十五話
結局、尊氏様も私もあの空気に耐えきれず、話し合いは明日に持ち越すことになった。私に謝るのも用件のひとつだったらしく尊氏様はやっとひとつ仕事を片付けられた、と少しほっとしている。
そして、私もほっとした。
「今日はありがとう。明日も宜しく」
いえいえ、こちらこそ。宜しくお願いします。 最後の方には表情筋が仕事を思い出して笑顔を作れたが、それまで私がどんな顔をしていたのかは考えたくない。
「ああ、ハル様。女将さんからの伝言を預かっております」
「女将さんから?」
「ハルの代わりにきたイケメンが凄く役に立つからゆっくりとそこで羽を伸ばしてきな、だそうです」
「女将さん……」
ほっとしたような、悲しいような。いや、でも結果オーライならいいじゃないかと納得させたい。女将さんのことだから羽を伸ばしてきな、と言うことはまだ、私に呆れずに帰る場所を残してくれているということだ。
「ハル、手荒に連れてきてしまって悪かった。私が手間取っていたから、どうやら孝太郎はお前を脅してここに連れてきたらしいし、それも全て私が不甲斐なかったせいだ。本当に悪かった」
「いえ、今となっては無理矢理でも来ていた方が良かったのでもういいです」
「そうか、ありがとう」
謝られるより、ありがとうと言われた方が嬉しい。ちゃんと尊氏様と話せて、何故か気持ちが前向きになれた気がした。
別にいいじゃない。今まで沢山失敗はしてきたけど、今の私は充実しているし尊氏様は兼ねてから好きだった姉と結婚できる。私のハッピーエンドとしてこれほど良いものはない、とは言えないがこの在り方もいい気がして。
私の努力は無駄じゃなかった。私の尊氏様への献身はしっかりと姉と結ばれることで実を結んだ。まだ素直におめでとうとは言えないけど、素直に良かったとは思える。まだ、姉を祝福出来ないけど尊氏様にアドバイスする勇気がある。
小さな一歩なようだけど、私には重く大きな一歩だ。このために、私はあの日家を出ていったんじゃないかとさえ思う。
結婚の言葉はまだ私を傷付けるけど、大丈夫。だって、これで尊氏様は幸せなのだ。私は幸せになるためのお手伝いが出来た。今だってまた、ぎこちなくてはあっても尊氏様と笑いながら話すことも出来た。
今になって尊氏様と姉が結婚したおかげ、私としてはバッドエンドのおかげで、家を出てからの二年と婚約者として罪悪感で苦しんだ過去とそして現在が報われたと気がつく。
心のつっかえが取れて、初めて気が楽になった。これで心から笑える。
やっと破滅の道は終わったのだ。予感でも予測でもない。新たに続く道の光を今、私は確かに見た。新しい道はどんな道だろう。
きちんと整理された安心出来る道?それとも所々落とし穴のある道?もしかして、お花畑の続く華やかな道からもしれないし、先の分からない獣道かもしれない。
楽しみでも不安でもある。
だけど、きっと私はどんな道も歩き抜ける。辛くて苦しい道を私は通り抜けてみせたんだ。あの辛さも苦しさを乗り越えた経験は、今となれば大きな自信に変貌を遂げた。
こうして私と尊氏様の二度目の再会は至って平和に、でも私の心は劇的に変化して幕を閉じた。
「ハル様、ハル様、どうでしたか?大丈夫ですか?尊氏様は仏頂面で嫌味を吐いてきませんでしたか!?」
「良かったです。大丈夫でした。櫻子さんの尊氏様へのイメージ酷すぎませんか」
「いえ、やっぱり歳上として尊氏様のことも心配なんですよ。あの年になって尊氏様ったら拗らせてるから」
「拗らせてる?」
「……何処までお話になられました?」
「うーん。全体的に謝りあったという感じですね。ふふふ、まさか尊氏様と仲直り出来るとは。あ、仲直りと言うには、一方的過ぎますかね。でも、良かった。本当に良かった。これで、姉との結婚も祝えそうな気がします」
「え」
「え?」
今の今まで安心した顔をしていた櫻子さんが、急に怪訝な顔をする。見たことのない顔だ。
「どうしましたか?」
「いえ、本当に拗れていらっしゃるのだな、と」
何が何だか分からない。明日明後日も話す予定だし、もしかしたらそのことかもしれない。普段なら気にしていた違和感もうかれた私は受け流した。
まあ、今はこの歓喜に身を任せればいい。明日のことは明日考えればいいのだ。
朝7時、いつも通り同じ時間に眼が覚めた私にはまずやることがある。窓を開けることだ。季節は六月。そろそろ涼しさと暑さが平衡する時期だ。昼間は暑くなるが、朝は少し寒くて目を醒ますには都合がいい。
