三十一話
「いらっしゃいませ!」
あれから一年が経った。尊氏様は、今日もやって来るのだろうか。尊氏様は仕事があって、毎日凄まじく忙しいはずなのに、毎日のように私に会いにきてくれる。
今では、その光景が日常と化していて、からかってくる者もおらず、平和に過ごしていた。尊氏様も最初は、市街の人々の明け透けさに嫌悪感を隠していなかったが、交流していくうちに苦手だが参考になる、と話しかけられれば話すようになり、商いの対象を庶民にまで伸ばすこともしていて、流石だと思う。
地方へ出かけていなければ、お昼の休憩時間にここに来てご飯を食べて帰る尊氏様は、女将さん達には悪いが普段食べているよりも味の劣る昼食を決して残さない。元から、生産者に申し訳ないと残す人でもなかったが、女将さんと大将に好印象を残すように頑張っているらしい。
というのも、話し合い以降初めて訪れた尊氏様に大将が、俺はあんたのことまだ信用してないからな!と言い放ったのだ。尊氏様は、基本他人は他人、自分は自分と割り切っていて干渉される事を好むタイプではない。私は、尊氏様が大将にあなたには関係ない事だと返してしまったらどうしようと思った。そもそも尊氏様が大将に信用される必要だってないのだから。
私がヒヤヒヤしているのを尊氏様は知ってからどうか、「信用されるよう努力します」と真剣に返してくれて。その姿に納得したのかどうか分からないが大将は気が済んだかのように厨房に戻っていった。気持ちは嬉しいが、やめて欲しい。
「尊氏様はああいうの、一蹴するかと思っていました」
「知らない人ならそんなもの聞く義理がないが、美春を保護してくれた人だ。感謝しているし、充分過ぎる義理があるだろう? 」
つまり、私のことがあるから。そう思うと、勝手に顔がにやけてならない。
尊氏様はこの一年間、私に尽くしに尽くしてくれた。私のどうしようもない不安もわがままも聞いてくれて、その度に受け止めてくれる。尊氏様が私をずっと好きでいてくれると信じさせてくれた。不安がないと言えば嘘になる。私の事情なだけでなくて、私が尊氏様の恋人となることで繰り広げられるだろう悪いイメージも一緒に乗り越えていきたい。悪い噂が立つより、美春がいない方が私を不幸にする、と言ってくれた。
不安はまだある。きっとずっとある。また、あの世界に戻るのは怖い。でも、尊氏様がいるなら。尊氏様が望んでくれるなら、私は戻りたい。
尊氏様は、結局私を陥落させた。元から敵うはずないと思ってたからやっぱりという結末。
もういつでも私の準備は出来ているのに、尊氏様はまだ告白はしてくれない。
「尊氏様!」
「様はやめてくれ、と言っているだろう?」
当たり前のように、様をつけていたが尊氏様はよそよそしくて嫌だと言う。言外にもっと親密になりたいと言われて嬉しくないわけがないが、こればっかりは素直に聞けない。だって、尊氏さんなんて。まるで、新婚さんみたいじゃないか!!
美春。尊氏さん。
そう呼び合う未来が来ると思うと、これまた顔がにやけてしょうがない。だが、尊氏様の前でそんな顔、乙女として見せられない。上に上がろうとする口角を必死になだめて、鏡で練習した自分の一番の笑顔を尊氏様に見せる。
「今日もおまかせで頼む」
「かしこまりました」
今日は、たっぷり玉ねぎのカレーライスだ。スパイスは高価で手に入りにくかったものを尊氏様が独自のルートで安く手に入れることによって、庶民にも浸透している。私は、大将が明日はカレーライスにする、と言ったのを嬉しく感じた。それは、尊氏様あって実現したメニューだから。
尊氏様の実業を認めるということは、尊氏様を認めたことと同意ではないか。
そう思いながら、カレーライスひとつと大将に頼むと大将は、チラリと客席を見て、おう、と返事をする。尊氏様は私の休憩時間を狙って来てくれるから、お客さんも少なくその間、私は尊氏様の隣に座って少しお話をする。今日は、どんなことをしただとか、最近好きなものとかくだらない話をして、笑い合う。そんな時間が幸せでしょうがない。
「ハル」
「はーい」
五分もすると大将に呼ばれて、カレーライスを取りに行く。そして、笑った。
「大将、これは?」
「……そういうことだ」
