三話
「おまたせしました」
「いいえ、今日も抜群に可愛いね」
約束の五分前に着いたはずなのに、木宮さんは冷めたコーヒを持って待ち合わせ場所に座って待っていた。仮面をはずしてから聞きなれたお世辞を流し、じっと木宮さんを見上げると彼は苦笑しながら言い訳じみたことを言った。
「しょうがないだろう?楽しみで仕方なかったんだ」
しっかりとした大人なのにまるで、子供みたいなことを言うからつい笑ってしまう。そして、私とのデートをそんなに大事にしてもらえていることが嬉しくて。
「私は久し振りにおめかししました」
「うん。僕も今日は気合いをいれてる」
「えっ」
「えっ、分かんない?」
「あ、いえ。そうですね。言われれば確かに」
「……言われれば確かに、程度か……」
少しショボンとしてしまった木宮さんは、普段の王子風イケメンのカッコよさがなりに潜め、可愛さが目立つ。
結局、膨れた木宮さんと私の笑いを堪えている顔があい、お互いに笑いあってしまった。なんだか、ふわふわした気分だ。
「今日はどこか行きたいところある?」
「特に思い付かないんですけど、何か言った方がいいですか?」
「無理にだったら構わないよ。こっちも一応プランはたてているし」
「では、それに従います」
「従うんじゃないよ。僕が一方的に楽しむんじゃない。二人で楽しむんだ、わかった?」
「、そうですね。私も楽しみます。目一杯」
「よろしい。良いお返事だね」
「……ここ」
「このお店知ってた?紅茶とマフィンが有名なんだけど」
「え、ええ。知ってます」
木宮さんに連れて来てもらった場所は、よく尊氏様と訪れた老舗の喫茶店だった。価格設定は、お金持ち向けで庶民は絶対に入れないこのお店には家を出て以来、一度も来たことがない。
道のりで何となくここかも、とは思っていたが実際に来るとやはり感慨深いものがある。
上品な店員さんに案内された席は、あの頃座っていたこの店一番の特等席ではないがそれなりに良い席で。多分、店員さんが配慮してくれたのだと思う。これまで見たことのない、新しく雇っただろう女の店員さんは私に時の流れを感じさせた。
「そんなに緊張しなくていいよ」
困惑した私の姿に木宮さんは、苦笑しているがその声には愛しい気持ちがのっている。木宮さんは、私のこの反応を良い方向のものだと勘違いしている。感覚的に分かったそれをわざわざ否定する必要もなかったので、「頑張ります」と口にしてメニュー表を手に取った。
それにしても、木宮さんは失敗している。新しい恋、なんて言っときながらこんなところに連れてくるなんて。
朧気だったあの日々も、いつも飲んだアールグレイの文字を見たら鮮やかに思い出されて、愛しい尊氏様を、楽しくて苦しかったあの日々を想ってしまう。
あの人はいつも、無表情でつまらなそうだった。それでも私はあの人を愛していたのだ。
「何を頼む?」
「……アールグレイと季節のデザートにします」
もう、ここに来ることもないだろうからいつものオーダー。たいしてメニューを見ずに決めてしまったが、二度と食べれないのかもしれないのなら、絶対にあの人と飲んだアールグレイがよかった。
「そう、じゃあ僕はアッサムティーにしようかな。あとはスコーン。ここのは美味しいから食べてもらいたくて」
「ありがとうございます」
実は食べたことあるんです。このお店のスコーンは、外国産の希少なバターを使っているから自然な甘味で。私が今まで食べたスコーンの中で一番美味しいんです。甘いのが苦手な尊氏様も毎回頼んでたんですよ。
……仮にもデートの相手の前で、他の男のことを考えるのは失礼だろうか。
でも、こればかりは仕方がない。
仕方ないのだ。
やっぱり。やっぱり私は尊氏様しか愛せないのだろうか?
