二話
姉と尊氏様の如月家汚職告発事件は、あの漫画のストーリー通り私が19歳になった日の2か月後に実行される。
私はその作戦を内密にサポートすることが出来た。何せ、私には漫画知識があるのだ。あの漫画の中の愚かな妹と違い、利口に事に及べる。
といっても、そんな大掛かりなことはやってはいない。都合よく機密文書を見つかりそうな位置に置いたり、計画の矛盾点をさりげなく潰したり、アリバイ作りに協力したり。
そして、喜ばしいことに、そのいずれの手助けも尊氏様に気付かれる事はなかった。私の普段の行いからいつもの我が儘が自分達に都合よくまわったとでも思っているのだろう。
不本意でないと言えば嘘になるが、別にいいのだ。私は絶対に尊氏様の前で健気な良い子になってはいけない。私は常に、嫌な女じゃなきゃいけないのだから。あの人は私がこの計画の手助けをしてると知れば、婚約破棄することを躊躇するかもしれない。全てをなくす覚悟で尊氏様のために動くが絶対に愛されることのない私への同情のせいで。今更そんなの困る。
ここまで来たら、何がなんでも幸せになってもらわなくては。私の我が儘に付き合わせた9年分、私は尊氏様に恩返しをしなくてはならない。
その計画の実行日まで、私は普段通りに振る舞った。いつも通り、顔をコンプレックスにして根暗そうに。そのくせ、尊氏様の前では人見知りで不遜な態度などなかったように甘えて。尊氏様の仕事の都合なんて何にも考えないふりをしてデートに誘い、プレゼントをねだった。
誕生日には、ネックレスを。私からのリクエストだった。
シルバーの薔薇を象ったブランド品で、それは私がいつもねだったプレゼントより大分地味なものだ。尊氏様も不審そうに再度これでいいのか、と聞いてきたが「最近見た恋愛小説で主人公が貰っていたのが羨ましくて」と甘えた声を出せば素直に聞いてくれた。
これが贈られた2か月後には、私は市街へ降りているのだ。今までの贈り物は豪華すぎて目立ってしまうし押収されてしまうだろう。されど、これならメッキに見えなくもないし、街中で付けていても不自然はない。
そのネックレスは、私が望んだ尊氏様との最後の繋がりだった。
そして、迎えた誕生日。贈られたネックレスに過剰に喜んだ私はその手にハンカチを渡した。
白いポインセチアの刺繍が入ったハンカチ。
白い布に白い糸を使うわけにはいかず、クリーム色になってしまっているがそれが私の答えだった。2か月後に尊氏様から問われる質問への答え。
まさか、誕生日に本人からプレゼントを貰うとは思っていない尊氏様は、受けとるのを渋ったが折角頑張って縫ったのに、と拗ねると嫌そうに受け取ってくれた。
ごめんなさい。嫌いな女からプレゼントなんて貰いたくないですよね。でも、これで最後ですから。
歯をくいしばり、溢れでそうな感慨をやり過ごす。それは、きっと私の想いを垣間見れるものだったが伝わることはない。私の顔には罪の象徴が未だふんぞり返っている。
案の定、尊氏様は行動も声のトーンも変わらずいつもと同じようで、でもいつもより辛そうな顔で話す私の様子に気づくとはなかった。
気付かないのは当たり前だ。
私が私の為に着けた仮面がそうさせているのだから。
自業自得とは、まさにこの事を言うのだろう。
それでも、終始冷たい態度をとる尊氏様を少し憎らしく感じた。なんで、気付いてくれないの。私は貴方のために、貴方のために、貴方のために。
……いや、これはエゴだ。
分かっていたことなのに、それがすぐ目前に来ると決心が揺らぎ自分の幸福を願ってしまう。
ああ、私はなんて浅ましいのだろう。
「これから美春の環境は大きく変わることになるだろう」
計画実行の前日、尊氏様は私の前に現れ、急に言った。それは、その計画を預かり知らない者にとっては意味不明なこと。私はしっかり、不思議そうに不審そうに尊氏様を見て首を傾けた。この時ばかりは仮面があって良かったと思う。私は、賢い女でも名女優でもない。
隠されたそれは、これから愛しい人と離れ行く辛さと覚悟、不安と安堵でグシャグシャになっているから。
結局尊氏様は、詳しいことはなにも言わずその一言だけ残して去っていった。漫画では、これから最後の大一番を迎えるはずだ。そして、それは当然姉と共に行われる。
尊氏様自身は、また明日来ると言っていたがきっと婚約破棄と私の今後の境遇について話されるのだろう。されど、私はその場にはもういない。
明日の朝方、この屋敷を発つつもりだ。昼頃にはここは、大勢の捜査官に埋め尽くされ私は強制的に牢屋に入れられてしまうかもしれない。
ここばかりはストーリーと違うから展開が分からないのだ。
さっきの尊氏様の訪問だって本来はないバグで。私は漫画とは違い我が儘に過ごしただけで、計画を邪魔するための犯罪は起こしてはいない。わざわざ尊氏様が警告してくださったということは、あの漫画の妹程は嫌われてないのだと思う。
