもりはない。
駄目だ。こいつらは、言葉が通じない。
一人でこの場を逃げ切ることを諦め、肺いっぱいに空気を送り込む。
「たっ」
「あーあ、言わせねぇよ?だいたい助けに来る奴なんかいるわけねぇだろ?」
出るはずだったSOSは、男の荒れたごつい手に塞がれて。そのまま体を拘束される。
実際に、体に触られることで、留めていた筈の恐怖は洪水のように溢れでした。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。誰か、助けて。
なんで、私ばかりなの。
市街に降りてきて、楽しい事ばかりではなかったけど、辛いことも多かったけど。それでも、あの頃より幸せだったのだ。今だって、忙しくはあっても凄く幸せだったのに。どうして不幸は急に私を襲うの?
どうして?
路地裏の薄暗い暗闇の中、来た道を振り返り僅かな光を見た。その光は遠く、私の短い手ではどうしようもなく届かない。
私は只ひたすらに叫ぼうと体をばたつかせた。最初は怖くて怖くて堪らなくて、途中からどうしてこんなことになったのかを考えて、駄目だと言われてたのにここを通った自分の自業自得に気が付いて。
それでも、愚かな私は自分だけが悪いとは全く思わず、助けてくれない誰かを恨みがましく思う。
似たような事が今までにも一回あった。
あの事件だ。尊氏様を私に縛り付けたあの事件。
もう、駄目かも。
そろそろ体力が限界に近づき、目が霞んできて。着ていた服を無理矢理に破られる。
このまま、私はコイツらに犯されるのだろうか。
この人の皮を被った化け物達に。今度は私が、不幸をおう側なのか。あの時の報いはもう、受けたと思ったのに。
初めては、好きな人と。例え、木宮さんと付き合ったとしても本当に愛せるようになってからしか、そういった行為は行う気がなかった。
こんな絶体絶命の時。
瞼の奥に写るのは、あの人だった。私の愛した唯一の人。
尊氏様。
「ーーーー!!」
その声は、必死で、慌てて、何故か歓喜が少し混じってて。私はそれに、目を見開くだけで答える事が出来ない。襲われて、口を塞がれたから、あるはずだったSOSは、存在しない。それでも。
耳に覚えのあるその声は、あの人のもの。
慌てて、声のした光の方向へ目を向ければ男が一人立っていた。
それは、逆光でその男の顔を暗く見えずらくさせたが、そんなもので私には関係ない。
ずっと、見てきた愛しい人。ずっと届かなかった愛しい貴方。
私があの人を間違えるはずがない。
尊氏様!!!