十話
視点戻ります
「それで、武ったらさぁ」
「うんうん、それで」
これで、何回目だろうか。ガッキーのノロケ話を聞くのは。あの後、さりげなくガッキーとたけ君のデートを取り付けたのだが、たけ君はどうやら上手いことしたらしい。
「でさ、そのオレンジ色の髪が好きだって。私の明るい性格とこの髪色がマッチしてて、いいねって。馬鹿だよね、あいつ」
「でも、私もガッキーの髪色可愛くて良いと思うよ」
「えー、そんなぁ。ハルったらおだてても何も出ないからね」
「うん。本心。本心だから」
「まだあるんだよ!」
まだ、あるの……
たけ君は、もう告白まで済ましていて返事待ちだそうだが、これはもうどう見てもOKでしょう。なんてたって、今まで絶対に言わなかった自分の本名を言うくらいだ。
あんなに、自分の名前を言うのを拒んでいたくせに、いきなり抱きつかれて、ガッキーの本名を交えたノロケを言い出されたときにはどっちに突っ込めばいいのか、分からなかった。
ガッキーの名前は、姫香というらしい。
私は、世に流行っているキラキラネームをつけられていたんだろうなと思っていたから、案外普通で拍子抜けして。ガッキー曰く、小さい頃はやんちゃでガキ大将をしていたそうなのだが、当時好きだった男の子に、「姫香のくせに全然姫じゃねぇじゃん。ぶっはー!!!姫とか似合わねぇ。お前、姫は姫でも西ローランドゴリラ族の姫なんじゃねぇの!?ほら、言ってみろよ!!うほうほー」とからかわれたらしく、コンプレックスになってしまったんだとか。
「なんだ、その子は。ムカつくな」
「でも、まあいいの」
「ガッキー……、やさし」
「半殺しにしてやったから、ふふふ」
「ほぁー」
え、でもまだやんちゃだよね?なんて冗談混じりで言おうとしていたが止めた。半殺しにはなりたくない。
やっぱりガッキーは女将さんと血が繋がっているらしい。
「ーーーそれでねぇ、今度の週末またデートしようって約束してて」
「うんうん」
「今年こそは、星誕祭で独り身じゃないし。毎年、カップルを撲滅してやろうと筋トレに勤しんでいたけど。あー、七月が楽しみだなぁ」
「ぼ、撲滅?筋トレ?う、うん。まあ、嬉しいなら何よりだよね」
「あれ、何?筋トレの方法気になる?えっへん!!自流なんだけどね、パンチする時って腕の筋肉じゃなくて全身の筋肉が大切なのよ。特に、下半身。ちょっと腰を回すことで全身のパワーが拳に乗るって言うか。ああ!!でも、やっぱり腕の筋肉は大切でさ。皆、一見力こぶの、目に見える上腕二頭筋ばかり鍛えがちだけど、忘れちゃいけないのが上腕三頭筋でさぁーーー」
「うん、う……ん」
「因みに一番好きな筋肉の部位は、背筋だね。まあ、メジャー所だけど、背筋はねぇ。背筋は重要だよ」
「……うん。背筋の素晴らしさには激しく同意するけど」
「ていうか、武ってどれくらい強いのかなぁ。ケンカしたら私と武どっちが勝つと思う?」
それは、どう答えたら正解なのかな?