そうすれば、牢屋に入れられるのはやっぱりないのだろうが私の決心は硬い。
ここを出て第二の人生を歩むのだ。
午前4時、いまだ暗闇のなか私は屋敷を旅立った。なにも持たず出ていくのは格好いいが、実際問題そうはいかない。私も一応被害者だしちょっと位良いよね、と今までこつこつ貯めたヘソクリと少しの荷物、尊氏様から貰ったネックレスだけを持ちそっと屋敷の裏扉から外へ出る。
少し歩き、微かに日が上った頃振り返り自分が生きてきた所を見た。
そこから見ても立派な白い洋風の屋敷の中は腐りきっている。見た目だけは綺麗なのに私の目には禍々しい幽霊屋敷に見える。
そこで、自分は19年間生きてきたのだ。
清々した。それでも少し寂しくもあった。
美春が家を抜け出した六時間後如月家は長女の告発によって罪に問われることとなる。犯罪の主格であった父は牢に入り、母は修道院へ強制連行。家はとりつぶされ、自分を顧みず正義を通した姉は世間で大きく評価され男爵家の養女となった。
社交界や街中、いや国中で姉の勇姿は称賛され、姉は一躍時の人となる。美しく聡明、故に冷遇されていた女性が、困難に耐え抜き勝った。
これほど旨い肴はないだろう。
しかもその女性は、愛しあった男性を我が儘な妹に盗られ、苦しんだが今やっと愛しい男性と結ばれた。
恋に憧れる女性たちにとってこれほど理想的なものはないだろう。
そして、妹は。
愚かで醜い妹は、今のところ罪を犯した証拠はない。だが、なにかしら罪を抱えているため逃亡している、と噂された。
断罪の日から忽然と姿を眩ませた少女は、机にひとつ『さようなら』のメッセージを置いていったらしい。
さようなら、なんてメッセージ書いてないんだけどなぁ。
姿を眩ませた私は世間では専ら悪役令嬢として扱われている。いなくなった理由も捕まるのを恐れたから、だとか。まったく勝手なこと甚だしい。
庶民の集まる下町食堂は今日も人が賑わっていて、またあの噂を面白おかしく話していた。あの事件から二年。それなりに時は経ったし、人の噂は75日とも言うが真実のまざるそれは、本当にあったドラマチックな話しといて今も尚、色褪せることはない。
親切な店主に住み込みで雇ってもらい、必死に働いてきた。傷ひとつない綺麗な手は、数ヵ月もしたら一般庶民なりに荒れたが、質素な生活も案外悪くないはなかった。
熱い眼差しで見られるのも慣れたし、口説きをかわすのも慣れた。中には、しつこいのもいて、そういうのは友人の衛兵をしている人に助けてもらっている。
あの日、私はメッセージは残していないが、私の象徴たる仮面を残していった。
手紙でも書こうか迷ったが、いいのだ。あのポインセチアのハンカチに。あの”サヨナラ”に私の想いは宿っている。
だけど、いつか。いつか、姉と結婚し子供が出来て仕事を引退して、余生を気ままに過ごしていたその時に。あのポインセチアの花言葉を貴方が知ってくれたなら。確信でなくていいから、そうだったのかもしれないという朧気な予想でもいいから気付いてくれたなら。
私に思い残すことはない。
「ハルちゃん!!今日も女神が嫉妬しそうな美しさだねぇ。僕と付き合ってくれない?」
「相変わらず文脈が変ですね、木宮さん。お断りいたします」
「ありゃ。今日も断られちゃったか」
こんな庶民派の食堂に似つかないような、イケメン紳士木宮さん。ここで働いてからほぼ毎日ように告白され、今や折れない華と言われる私をそれでも尚、口説き続ける変わった人。
突然現れた訳あり風な美少女(自分で言うのもなんだが)は、町の男を随分色めき立たせたが忘れられない人がいると噂がたてば諦める人が激増した。なにやら、動作からそれなりの名家の生まれだとは予想つけられていて、そんな女が忘れなれない男に勝てるわけがない、らしい。
それでも、やはり口説かれる時もあるが笑顔でスルーすれば「やっぱりね」と周りが笑いだす位には軽いものになっている。
「ああ、その困った顔も可愛いね。やっぱり諦められないな。お嫁さんに欲しい」
「諦め悪いですね、木宮さんの家は爵位持ちでしょ?私のような身分の分からない女と結婚できるわけないじゃないですか」
「身分なんて関係ないよ、君を愛しているんだ」
「それは、見た目だけでしょ?」
「それだけじゃないよ」
急に真面目だったトーンに驚き、言葉を紡ぎ出せないでいるとぎゅっと手を握られる。意外にも真剣な眼差しに、何も出来ないでいると木宮さんは困ったような顔をして手を離してくれた。
「ごめん、ビックリさせちゃったかな?」
「え、いや…………」
「ハルちゃんに忘れられない人がいるのも知ってるよ。でもさ、あの如月家のご令嬢もやっとあの恋人と結婚するくらいに時間が過ぎたんだ。そろそろ前に……ハルちゃん?」
結婚?
