十三話
「もう、我慢出来ない!!」
「ハ、ハル様」
「あ、ごめんなさい。櫻子さんに言ったわけではありませんよ。……泣かないで!!泣かないで!」
「いえ、私が少し驚き過ぎてしまって。……お気持ちを煩わせて申し訳ありません」
瞳に涙を溜めて、深々と謝ってくるものだから罪悪感が半端じゃない。これ以降の展開はもう読めている。
「違いますよ!別に櫻子さんに言っているわけじゃありません。ただ、いつまでここにいればいいんだと憤りを感じて」
「……申し訳ありません。私が事情をお話しできないから」
「そ、それは、孝太郎さんに止められていれば言えませんし、しょうがないですよ」
「うう、せめてハル様のお気持ちを紛らわせるためにもと庭のお花を使ったアレンジメントを、と思ったのですが。……そうですよね。つまらなくて、耐えられなくなっても仕方ないですよね」
「楽しいですよ!ドライフラワーで花束を作るなんて初めてやりました!」
「そんなお気を使わなくでも……」
「本当に。すっごく楽しいですよ!!」
「本当ですか?」
「ええ、本当です!!」
「ハル様はお優しい方ですね。ありがとうございます」
なんで私は一応私のお話相手である人をこんなにも必死に慰めているのか。絶対におかしい。私が不満を訴える度いつもこの展開に陥る。
意識的な悪より、無意識の善の方が質が悪い。
正直、無意識に面倒くさい櫻子さんの方が私の精神をガリガリ削っているのだけれど。でも、ほっとしている櫻子さんにそんなことは言えないし。
「それでは、ハル様。次にこのお花はどうですか?」
「え、ええ、そうですねぇ」
言えない。
私の良心が許せない。
「と言うことで、さっさと説明しやがって下さい。このクソ爺」
「ハル様、言葉遣いが荒くなっていますよ」
「あそこで二年過ごせば誰だって口が悪くなります。それに、私は良い人ぶっていただけで、口は元から悪いんですよ」
「ほほう、そうでありましたか」
昨晩の夕食時でも、結局はぐらかされたから今度こそ聞き出してやる。私の決意は固く、出された食事に手も出さずひたすら孝太郎さんを睨んだ。
それが何時間か続き、ちょびっと、ちょびっとだけ食欲に負けてしまい前菜は食べてしまったが、コーンスープが四回温め直された時点でやっと孝太郎さんは口を開いた。
「無言の抵抗は困りますね」
「……」
「ふむ」
「……」
「……私もハル様には、本当に申し訳なく思っております。ここまで待たせるとは思ってもいませんでしたよ。実は、昨日には事が済んでいる予定でしたが、思っていたより主が弱っていたらしく、ですね」
「尊氏様が、ですか?」
「ええ、主は貴女に怪我をさせてしまった事件、言い換えれば、大きな失敗をしたことはありますが、今まで挫折をしたことがありませんでした。最近になって初めて尊氏様は挫折を経験たのですよ。そして、どうやってその清算をすればいいのか分からず、それ以前にその挫折にどう立ち向かえばいいのかも迷っておられるのです」
「挫折って、」
「ええ、挫折です。ハル様を巻き込んでしまいましたが、私は主が一番大切なのです。主がより良く過ごせるためなら、ハル様でさえも犠牲にしてしまうでしょう」
知ってる。孝太郎さんは漫画の世界でも、現実世界でも尊氏様のために動いている。
彼が、妻をめとらず家庭を作らないのは、全てのベクトルを尊氏様に向けるためだ。彼は尊氏様の為に生きている、そう言っても過言ではない。この言葉を実際に使うほどのほの暗い狂気をこの人は持っている。いったい何が彼をそうさせたのか、そんな過去はどうでもいい。
欲しい事実はひとつだけ。
「……そんなこと、知ってますよ。尊氏様って冷たいようで、実は優しい人なんです。少し不器用で、自尊心も高過ぎる位だけど、そんなあの人には少し非道な孝太郎さんみたいな人がついていてあげないと。私は孝太郎さんのことが苦手ですけど、孝太郎さんはそれでいいんです。尊氏様を守る強い存在であって欲しい、そう思います」
「……ハル様。……是非、尊氏様の元に嫁いできてくれませんか」
「はっ!?どうしてこんな時に冗談言うんですか!!私は真剣に話しているのに!!」
シリアスな時に、この人はまたわけの分からない冗談を言う。一瞬どきり、としてしまったがこの人に騙されてはいけない。
そもそも、もうすぐ新婚になる尊氏様にだってその冗談は失礼過ぎると思う。ぴりり、と痺れる真剣な空気が収まって。ちょっと気も萎えた。
これが狙いなのか?この厄介な爺は。
イライラして、待望のスープを飲み干す為に集中していた私は気付かなかった。
あの孝太郎さんが、眉を下げて珍しく戸惑っていたのを。
「冗談ではないんですけどねぇ」
先の会話が効いたのか、夕食後お風呂に入る前に孝太郎さんから話がある、と切り出された。
孝太郎さんが主のため、と連呼しているし、どうやら私に会いに来るのは尊氏様なのだろう、と予測しているがそれを確かめることが次の会話で出来るだろうか。
尊氏様の挫折……
あの完璧な人がしてしまった挫折とは何だろう。挫折して弱っていると言う言葉を聞いて、やっとこの前出会った時の尊氏様の豹変振りに納得出来たのだが。そもそも、尊氏様が挫折をするという発想さえなかった。
最近、尊氏様の身の回りで起こった事。その上、私に関係あることなら絶対に姉との結婚関係しかあり得ない。いや、そんなに尊氏様の現状を知っているわけではないのだが、私関連となるとこれしかあり得ないだろう。
「もしかしてアドバイスを求められたりして」
いやいや、そんな馬鹿な。いくら尊氏様が弱っていたとしても、姉と上手く結婚生活を送るためのアドバイスをくれ、なんて言うはずない……かな。
姉におめでとう、と告げることは想像するだけでも苦痛なのに、尊氏様に対するアドバイスは次々と浮かぶ。姉は、ああ見えて甘いものが大好物だから機嫌が悪くなったら取り敢えず甘いものをあげればいいとか。実は、姉は王都のマスコットキャラクター、オート君のファンだとか、くだらないことまで。
尊氏様のことが好きじゃなくなったわけじゃない。今でも忘れられないほど愛している。
だけど、区切りがついたからだろうか。あの変わり様を見て、尊氏様にとっての姉の大きさには勝てないと諦めがついたからか。尊氏様と再開した余韻が意外に少なかったのはこの事が原因なのかも。
自分の手には入らないと本当に理解できたから、愛しい気持ちと諦めと応援したい気持ちが共存出来るのかもしれない。
そうなら、姉の事も素直に祝福すればいいじゃないか、となるがそこは複雑な乙女心だ。別に姉が嫌いなわけではないが、どうしても嫉妬が勝つ、というか。
取り敢えず、尊氏様に対する応援みたく姉の事は応援出来ない。
如月家汚職告発事件から二年。
あの時に区切りをつけた感情は、今漸く本当の決着を迎えた。終焉ではない。愛する気持ちは変わらないから。
それでも、今は本当に心の底から尊氏様の恋を応援できる。一方的にいなくなる、なんて身勝手かやり方じゃなくて。次は、ちゃんと近くで素直に。
今日までの失踪劇は、尊氏様のためと銘打って自分が逃げていただけなんだ。
今度こそ、尊氏様のために行動をしてみせる。