大盛りのカレーライスに、目玉焼き。あからさまな特別扱いだ。大将は、照れたように奥へ行ってしまったようだが、他の人のカレーライスを見なくては自分が特別だとは気付けない。これでは、尊氏様は気付かないのではないか。
不器用な人だなぁ。
「お待たせしました」
「ありがとう」
少し潔癖症があるからマイスプーンやマイ箸を用意している尊氏様は案の定、バッグからスプーンを取り出し、特別な反応もなく食べようとしている。お節介だが、その特別を言うことにした。もしかしたら、尊氏様は大将に遠慮して告白してくれないのかもしれないから。早く恋人になりたいなら、私から告白すればいいのにとも思うけど、折角だから追われてみたい。
「尊氏様、実はそれ」
「ん?」
「尊氏様のカレーライスだけ特別なんです」
声を潜めて耳元で話す。それだけでドキドキして、首を傾げた尊氏様は格好いいのに可愛いという奇跡を起こしている。
尊氏様は、キョロキョロと周りを見渡して、自分のカレーライスだけが大盛りで目玉焼きが付いていることに気付いた。
それで、気付くかと思ったが、尊氏様はニコリと笑って「ありがとう、美春」と私にお礼を告げる。そうか、これだと私が頼んだのと勘違いされてしまうのか。
勘違いしてしまう尊氏様も、すごく可愛いからそのままにしてもいいが、それでは恋人になるのが遅れてしまうかもしれない私はついつい言い過ぎてしまった。
「それは、大将からです。尊氏様がスパイスを安く広めてくれたからってお礼ですよ!」
「そうか」
「それって、もう尊氏様を認めてくれたってことですよね!」
自分のこと以上に嬉しそうに言う私に、尊氏様は苦笑する。
「そうだといいな」
「そうですよ!絶対」
尊氏様は、大将の声に返事するようにその大盛りのカレーライスを完食した。その頃には、時計は15時を指していて、私は18時まで自由時間兼雑用係だ。お昼の最後には大量のお皿を洗う仕事が待っていて、それを見た尊氏様が手伝うなんて言うから、そんなことをさせたら私は自分のこと責めます、と宣言してやめてもらった過去もある。それを見かねた女将さんが、お皿は18時までに洗い終わればいいと言う条件をつけてくれたので、尊氏様と少しの逢瀬を満喫してから洗うことにしている。
「今日は、どこで話しますか?」
「美春は何処がいい?」
「何処でもいいですよ」
そうなると、結局近くにある草原になるのが定番だ。何にもなくて、話すことしかやることがないからそれもいい。漫画知識だけじゃ知らなかった尊氏様の好みや苦手なものを知ることが出来るから。
好きな音楽は東洋の伝統音楽、好きな動物は犬。老後に飼ってみたいんだとか。苦手な食べ物は、ピーマン。小さい頃に無理やり食べさせられたのがトラウマになったなんて、そんな話、漫画には描かれてなんてなく、それが全てだと思っていた私は聞こうともしなかった。
幸せだ。今が、ずっと続けばいい。
でも、前にも進みたい。この人の隣は私のものだって宣言したい。
「もうすぐ星誕祭だな」
空を眺めながら尊氏様が言う。
去年の星誕祭の日、尊氏様と会うことはなかった。尊氏様にどうしても外せない仕事があったのだ。ガッキーと作った服は、クローゼットの肥やしになっている。
ガッキー曰く、恋人のいない人はハンカチを噛みちぎるらしいが私はそんなことなく、ガッキーに振り回されて踊るたけ君を眺めて楽しんだ。
「今年はその日、休むことが出来そうだ。美春、一緒に行けるか」
「もちろんです!」
別に去年が、寂しかったわけではない。だが、どうせなら尊氏様と行きたい。休むことが出来そうだ、らへんから一緒に行きたいと言いたくてうずうずしていた。
張り切ってお洒落しなければ。
普段から、尊氏様のため気合を入れているがその日は、所謂恋人たちの祭典。恋人達の、だ。恋人未満の私達も参加すればまるで恋人みたいな雰囲気を味わえるのではないかと期待していたのだ。
「じゃあ、約束だな」
尊氏様はそう言って左手の小指を差し出す。それは、私が教えた指きりげんまんだ。約束の印として、小指を差し出し嘘をついたら拳で一万発、針千本を飲ますという過激な意味があると教えたら、軽く引いていたが「私達にはこれくらいが丁度いいのかもな」と気に入ってしまい、約束をするたびに行うのだ。
その約束をした日から、私は星誕祭の日が楽しみでしょうがなかった。