市街で使うあの部屋では、小さい窓がひとつだがこのゲストルームには三つある。順に回って、少しずつ窓を開けると外の冷たい風と微かな花の香りが気持ちいい。
こんなにも気持ちいいのは、昨日のせいでもあるのだろうか。昨日見た尊氏様の笑顔を思い出しながら私はニマニマ笑う。意図して笑っているわけではなく、顔が勝手に動いてる。ちょっと浮かれすぎかな、とは思ったが今幸せを噛み締めなくていつ噛み締めるのだ。
笑顔は健康に良いと聞くし、暫くその頬の誤作動を見なかったことにした。
「あ、そうだ。昨日考えたアドバイスを書き留めておかなくちゃ」
いくら笑顔であったとしても、目の下の隈は消えはしない。昨日の夜は、興奮と不安で眠れなかったのだ。言わずもがな、尊氏様と和解出来た喜びとこれからするアドバイス役をしっかり果たせるかの不安だ。
普段なら夜更かしは、美容の大敵と絶対にしないが昨日位はいいじゃないか。だいたい夜更かしと言うよりは眠れなかっただけだし。ベッドの上で、私は何回思いだし笑いをして脚をばたつかせたのか、数えるだけ無駄だ。
鏡の前で鼻唄を歌いながら、目の下にファンデーションを塗り重ねる。幸いに、見えないくらいには隠せたし、寧ろ乳液のおかげか、化粧ののりはいつもより良いくらいだ。
滅多につけないアイシャドーは、髪色に合わせて白。口紅は夜までにはとれちゃうから、今はつけずに尊氏様に会う直前につけることにする。
よし、完成と。
化粧なんて贅沢だから毎日はしないけど、この部屋は尊氏様が私に用意してくれた物だそうだ。遠慮せずに使った方が、尊氏様も私も幸せな気分になれる。
「それに櫻子さんにも色々聞いて」
友達があまりいたことがないから、恋ばなをした経験がない。ガッキーのは、ただのノロケだしそれをカウントしなければほぼゼロだ。好きな人の恋ばなを聞いて、アドバイスをするって恋する乙女には酷すぎないか、と落ち込んだりもしたが尊氏様が私を頼ってくれたと思えば頑張る気にもなる。
それにしても、今日は櫻子さんが遅い。来るのが遅い。昨日も一昨日も八時半にはお茶を携えてやってくるのだが今はその時間を三十分過ぎている。
櫻子さんのことだから朝寝坊かな。
あのフワフワとした櫻子さんがきゃーきゃー慌てている姿を想像するとほのぼのと癒されるというか。櫻子さんはそんなのが似合う。
「……」
ところで、フワフワ繋がりとして思うのだが一羽の白いフワフワの鳩が窓枠に止まっていて。もう三十分位そこで立ち尽くしている。いや、まさか。
流石にあの櫻子さんでも、これはない。
ないはずだ。
それでも、なかなか現れない櫻子さんに、何故かそこに居続ける鳩。心なしかあの何を考えているか分からない小さな眼で見られている気がする。独り言も話すくらいにご機嫌で最初は、あら
可愛い位の扱いだったのに。
時間が経つにつれ存在感が……
こんなメルヘンチックな連絡法、いくら櫻子さんでも。と心の中でそうでなかった時の言い訳を探しつつ、直視出来なかった鳩をじっくりと見てみる。
当たりだ。
鳩の脚に紙が結んである。それでもまだ信じきれずに逃げられないようゆっくりと鳩からその紙を取る。すると、鳩はすぐに飛んでいってしまった。
「夫が熱をだしまして今日は遅れます、か」
小さい紙に入りきるよう短く、それでいて綺麗な字は櫻子さんらしいが最後の一文はノロケだ。私がハル様のことばかり考えていたから寂しかったんですって。もう、お馬鹿さんですよね。って、夫とラブラブなんだ。櫻子さん家は。それに、遅れますということは、来ないわけでもないし焦ることもないだろう。
櫻子さんが来るまで大人しくしていよう。この部屋に来たとき孝太郎さんになるべくこの部屋から出ないで下さいと言われていたし、アドバイスをメモし終わった後は読んだことのない本を読む時間に当てた。
暫くして、その本の三分の二は読み終わった頃、外から馬車の音が聞こえた。その馬車は、趣味が悪くピンクや金で色付けられていたがここに止まるのなら櫻子さんに違いないと、部屋を飛び出し迎えにいく。普通よりやや早め、早く相談したい気持ちが収まらずに、せわしなく玄関に向かうと前からこちらに向かう足音が聞こえた。
嬉しくなって、つい。姿を見えなくてもそれが櫻子さんであるか確認もぜすに話しかけてしまって。
「櫻子さん!!」
「は?」
「え」
そこにいたのは、櫻子さんではなかった。