「あの二人って結婚するんですか?」
「ああ、そうらしいね。市街ではまだ出回ってないが社交界ではその噂で持ちきりだよ」
「そう……ですか」
そんなこと知らなかった。そう、か。あの二人は結婚するのか。
今まで尊氏様のことを忘れようと何回もしてきた。それでも、尊氏様への想いは私の生きてきた証でもあって。それをなくしたら今までの自分がなかったかのように、これまでの努力が無駄だと言われている気がして。
なにより、単純に忘れられなかった。他の人に目を向けようとしてもふとした仕草に尊氏様を思い出す。全てを比べてしまうのだ。
でも、そろそろ終わりにしなければならない。あの私の目の前で弄らしく、ロミオとジュリエットのように引き離されていたふたりは、悲劇ではなく喜劇として結ばれる。
「そうですね……私も前に進まないと」
「!!そうかい、それなら」
「でも、まだあまり自信がありません……」
「それでも良いんだよ。最初はうじうじしてたって良いんだ。楽しくお喋りしてデートして、照れながらキスをしたり、たまには酷い喧嘩をしたり。そんな風に過ごしたらいつのまにか忘れているさ。人生長いんだ。時が解決してくれる」
「木宮さん……」
「ということで、早速デートの約束でもしようか」
「私、まだ木宮さんと、とは言ってないです」
「……まだ、ね」
嬉しそうに笑った木宮さんは、華麗にデートの約束を取り付け食堂を後にした。まだ、木宮さんを好きになれるか分からないけど、好きになるのはあんな人が良いと思う。
案の定、この話を聞き耳していたお客さんからはすっごくいじられ、飽き飽きしたが、これでも会話の最中は邪魔しないよう気を付けたらしい。下町の人は距離感が近くて戸惑ってしまう私であった。
「ハル、今日デートの日でしょ!!ちゃんとおめかししなきゃ!」
「なんで女将さんまで知ってるんですか……」
「何言ってるの、この町でハルが今日デートすることを知らないやつはいないよ!!万が一でも、邪魔しないよう年寄り連中で手を組んであるからしっかりと楽しんできな!!」
「え、ええ。ありがとうございます」
ありがたいのだけど、そっとして欲しい。あんなに期待した目で見られると答えなきゃいけないと思ってしまう。女将さん的にも木宮さんは、顔良し頭良し家柄良しで最高峰の男の一人らしい。女友達にも興奮されながらオススメされた。
これ以上考えたら怖いことになりそうで、考えを止め、髪を手櫛で整えながら鏡を覗く。そこには、菖蒲色の瞳と前とは違い手は行き届いていないが、それでも目を見張る銀髪の美しい少女が映っていた。
ずっと仮面を被っていたから、時々鏡に映る自分に驚くことがある。逆さまに映る自分を見れば、菖蒲色の奥に深い瑠璃紺色が鮮やかで、昔尊氏様に嫌われていない頃、深い海のように綺麗だと褒められたことを思い出した。
あの仮面を被ってからは、瞳は影で暗くなりこの混じった瑠璃紺色を見ることは不可能になったはず。もう、尊氏様も私の本当の瞳を忘れていたに違いない。
「いけない、これからは楽しまないと」
傷む胸を見なかったことにして、私は約束の場所へと向かった。