三話
「なんで……」
美春がいなくなった。
不正を暴く全資料を国王政府に提出した矢先、彼が美春を迎えに行ったら美春は何処にもいなかったのだ。
彼は、現実を受け入れられず立ち尽くしている。
あんなに彼を愛していた美春。そんな美春が彼を捨てた。彼も、今回出来たわだかまりをゆっくり時間をかけて、解いていくつもりで、まさか美春が自分を捨てるとは考えもしなかったようだった。
愛する彼を自分から捨てる美春を理解出来ない。でも、私には好都合だった。彼が愛する美春が自らステージを降りた。それなら、私の独壇場だ。たった一人の血の繋がった妹が失踪して、少しでも喜んでしまった。私はきっと世間で言われている私のイメージとかけ離れている。
立ち直れないでいる彼に、私が美春の捜索をすると言って彼には手出ししないようにする。美春が彼を捨てたのだ。私の欲しい彼を捨てたのなら私が貰う。美春が見つかったら話し合って、二度と彼の前に現れないように誘導するつもりだ。
幸い彼も忙しくて、美春を探す暇もない。
私が探す中、いくら経っても美春は見つからない。……見つかって欲しくない、という私の気持ちがそうさせているのだろうか。一人の人間として、罪悪感を抱いていた時に美春とよく似た人物がいると連絡を受けた。変装して、たどり着いたのは一つの食堂。はやし食堂というそのお店では、息を呑むほどの美人な女性が働いているという。その女性が現れたのが美春の失踪と同時期で、髪の毛の特徴も似ているということで、恐らく美春だということになった。その事実を知っているのは、私の他に二人しかいない。
早速、遠くから店の中を覗いてみる。そして見えたのは、白銀の髪と菖蒲色の瞳を持った美しい女性。確かに、髪と瞳は美春と同じだ。でも、私には彼女が美春とは思えなかった。美春はあんなに活発な子ではない。声を上げて笑うこともなく、最後の方は我儘で傲慢で、だから切磋琢磨して働くようなタイプでもなかったはずだ。ハル、と呼ばれる女性は、私にはその美貌以外普通の女性に見えた。あの美春の代名詞とも言える瞳の中の狂気が見当たらない。
……美春はどのようなツテを使ったか知らないが、私達の計画を影から助けるという今までとは違う謎の一面を見せていた。美春は敢えて自分を偽っていたのかもしれない。
「きっとこれが本当の美春の姿なのね」
そんなことこれっぽっちも思っていない。
偽りだけで、あそこまで人に尽くすことは出来ないと分かっている。
でも、そう思ってしまえば楽だった。罪悪感からも逃れられて、美春は安全に幸せそうに暮らしているし、そもそも美春からいなくなったんだから私は何も悪くない。あんなに幸せそうに暮らしているのだ。きっと、彼に近寄ることもないはず。
私は、彼女を美春と言うことにして、そうであって欲しいと勝手に願って、捜索を打ち切った。彼には、美春は見つからなかったと言って。
彼は、微動だにしなかった。
最初から分かっていたように、そうか、しか言わない。薄情にも見えるけど、ずっと彼のそばにいたから分かる。彼は、どうすればいいか分からないのだ。現実を受け止めきれていない。彼の心の中にぽっかり空いた穴。その中に私が入り込めばいい。
彼だって悪いのだ。美春がそんなに好きなら、私に遠慮せずに美春に想いを告げていれば良かった。美春がおかしくなった時、何がなんでも原因を突き止めれば良かった。さっさと私を突き放せば良かった。
そうしなかったのは、彼の高潔さと詰めの甘さと優しさのせいだ。欲しいものを手に入れるために、優しさなんて、そんなものいらない。
「大丈夫、私がいる。あなたの事を愛している私がいるわ」
そっと、彼に抱きついた。私の腕は彼を包むのに、彼の腕は垂れ下がったまま。それでも、良かった。彼が私の手を遮らない。拒否をしない。
勝った!私の勝ちだ!
この時、私は初めて欲しかった宝物を手に入れられたような気がした。
社会は、彼に傷を慰める暇もくれなかった。彼は、家の跡取りで、貿易会社も営んでいる。そんな中、貿易業が波に乗って多忙だった彼が、もっと忙しくなったのだ。私は、暇があれば彼に会いに行ったし、彼のために何かしたいの、とわざと色んな人に言い回って彼の世話を焼いた。
「社長は、真冬さんに愛されて幸せですね」
これの部下が笑って私に話しかける。彼も、私を邪険には出来ないようで受け入れるから周囲はどんどん私と彼仲を誤解して取り繕って、私の都合の良い方に進む。今までなら、なかった事だ。彼は、聡明な人だ。私なんかが操れるような人ではなかった。でも、傷心中の彼なら。冷たく見える表情の中で、傷ついた彼となら私の手腕の方が上回っている。
「そうですか? でも、彼はどう思っているか」
「真冬さんみたいな女性に好かれて嫌なわけないじゃないですか!きっと社長も真冬さんのことを好きですよ」
ありがとう。私の思い通りの返答をくれて。
「ありがとうございます。そうだといいのだけれど……」
彼と婚約したのは、それから数ヶ月してから。
きっと、この時私は人生の最高潮にいたのだと思う。彼は、そのまま流されてくれた。自分をこれほど好きだと言ってくれる人がいるのだから、私もそれを受け入れるべきなのだろう、と。少しも甘くない、ムードのへったくれもない、女性からのプロポーズに返す言葉ではないそれ。でも、この時私には自信があった。元から私は頭の出来が良いし、美春ほどではないけど容姿も優れている。その上、事件後は周りの人は皆、私を褒めてくれた。元から客観視していた私の自分像は、事件後の賞賛で自信を肥大化させていたのだ。
きっと彼を振り向かせてみせる。
その時の私には、自信があったのだ。
「尊氏様」
「尊氏様」
「尊氏様」
何度名前を呼んでも、何度抱きしめても彼の瞳に私が映ることはないのに。
美春がいなくなってから、一年。はたから見て彼は冷静沈着に見える。でも、私には分かった。彼から美春を感じるのだ。いつからか分からない。美春が消えれば彼の中から想いも消えるのだと思った。穴はそのうち塞がるだろうと。でも、実際は穴の内側からほろほろと側面が崩れて穴は深くどんどん広がっていく。
彼の瞳には、いつのまにか美春と同じ光が育っていた。
会えない時間が想いを育てる、なんてどこかの恋愛小説で言っていた台詞。冗談じゃない。そんなことがあり得るなら、彼の心は手に入らないじゃないか。
初めて手に入れた宝物。手放してたまるものか。
「……ねえ、結婚ってどんな感じ?」
男爵家に戸籍を入れて出来た、王都の華やかな友人に聞く。
「えっ!? 真冬さんもそろそろ結婚するの!?」
「まあ、もうそろそろかなって」
根っから乙女のこの子ならそう言うと思った。しかも、この子は口が軽い。悪い子ではないのだけど、噂が好きなのだ。
この子なら、ベラベラと他の人にも話してくれる。心がダメならせめて外堀から埋めてしまえば。
「ついにお似合いのカップルが結婚ね! 」
無邪気に笑うその子に、私は形だけの笑みを返した。彼と婚約してから、どんどん私の心と体がかけ離れていく。
「ありがとう」
夢の中で、私が私を眺めているような現実感のない日が続く。別に良いのだ。彼さえ手に入れば。それで、私は。