二十三話
「分かってます。本当は分かってますよ。でも、違うんです。尊氏様が悪いんじゃないんです。私が求めなかった。尊氏様の優しさは、尊氏様を騙している私には、毒でしかなくて。それに、私は嫌われているだろうからって、私はわざと嫌われるように振る舞ってた。即物的な物だけ受け取って、媚びるだけ媚びて、それでも尊氏様が私に近付くことは許さなかった」
「なんで?」
「だって、私は悪者だから。どうやったって尊氏様は手に入らない。どんなに足掻いたって手に入らないなら最初から諦めて遠ざけた方が傷つかないじゃないですか」
「……それでも、僕には分からない。自暴自棄で遠ざけてそれでもまだ好きな理由が。だって、どんな理由だろうと葉月尊氏は、君を冷遇したはずだ。それでもまだ好きなのかい?君は、葉月尊氏は優しいというけどそれだけは違う。葉月尊氏は酷い人間だ」
実際に、葉月尊氏が如月美春を冷遇しているところは見たことがない。だが、社交界に出回っている噂としてそれは有名な話だ。
だから、僕は言い切った。彼は、少なくとも優しい男ではなく酷い男だと。これは、少し葉月尊氏への嫉妬が入っているのかもしれない。僕が好きで、好きになって欲しいハルちゃんにこれだけ、まるで恋というより執着に似た愛を向けられている男。
そんな男が完璧だったら、諦められただろうか。いや、それでも諦められない。
そんな男に欠点があったら、ハルちゃんが興醒めしてくれるよう何度だって指摘する。
酷い人間だ。
それでも、しょうがない。ハルちゃんがどれだけ葉月尊氏が好きでも、ハルちゃんをより幸せに出来るのはきっと僕だから。
そんな想いで言い切った言葉だった。僕は、葉月尊氏を責めた。
「……」
それなのに、目の前のハルちゃんは菖蒲色の宝石から雫が垂れるように、静かに静かに涙を零している。
なんで泣いているの?
僕は聞くべきか迷う。あの強いハルちゃんが、涙を拭いもせずに泣くのだ。元々、女性が泣いている姿を見慣れていないのもあるし、それが好きな女性ともあって衝撃は強い。
僕は、ハルちゃんに酷いことを言ったつもりはなかった。それでも、ハルちゃんは泣いている。この場面で、なんで泣いているのかなんて聞いたら、好きな女性を泣かせた自分の失態も気付けない愚かな、いや、どうしようもない男だ。
僕は、愚かな男だけど、どうしようもない男にはなりたくなかった。だから、聞きたいけど聞けない。
ポロポロと涙が頬を垂れて、ハルちゃんの手の甲に落ちる。それが、何回か繰り返した頃だった。
「……酷い」
ハルちゃんが、遠い空を見てポツリと言う。僕は、そんなに酷いことを言っただろうか。
彼女の行動を自暴自棄と言ったから?
葉月尊氏が如月美春に冷遇していたと言い切ったから?
葉月尊氏が酷い男だと言ったから?
思い当たるのは、その三つくらいだがどれだって決め手に欠ける。
「なんて酷いことを……」
「ごめんね。でも」
どれが正解なのかは分からないが、どちらにしろ本当のことだ。だから、それが真実だよ、と告げようとした。人を一番傷つけるのは、いつだって真実だからそれを突き詰めて君を傷つけてごめん。そう言う意味の謝罪。
だけど、僕が謝ってすぐにハルちゃんは魂の抜けた声でそれを遮る。
「違うんです。違います。……酷いのは、本当にどうしようもない、最低な人間は私なんです」
僕は、分からなかった。今の話で、なぜハルちゃんが酷い人間になるのか。
僕が何も言えず押し黙ったからだろう。ハルちゃんは、僕を一瞥もせずに語り出した。
「私は、馬鹿です。なんで気付かなかった。……私は、良かったんです。誰に嫌われようと、誰にどう思われようと。だから、嫌われるよう行動した。何回も何回も尊氏様は私を助けようとしたんです。私の奇怪な行動に戸惑いつつも、手を差し伸べてくれた。それなのに、私は将来その手が無くなってしまうのが怖くて怖くて堪らなくて。その手を振り払ってしまった。私が悪いんです。ストーリーに忠実であるために、私は自分が冷遇されることを望みました。それが、尊氏様を幸せにするものだと思って。それなのに、それなのに」
それは、先程書いた内容だった。自分の人生をかけてまで幸せにしようとした男。口の奥がジリジリと苦くなるような台詞。それが、僕であったらきっとどんなデザートよりも甘いはずだ。
「私のせいで、私が望まれて冷遇されたせいで尊氏様が悪者にされる。そんなことあっちゃいけない。悪者は、悪い人間は私なはずなのに。私が悪くなきゃいけない。私が嫌われなきゃいけない。私が世界のはみ出しもの。私がこの世界の悪役令嬢でなきゃ。私のせいで、尊氏様が酷い人間だと誤解されるなんてそんなこと駄目。絶対に駄目。私がもっとうまく立ち回らなかったから。私が作戦を上手くねらなかったから。私が尊氏様がどう思われるかを考慮していなかったから。酷い。酷い。酷い。私は私が赦せない。誰かに尊氏様が悪者だと思われるような行動をした私が赦せない。なんで、なんであの時もっと考えなかった?私の失敗で尊氏様が。この世界で尊氏様は完璧でなきゃいけないのに。お姉様と幸せに暮らさなきゃいけない。尊氏様は誰からも愛されてなきゃ。私は、その手伝いをしなきゃいけないのに、失敗した。最悪。最低。どうしよう。どうしよう。尊氏様が私のせいで。幸せでなきゃいけないのに。わたしが悪者のはずなのに。この世界を正しくまわさなきゃいけないのに。私が尊氏様を汚した?駄目。私は……」
ぞっとした。
初めて、人をこんなにも恐いと思う。ハルちゃんの虚ろな目に、ぞろぞろと狂気が混ざっていく。美しい容姿をしているから禍々しいそれはより際立って。
独り言のようにブツブツと続ける様は、控えめに言ったって正気ではなくて、今まで好きな子の為ならどんな姿でも受け入れるつもりだった僕も流石に引いてしまう。
自分のせいで葉月尊氏が僕に悪者扱いされたのが赦せないのだろう、ということは分かった。それだけ考えれば、純愛の一種に入るのかもしれない。でも、この様子はどう見たって。
暖かい小春日和、僕の腕には鳥肌が立った。初めて見た好きな子の一面。それは。
「驚きました?」
狂気を瞳に宿したまま、やっとこちらを見たハルちゃんは笑っている。目を見開いたまま、瞬きませず口角だけ上がった姿に僕は、反射的に後ずさった。
ハルちゃんがおかしい。
ハルちゃんは、こんな顔で笑う子じゃない。
ハルちゃんは、こんな風に僕を怯えさせるような子じゃない。
僕は、何か言おうとしたが声が出なかった。口から声になり損ねた空気が音を出しながら通り過ぎる。
好きな子が恐ろしい。
急に、恐ろしくなった。
「急じゃありませんよ?」
「え」
心を読んだような、その台詞に僕は恐ろしさを一層増した。
「私、言いましたよね?私はおかしいって」
確かに言っていた。
確かに言っていたけど、それは。
お久しぶりです。
また投稿を再開していきたいと思います。




