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十七話

 

 尊氏様は、予定より少し早い時間にやって来て、私はすぐにダイニングに呼ばれた。

 昨日と同じくらい、いや、昨日より心臓はバクバクと動いて落ち着いてくれない。指先は氷のように冷たくなっている。


 大丈夫。きっとそれは嘘だと否定してくれる。

 さあ、行くんだ。






「すまない」

「えっ」


 開口一番に言われた言葉は、まさかの謝罪。


 一瞬私の中の疑惑に対しての肯定で、その為に謝られたのかと動揺したが、その後に続く尊氏様の言葉で勘違いだったのが分かった。


「今日、あの人がやって来ただろう?」

「あの、叔母様のことですよね?」

「そうだ。あの人は意地が悪いからハルに何かしてないか、心配でな。私は周囲にこの屋敷のことを秘密にしていたんだが、とうとうあの人に嗅ぎつかれてしまったらしい。一応、もしあの人が来たとしても絶対に屋敷にいれるな、ときつく言っておいたんだがあの人が脅したらしく……」

「相変わらずですね」

「ああ、本当にあの人は」


 強欲な尊氏様の叔母は、その傲慢な態度と比例してそれなりにやり手の女性だ。だからこそ、尊氏様の恋路を邪魔するほどの存在と権力を持ち大きな障害となり得る。


 私は話の核心が尊氏様と私の間でずれていることに気付き、少し安心した。もし、私がその事実を知ったと尊氏様が分かっていれば、いの一番にその話題が来るはずだから。


 それにしても、尊氏様がこんなに渋い顔をしているということは本当に予想外だったのだろう。後ろで控えている孝太郎さんにいたっては笑顔がドス黒い。笑顔だけど内心ブチギレてるんだ、あの様子は。


「とにかく、あの人の言うことは無視してもらってかまわないから気にしないでくれ」

「……はい」


 じゃあ、尊氏様が姉と別れたという話も口から出任せだったのだろうか。私は緊張と不安で握りしめていた拳をやっと緩められた。


「すまない。もう少し危機感を持っておくべきだった」

「えっと、あのそんなに謝らなくてもいいですよ」

「だが、ハルの顔色が悪い。あの人に相当いじめられたんじゃないか?」

「それは……」


 いじめられた、と言えば相当罵られたし、そうかもしれないが、ショックを受けたのはそこではない。それもあの人の嘘なようで今は心底ほっとしているのだ。

 顔色と言えば、今日は昼からずっとその事をぐるぐる考えていたから、体調もよくない。それで、今さっき尊氏様に会う前も身なりを整えることなんて忘れていた。鏡を見る余裕さえもなかったから……


 今更になって、自分がみっともない格好をしていないか気にしだした私はそこではた、と気が付く。


 口紅塗るの忘れていた。


「あの大丈夫です。ちょっと口紅つけるの忘れてて、それで顔色が悪く見えるだけだと思います」

「そうか。じゃあ、ハルは大丈夫なんだな?」

「はい。でも、少しあり得ないことを言われて驚いてしまいました。ええ、今思えばそんなことあるわけないのに」


 尊氏様のほっと安堵した顔を見て、やっぱりあの人の出任せなんだろうと確信する。

 なんだ、私の早とちりじゃないか。そもそもあの人は私が尊氏様の婚約者だった時もあることないこと、噂を流していた人だ。あの時から信用ならない人だとは思ってたのになんでこんなにもあっさり信じてしまったんだろう。


 前だったら絶対に信じてなかったのに。


 まあ、それもしょうがないことなのかもしれない。あの頃は、漫画知識(チート)のおかげで真実を知れたがこのイレギュラーな状態では、何も分からないのだから。



「まさか尊氏様とお姉様が別れているはずがないもの」



 あっけらかんにぽそっと放った言葉は宙に消えて。


 即座に来るだろう尊氏様の「そんなことあり得るはずがないだろう」と言う不機嫌そうな否定を予想していた私は、なかなか返ってこない否定を不審に思って視線を上げた。


「……ハル、それは」

「何驚いた顔しているんですか。そんなわけないですよね?また叔母様の悪い冗談ですよね」


 目を見開いてから気まずそうな顔をする尊氏様を見て、頭の中に警報がなった。まさか、違う。そんなはずはない。

 形式的に尊氏様に聞いた言葉は、実はただの私の嘆願。お願いだから否定して。


 尊氏様はちゃんと否定してくれるから、落ち着いて。




「……私はハルに伝えなきゃならないことがある。私と」


 駄目だ。

 さっきやっと鳴りを潜めた鼓動は急に現れ、私の意識を奪っていく。今こそ、本当に私の顔は真っ青なんじゃないか。


「待って下さい!分かりました。叔母様のせいで仲が拗れてるんですよね。だから、破局の危機を迎えている、そうでしょう!?」


 尊氏様の雰囲気で察してしまった私は、必死に理由を探した。お願いだから、私の今までの人生を無駄にしないで。

 昨日の夜、やっと見つけた私の破滅の道の意味を台無しにしないで。


「だから、私をここに呼んだんですよね?お姉様ともう一度よりを戻す為に私にアドバイスを求めて。私、たくさん考えたんですよ。尊氏様とお姉様が二人で幸せになれるために。そうだ。アドバイスをメモした紙を部屋に置いてきてしまいました。取りに行かないと」