たけ君と答えたら、なんだかんだガッキーの持つプライドが傷付きそうだし、ガッキーと答えたらたけ君の立場が……
そして、何をどうやったら恋人(予定の人)と物理的にケンカする発想に至るのかが不思議。ガッキー、不思議ちゃんだね。
「う、うぅん。それは、どうかなあ!?私にはちょっと計りかねない、というか」
「えぇ、じゃあさ」
「それより、ガッキー!!星誕祭ってカップルで行くものなの?私、一回も行ったことがないから分からないんだけど」
「えっ、今更!?」
やっと筋肉の話から離れられた。今回はガッキーの名前と共に、筋肉フェチであることが知れた。大収穫だ。たけ君に今すぐ筋トレに勤しめ、と忠告しなくちゃ。特に背筋。
「あのね、星誕祭ってのは夜の空に見える天の川のってそこは知ってるよね」
「流石にそこはね。織姫と彦星が年に一度会える日なんだよね。でも、彦星も怠けていたから自業自得だけど織姫は可哀想。せっかく恋人が出来たのに、ってああ!」
「そうそう、その伝説にちなんで後夜祭では恋人とダンスをするの。それが女子のステータスでもあるんだから」
「恋人と……」
「そう、恋人と!!そして、恋人のいない女子は、端っこで白いハンカチを噛み千切るのよ」
「噛み締めるんじゃなくて、破いちゃうの!?」
「私はそうしてた!」
「そ、それはスゴいね!?」
流石だな、ガッキーと思いながら、ふと尊氏様と踊ったことを思い出した。尊氏様は、踊っている最中に嫌な顔はしなかったけど婚約者の義務を果たしたらさっさといなくなる。
私は、毎回消え行く背中を寂しく見送っていた。だから、ダンスと聞くと胸がきゅっと痛くなる。
豪華な屋敷に、輝くシャンデリア。おほほ、と笑って何百万のドレスで着飾った女性たちは私とは違う目に見えない仮面をつけて踊っていた。あれは、きらびやかな夢の世界ではない。決して、ガッキーが憧れているような楽しい世界ではないのだ。
もし、光の大河が降り注ぐ豪華でもなく気品もない、どんちゃん騒ぎの原っぱで。安くて生地の薄いワンピースを着ていたら、私は幸せに踊れていただろうか。踊りたい相手は、尊氏様しかいないけど、尊氏様に安いシャツもどんちゃん騒ぎも似合わない。彼は、産まれた時から人を従えてきた人間で、彼に今の私のような生活なんて耐えられないはずだ。
それでも、夜空の下で尊氏様が優しい笑顔で一緒に踊ってくれている。そんなあり得ない想像が頭のなかを支配して。想像だけでも、幸せな気持ちになれた。
「……それにしても、ガッキーってあだ名、名前の姫香と掠りもしていないけど何でなの?」
「え゛、なんか言った?」
「なんでもないです」
ガッキーの抱える秘密は、まだまだ多そうだ。
頑張れたけ君!南無三!
「はい、昼の営業時間は終わり。食材足りないかもしれないからハル、買ってきてくれる」
「分かりました。ちゃちゃっと行ってきます」
あれ、なんかこのくだりあの日と少し似てるな、と思いながらも考えると胸が痛むのでなかったことにした。最近になって、漸くネックレスを掴む癖も抜けてきて、なかなか治らないだろうと思っていたのに。人間の一番の才能は忘れられることだ、と聞いたことがあるが案外すぐになくなったこの癖と共に、尊氏様との記憶も薄く、最後には忘れ去ってしまうのだろうか。
確かに、辛かったことも多かったけどこの思い出が消え去ってしまうのは悲しい。
気が付けば、渡された硬貨をぎゅっと握り締めていた。硬貨は、人と人との間を行き来して、最後には錆びで鉄臭くなっている。この錆は歴史なのだ。
……強く握りしめるとその匂いが手に染み込むから、嫌だったのに。
もしかしたら、人間もこの硬貨と同じようなものなのかもしれない。
そんな高尚ぶった考えが浮かんできて、尊氏様にそのセリフを言ってみたら皮肉を返されるのか、それとも同意されるのか、想像したら頬が勝手に弛んでいた。
どうやら、まだまだ記憶と想いは、薄れていないらしい。
この街に来た当時とは、考え方が違っていてそれがなんだか嬉しかった。
あれから、また木宮さんもお店に現れるようになったし、やっと明るい日常に戻った。
近道するには、この路地裏を通ると早いけどもう同じ轍は踏まない。そこを素通りして、表通りに向かったのだが。
「なんてこった」
まだ、私は日常には戻れていないらしい。
表通りの太い道路の路上に堂々と鎮座する黒光りの馬車を見て、私はすぐに悟った。