十二話
「この部屋は」
通されたゲストルームは、あの頃使っていた私の部屋と瓜二つになっていた。欲しくもなかった高価なランジェリーに、私と似たような悪女が持っていたからと言う理由で集めた小物一類。当時、ハマっていた恋愛小説も全て、いや、それ以上に充実していて。タンスも開けてみれば、当時の私の好みとされていた洋服がずらりと並び、まさかと思って化粧台の引き出しを開けたら、私が以前使っていた化粧品ばかりだ。
これは、瓜二つというよりそのまんま私の部屋だ。
ゲストルームが私の部屋になっている。
部屋の捜索を粗方終え、頭がはてなでいっぱい状態の私を孝太郎さんが呼びに来た。
「ひとまず、夕食を頂きましょう。話はその後で、という事で」
孝太郎さんは明らかに怪訝そうな私を敢えて無視して、有無を言わさず夕食の席に座らせられた。通された部屋は多分この屋敷のメインルームであろう場所。
六人掛けのダイニングテーブルにポツンと一人、席につく。座らされた場所は、所謂お誕生日席というやつで。テーブルには、私の分のしか用意されていない。寸分狂いなく綺麗に並べられた銀食器は、磨きあげられ手が凝っている。
「あの、家の方はいないんですか?」
フィンガーボールで手を濯ぎ、前菜を運んできた孝太郎さんに尋ねた。普通なら、執事が給事までしないのだが男爵家だと使用人が少ないから、そこまで孝太郎さんがやっているのかな。
最初に出てきたのは、新鮮なサラダとスモークサーモンとチーズ、フォアグラのパテに、プチトマトの添えられたオードブル。
「ええ、いませんね。今晩は、お一人でお食べになって頂きます。もし、お暇でしたら余興として私がヴァイオリンをお弾き申し上げましょうか?」
「いえ、結構です」
「それは、良かった。実は、私ヴァイオリンに触ったこともございませんので弾け、と言われたらどうしようかと思いました」
この食わせもの爺。
孝太郎さんと話していても、埒があかずむやみにイライラするだけだったのでそれからは黙って黙々と運ばれてくる料理を食べた。
グリーンピースのスープに、メインの鴨のソテー。デザートはレモンのシャーベットで、最後に出てきた紅茶は「hope」から取り寄せたものだった。
どれもこれも、全て美味しい。二年ぶりに食べる豪華な食事は、私のほっぺたを落とさせた。実際には落とせるはずもないのだが衝撃で言うとそんな感じ。
勿論、市街の食堂の料理だって美味しいのだが、まず素材が違うし、価格も天と地の差だ。感動してしまっても、仕方ないはず。
ちょっと、女将さんと大将に負い目を感じながら膝に掛けてあったナプキンの裏で口を拭う。お腹はちょうど八分目で、華族の夕食にしては少ないそれは、孝太郎さんが私の食べる量を計算しているらしいし、紅茶にたっぷりのミルクを入れたミルクティーは私の心を落ち着かせた。
満足しました、との意を込めてナプキンを雑に畳む。
さて、食欲も満たされたしここからが勝負だ。
私の為にあるような部屋に、家人のいない屋敷。ここは、どう考えてもおかしい。
あのゲストルームは、多分私の為に用意された部屋で相当なお金がかかっているはず。男爵家には、相当な打撃であるはずだし何故そもそも私の為にそこまでするのか。
姉がもし、私に罪悪感を覚えていて、過ごしやすいようにしたための配慮だとしても、頭のいい姉がこんな馬鹿なことをするはずもない。私は日帰りのつもりであったが、どうやら今日は話せるわけではなさそうだし、たった一晩のためにここまですることもないだろう。
それにしたって、自ら呼んでおいて本人が不在というのもおかしい。例えば、男爵家夫妻が旅行にでも、実家にでも顔を出していると考えてここに呼び出すのだったら都合がよいので、使用人が少ないのも分かるのだが。
やはり、あの姉が呼び出しておいて、そこにいないのはあり得ないのでは?