 納得できる理由を並べても良くならない尊氏様の表情に怖くなった。あり得ない現実を突き付けられいる気がして。一向に話そうとしない尊氏様から私の価値を無くしてしまう絶望の匂いがして。

 気のせいだ、と落ち着かせるために席を離れようとした。勿論、本当にメモ用紙を取りに行ったのもある。だって、尊氏様はきっと私のアドバイスを求めている。姉と上手くいくために。


 頭の中はごちゃごちゃだった。

 尊氏様と姉が別れた事実を受け止めない強情な私と、受け止められない脆弱な私と、受け止めてしまい絶望する私。どの自分もそこに存在していた。


「……ハル。行かなくていい。聞いてくれ」

「私は嫌です。そんなの認めません」

「私は彼女と別れた」














「……あの叔母様のせいですか。叔母様に仲を引き裂かれたのでしょう?」

「確かに、あの人は色々妨害を加えてきたが違う」

「何が?何が違うんですか。叔母様のせいなんじゃないですか」

「私達はあの人がいようといなくても別れていたよ」

「嘘」

「嘘ではない。私が原因だ。彼女は納得してくれたよ」

「そんなはずありません」

「だが、事実だ。私と彼女は一年前に別れた。最近のことじゃない。もう一年も前のことで、よりを戻したいと思ったこともない」

「……やめて下さい」

「私は、彼女を愛せなくなっていた」

「やめて」

「そして、彼女もその私の様子に気付いていた。情けない話、彼女に申し訳なくてなかなか言えずにいた別れ話を切り出してくれたのは彼女だった」

「……」

「彼女は聡明な女性だから」

「……どうして」

「ハル?」

「どうして、……どうして私の価値を否定するんですか」

「ハル、価値って」

「どうして私の努力を無駄にするんですか」

「ハル、君の言っていることの意味が」

「どうして貴方は私を裏切るのですか!!」



 心の底で冷静な自分が、『貴女(わたし)は・・・・』と呟く。だけど、私はいつも通りその言葉を無視した。


 今、自分がどんな顔をしているか分からない。表情筋が重くてピクリとも動いてくれないから。



「私は、私はあなたが憎い」

「な、なんで」

「もしこんな事態が起こっていたとしたら、きっと私は失望と怒りに苛まれるかと思っていました。でも、違いました。私は貴方が憎いんです。尊氏様。お姉様と別れてしまった貴方が憎いわ」



「どうして……?私が彼女と別れたら私は君に憎まれる?」

「……」

「何故だ、ハル。この件で彼女に恨まれても仕方ないが、君に憎まれる理由が分からない」

「……」

「ハル、私は君が分からない。今までしてきた私の態度のせいで君が私を嫌っているのは理解出来るが、何故その男と姉をくっつけようとするんだ?何故別れることが駄目なんだ?」

「……」

「答えてくれ。まさか、私が君の姉をたぶらかした、と。自分の姉のためにそんなに怒って、私を憎むのか」

「違うわ」


 私は尊氏様の問に答えることはできない。私が姉と別れた尊氏様を憎む理由なんて、説明出来るはずもない。

 だって、『・・・・・・・・・・・』

 尊氏様が納得出来ないことなんて分かりきっている。だけど、そういう問題じゃないのだ。私は、そうやって今まで生きてきた。



 沸騰した頭が徐々に冷えて、ああ、さっきと立場が逆転していると漠然と思う。さっきまで疑問の言葉を繰り返していたのは私。今は尊氏様。


 可哀想な尊氏様。

 本当は、憎まれる理由なんてないはずなのに。



「私はお姉様と別れた貴方が憎いんですよ。お姉様のためでもありません」

「君が何を言いたいのかが分からない」

「ええ、きっとこれからも一生分かりませんよ」

「ハル」

「帰ります」

「……ハル」

「お願いですから帰らせてください。もう、耐えられない」


 声が震えた。もう、限界だった。

 落ちかけていた崖っぷちをやっとのこと登ってきて、安心した所を突き落とされるような。そんな気分だった。


 ただ、落とされた先は真っ暗な暗闇でなく水の中。水が肺の中に入ってくるから苦しくてしょうがない。でも、なんとか息をしようともがくのだ。




「私は帰ります」

「……分かった」
















 逃げてきてしまった。帰り道、ポツポツと雨が降るなか、一人歩く。


 結局、帰ることになった私は、馬車で送られるのを遠慮したがほぼ無理矢理馬車に乗せられ大通りまで送ってもらった。


 どうしてこうなったのだろう。昨日まであんなに幸せだったのに今はこんなにも苦しい。頬が濡れる。これは雨なのだろうか、それとも涙なのだろうか。


 もう、何も分からなかった。




「ああ、そう言えば櫻子さんにさようならと言うのを忘れてた。……櫻子さん悲しむかな。ごめんね。……ごめんね」









純愛と狂気って似てる

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