前向きに動きかけた心は萎み、モヤモヤした影が覆い隠す。
アールグレイはさておき、季節のデザートで出てきたグレープフルーツのゼリーは私の心の味がした。
「楽しんで貰えたかな?」
「はい、ありがとうございました。それで、その」
「……結論を出すのはまだ早いよ」
「えっ」
「時々寂しそうな顔してた。僕は、まだ姿も知らない僕のライバルに勝てないんだね」
「ライバル?」
「そう。君の心を奪い合う僕のライバル」
ああ、そうか。
確かに普通はそう思うかもしれない。こんなに長い間忘れられないのならそう思って当然だ。
尊氏様は貴方のライバルなんかじゃありません。だってあの人は。
「……あの人は私のことを嫌ってました。私が一方的に好きで、付きまとっていたんです。あんなに嫌がられてたのに。信じられないかもしれませんが長い間側にいて、あの人が一度も笑っている所を見たことがないんです。あの人は、私なんか好きじゃない。だから、木宮さんにライバルなんて存在いません」
「君を嫌い?」
「……ええ」
「そうか、僕はてっきり付き合っていたのかと。すまないね」
それでも付き合っては、いました。一応婚約者で将来を誓いあった関係でした。
でも、そんな馬鹿なこと優しい木宮さんになんか口がさけても言えない。
私は、木宮さんの言葉を聞きながら、もう恋は諦めようと。無駄な、出来っこない努力は止めて、木宮さんに誠心誠意謝ろうと決めていたのだ。それなのに。
「じゃあ、このレースは僕の独壇場だね。こんなに魅力的な君を嫌いな彼は愚かだ。僕は君が諦めたとしてもその悲しい笑顔を嬉しい笑顔に変えてみせるから」
「え?」
「つまり、ハルちゃんを諦めないってこと」
「……私、付きまとってたと言いましたよね」
「言ったね。でも恋する男には関係のないことだよ」
「木宮さんって変わってるって言われませんか?」
「えー、言われたことはないけどなぁ」
断ろうと思っていたのに、また次のお約束を取り付けられてしまった。答えられる根拠はないのに、どうして木宮さんはこんなに頑張れるの?
待ち合わせ時に真上にあった太陽は今はもう沈みかけていて、まだ暗くはないのに木宮さんは送ってくれると言う。
遠慮したが危ないからの一言で返せなくなった。ストーカー被害にあった記憶はまだ新しい。
「そういえば、今日はあのネックレス着けてないんだね」
それは、不意に出た軽口のようなものだった。
「!、そう、ですね」
「…………忘れられない人からのプレゼント?」
「なんで!?」
「なんで分かったか?ハルちゃんは無意識のようだけどあの薔薇のネックレスを癖で撫でてるんだよ」
「え、本当ですか?」
「うん。それで、何となくそうなのかなって。いつもそれ見て悔しかったからさ、今日は着けてないんだなってホッとして。それでも、ハルちゃんの手は自然に首もとを触っててさ、あ、まだ負けてるんだな僕、と思ったわけだ」
「……すいません」
「謝らないで。僕が悔しかっただけだから」
自分では気付かなかった癖だからどうしようもなかったけれど、申し訳なくて顔が見れなかった。食堂前までと言われたが、からかわれるのが嫌なので、と本音を言えば笑いながら納得してくれる。
「じゃあ、またね」
「はい、また今度」
案の定、女将さんや常連客に散々からかわれて大変だった。ほぼ全てが木宮さんとの仲に肯定的で、木宮さんは誰から見ても良い人なんだと実感する。
「ハル、あんたあんないい男逃がすんじゃないわよ!」
「確かに木宮さんはいい人ですね」
「コラ、はぐらかすな!!」
なんだか外堀がどんどん埋められていくようだ。私は、こんな状況にでもならないと新しい恋になんて進めないから都合がいいのかも、と前向きにとらえてみたがやっぱり、期待の大きさに不安が増した。
おめかし用のワンピースを脱ぎ、いつもの仕事服に着替える。今日もお客さんはたくさん入っている。
頑張らなくちゃ。
そんな風に呑気に過ごしていた私は知らなかった。
尊氏様が私を探していることを。