「……孝太郎さん。ここは、姉を養子に迎えた男爵家の屋敷なんですよね?」
「はて、そんなこと言った覚えはありませんな」
「……違うんですか」
「ご想像にお任せします、と言いたいところですが敢えて言いましょう。違いますよ。私は尊氏様に仕える執事であります」
悪気なくニコニコと答えるこの人は、きっと私が今まで勘違いしていたことを悟っている。それなのに、放置していたのだ。
頭が痛くなってきた。
「ここは、何処ですか?誰が私とどうしたいんですか?私はいつまでここにいればいいんですか?簡潔に答えて下さい」
「それはこれから迎える未来がきっと貴女に教えてくれるでしょう」
「答えになってないじゃないですか!」
「そうですか。それにしても、私は貴女様のことをなんとお呼びすればよろしいでしょう?」
「話を反らさないで下さい。私が、孝太郎さんに聞いているんです」
「ですが、私も貴女に聞いていますよ。貴女様はお答えにならないのに、私は答えないといけないのですか。それは少し不公平かと」
「っ、貴方が私をここに連れてきたんですよ!説明する義務があるはずです!!」
「いえ、貴女様は自らここにやって来たのです。私は、言ったはずですよ。貴女様が決めることでございましょう。私は来て頂きたいのですが、貴女が断るのなら別にかまいませんよと」
「何をっ脅したくせに」
「脅した事実などございませんが」
「私が如月美春だとばらすとあなたが言ったんでしょう!」
「ええ、その通りです」
「だったら」
「ですが、貴女様が如月美春でないのなら正々堂々と違うと皆の前で言えば宜しいのではないですか?それにもし、貴女様が如月美春であるならばそれを隠しているのも、相手方に不誠実ではありませんか」
ぐうの音もでない。それは、正にこの事。上手く言い返すことだって出来るはずだが生憎私の頭はそんなに良くなかった。
いっそのこと、認めてしまえば早いのではと思ってみたりしたが、それは得策ではないと思われる。今の私の扱いは、公然の秘密と言うやつで、私が自ら告白すればそれは正しく認知され、きっとそれ相応の扱いを受けることになる。
如月美春であると告白してしまった方が状況はより悪くなるのだろう。如月美春であるならば、貴女には華族であった責任がある、とかなんとか言ってきてそれこそ、一生身柄を拘束されるとか。
私を拘束してメリットは全くないが、私がここにいる理由がわからない以上何があるかは、分からない。
本当に厄介なのだ。この爺は。
「それで、私は貴女をなんとお呼びしましょう?」
ここは、一旦折れるしかない。
さっきも言い負かされていなかった?と耳の裏で声が聞こえたけど無視だ。無視。
せめて、プライドは保ちたい。
「ハル、でお願いします」
「かしこまりました。ハル様」
にっこりとした私の笑みに、孝太郎さんもにこりと笑って返してきた。
「どうしようか……」
しょうがなくこの屋敷に一晩泊まることになった。服はクローゼットの中に入っているのを使っていいと言っていたし、久しぶり広い風呂に入ることも出来た。
その上、風呂上がりには侍女が用意されていていたが、流石にそれは断って、やけくそで、もういっそのこと楽しんじゃえ、市街ては考えられないほど贅沢に化粧水以外に乳液を使ったり、髪には椿の花のオイルを塗った。
少し楽しくなってくると、何をやっているんだと自分に失望した気分になって。ここで挫けたら孝太郎さんに負けた気がしてたから意地でも楽しんでやろうと思った。
「わっしょーい」
ふかふかのベッドにダイブして、体を沈める。なかなか眠れないと思っていたのに、これからどうしようかと考える前に瞼が鉛のように重くなってくる。
駄目だ。……考えなきゃいけないことがたくさんあるのに。
高級ベッドの威力は凄まじい。
「おはようございます。ご機嫌いかがでしょうか」
「おはようございます。とても気持ち良く寝れましたよ」
ノックと共に入ってきたのは、私の暇を潰してくれる通称、お話相手だ。孝太郎さんが急に「もし、誰かと話したくなった時に。なかなか面白い人ですよ、櫻子は」と紹介しながら、この女性が出てきたときは驚いた。正直、こんなに本が沢山あるからいらないな、と思ったのだが人の良さそうな彼女を目の前に「いりません」なんて言えなかった。櫻子さんの年齢は、四十代位で透けて見える人の良さはあのじじ、孝太郎さんと違って気分を落ち着かせてくれる。
櫻子さんはお話相手にとどまらず、私の身の回りの世話までしようと動き回ってくれた。
起きてすぐに頂いたカモミールティーも凄く美味しい。
「美味しいです」
「ありがとうございます。実は、家の庭師が作っているカモミールから作っているのです。そのお言葉を頂けたならきっと彼も喜ぶと思います」
「そうですか。良い腕ですね」
やんわり微笑をしているこの人なら、何か教えてくれる気がした。一杯、飲み終わりきっと目を合わせる。
「貴女たちの目的は何ですか」
「……ハル様は焦っておいでなんですね」
「焦っているとかじゃなくて。私これから何をするのか、いつ帰れるか分からないんですよ」
「ごめんなさい。ハル様のそのお気持ちは一人の人間として理解できます。ですが、私何も言うなと言われています。お力になりたいのですが……本当に申し訳ありません」
とても申し訳なさそうに、苦しそうに言うものだから、何だか申し訳ないような気がしてきた。そりゃ、櫻子さんだってあの孝太郎さんの言い付けを破ることは出来ないだろうし。私は、櫻子さんに無理強いして話させるなんて出来ない。
櫻子さんから聞き出すのは諦めよう。
せめて、櫻子さんが孝太郎さんみたいに性格が悪ければ食いつけたのに。こんな優しそうな人と共にいたらほだされてしまいそうで、寧ろ怖い。まさかここまでが孝太郎さんの思惑なのだろうか。
「いや、いくら孝太郎さんでも……それはない、よね」
結局、夕方まで孝太郎さんは屋敷に現れず、顔を見せたのは夕食の時だった。