二十五話
私の拒絶を受けて、にこりと笑う木宮さん。そんな姿に、驚きはしない。
この人は強い人だな、と思うと同時に、頭の中で冷めた自分が、こんな簡単に諦めるなんて愛じゃないと呟く。
私には、普通の愛し方がわからない。好きで好きで好きで苦しくて、その人にその身を捧げて、拒絶されたら死んでしまいそうになる。そんな愛し方しか知らない。
だから、木宮さんは私に相応しくない。
「そう、ですか」
「うん。僕もやっと諦められる。実は苦しかったんだ」
「分かります」
好きな人に振り向いてもらえないのは、苦しい。それは痛いほど知っている。だから、相槌を打ったのに、木宮さんは苦笑した。
「僕とハルちゃんじゃ状況が違うじゃないか。僕は片思い。ハルちゃんと葉月尊氏は両想い。雲泥の差だよ」
どうやら木宮さんは、尊氏様が私を好きだというあり得ないことをまだ嘯くつもりのようで、私は喉から手が出るようなその嘘に少しでも期待したくないから語尾を強めた。
「冗談はやめてください。尊氏様が私を好きなんてあり得ません。確かに、姉と婚約破棄したそうですが、それは……きっと、なにか……なにか事情があって、それで、……きっと」
「うん。ハルちゃんが忘れられないって事情なんでしょ。だから、ハルちゃんのお姉さんと別れた。簡単で、ちょっと腹立たしいただの事情だよ」
「あり得ません。尊氏様は私を迷惑に思っていました」
「それを本人に確かめたの?ハルちゃんは認めたはずだよ。あの時の自分はおかしかったって。ハルちゃんが見ていたものは虚像かもしれない」
確かに尊氏様は、私に直接誹謗したことはない。でも、誹謗したことがないだけで好意を示してくれたことだったなかった。物は買えても心は買えない。だから私は、いらない嗜好品を強請ったりはしたが愛の言葉を強請ったことは一度もない。心のこもっていないその言葉でも私はきっと喜んでしまうから。
それに木宮さんに尊氏様の何が分かるのだろう。
確かに今は物語の外で何が起こるか分からない世界ではある。でも、尊氏様のことは木宮さんより分かっているつもりだ。
「不満そうな顔だね。まあ、いいさ。僕が彼にそこまでしてあげる義理はないし。でも、僕はハルちゃんには幸せになってもらいたい。それだけなんだよ」
「ありがとうございます」
ともあれ、人に幸せになって欲しいと言われるのは素直に嬉しいことで、納得できない気持ちもありつつお礼をいう。
納得できない気持ちが顔に出ていたみたいで、木宮さんはまた苦笑した。
「これで最後だから」
木宮さんはそう言って頭を撫でる。男の人に触られるのは慣れていないから、少しどきりとする。でも、それだけだ。
やっぱり、木宮さんは私と釣り合わない。
木宮さんみたいな優しい人に、私なんて釣り合わない。どうか幸せになって欲しい。
「今日はありがとうございました」
「ううん、こちらこそありがとう」
私は、もうこれで私の物語のエピローグに入っているのだと思っていた。ごちゃごちゃしていた自分を整理できたし、木宮さんとの関係もはっきりした。尊氏様のことは、納得できていないこともあるけど、もう別世界のことだから関係ない。
この物語はこれで終わり、これから新しい物語が始まる。
そんな風に清々しい気分で、私と木宮さんは家路を帰る。太陽は、ちょうど頭上にいたけど草花の香りを乗せた冷たい風がふんわり吹くから暑くはなかった。
木宮さんは、私を借りた責任があるからとお店まで送ってくれる。
その異変はお店に着く少し前に気付けた。お店の出入り口に若い女の子たちが集まっているのだ。その子達は、心なしか頰を赤らめモジモジとしている。
珍しい、と感じた。
お店に来る客層は、庶民の男性が殆どで若い女の子はなかなか寄り付かない。木宮さんが来た時もその優しい整った顔立ちに女の子が集まったが、これ程ではなく、また木宮さんが私に分かりやすくアプローチをするものだからめっきり女の子は来なくなった。
「ハル!」
また女の子達が騒ぐような顔面偏差値の高い男性が来ているのだろうか、と人ごとに考えていると店から出てきたガッキーが慌てた様子で私に駆け寄ってきた。
「やばいよ!すんごいハンサムがハルに用があるって!やばいやばい。木宮さんより断然イケメン」
「君ねぇ」
本人を目の前に失礼なことを言うガッキーに、木宮さんは呆れ顔。ガッキーがコソコソと強力なライバル出てきちゃったよ!?どうするの!?とコソコソ話しているのを見て、これからガッキーに木宮さんと結ばれることはないと説明しなければならないと思うと、少し目眩がした。
それにしても、私に用とはなんだろうか。
やはり、またあれか。
実を言うと、見ず知らずの人に呼び出されるのは初めてではない。まだ市街に来たばかりの頃、告白のため何回もよびだされたことがあるのだ。断る方も勇気がいるのに。
自分でも自意識過剰とは思うが、その時はそう言った呼び出しなのだと思って恐縮する。
「じゃあ、行ってくるね」
「ちょっと待って!ハル、もう大丈夫?」
私の腕を掴んだガッキーの手は力強くて、跡が残りそうだ。それほど、心配させていたのだと思うと申し訳なくて、それほど思ってくれていたのだ嬉しくなる。ガッキーは、私にとって始めての友達で。距離感が掴めない私にグイグイ迫ってきて、グイグイ心の中にも入ってきた。力強くて、乙女で、優しい。そんなガッキーと友人に慣れてよかったと心の底から思う。
「うん。大丈夫」
「そう!良かった!ヘタレ木宮さんもこれで一歩彼氏の座に近づいたんじゃない!?」
「ヘタレって、君ねぇ」
またもや、本人を目の前に失礼な発言をするガッキーに怖いものは無いのだろうか。何気にプライドの高い木宮さんも眉を上げている。
「待たせていて悪いから、私行くね」
その人が何時に来たか分からないが、今日私がいないことは女将さんから聞いているはずだ。それでも、いつ帰るか分からない私を待っている辛抱強い人をこれ以上待たせるわけにはいかないと走ってお店の中に向かう。
「お待たせしまし、た……」
そこには。
「美春、いや、ハル。お邪魔している。お前と話したいんだ」
「……っ誰ですか」
「……分かってる。そうだよな。今更私にお前の目の前に現れる資格なんて」
そこには、尊氏様がいた。この庶民的な市街には、似合わない高貴な気品と冷たい顔立ち。社交界でも人を寄せ付けない雰囲気は、この和気あいあいとした食事の場でも発揮したらしく、尊氏様の周りには誰も座っていない。
私は尊氏様の顔を見た瞬間怒りが膨れ上がった。
これは、どういうことだ。
尊氏様が姉と婚約破棄したことは、自分の中で折り合いがついたしもう怒ってはいない。それでも、これは怒るしかないだろう。
「誰なんですか!」
尊氏様の顔を見た瞬間、怒りを露わにした私にお店の中の野次馬はキョトンとして、興味津々にこちらを見てくる。
私が人前で声を張り上げたことがなかったこともあるし、野次馬達は私たちが初対面だと思っているはずだから、初対面でいきなり誰だ!と怒鳴りつければ不思議にも思うだろう。
「やっぱり私は赦してもらえない」
「私の大切な尊氏様に手をあげたのは誰ですか!」
「……は?」
尊氏様の頰に立派な紅葉が散っていた。




