時渡り-2-(千年前)
澄んだ空が広がっていた。
暦の上ではまだ秋とは言え、時折吹く風は冷たいものがあった。
雷瀬は禊を済ませ、白い装束を身につけていた。
「兄様」
「桃花」
いつもの覇気のない桃花を見て、雷瀬は苦しくなる。
その表情をさせているのは、間違いなく自分だからだ。
しかし、桃花は深呼吸を一つすると、にっこりと笑った。
「兄様。桃花は、輪廻転生を信じておりますのよ。
だからきっと、千年後に、桃花はいると思うんですの。
ですから、いってらっしゃいませ、兄様。
覚えていなくとも、千年後にまた逢えますわ」
とても桃花らしい物言いに、雷瀬は苦笑を浮かべる。
「そうだね。きっと、千年後に逢えるね」
これは一瞬の別れだと、桃花はそう言っているのだ。
「でも、桃花は、ここでお別れです。
だって、時渡りの儀までは、我慢できそうにないですもの。
兄様には、笑顔の桃花を覚えていていただきたいから」
「ありがとう。桃花。
千年後に逢おう」
「はい」
しばしの名残を惜しんだ後、雷瀬はゆっくりと斎場へと向かった。
その背を桃花はただ見送る。
すっかりと姿が見えなくなると、堪えていた涙がぽつりと落ちた。
「っう」
その場に崩れ落ちると、桃花は声を殺して泣いた。
雷瀬に声が届かないように。
苦しいのも、淋しいのも、同じなのだからと。
斎場では、準備が整っていた。
注連縄が張られ、物々しい状況になっている。
時渡りの儀式は、禁呪に近い。
過去の改ざんは、許されないからだ。
時はいつでも一方方向にしか流れない。
それを覆す事は、許されないのだ。
故に、千年後に一度渡れば、二度と雷瀬はここに帰ってくることはない。
斎場に上がる前に、雷瀬は短刀を取り出すと、ざっくりと自らの髪を切り落とした。
「雷瀬っ」
「ハク」
ハクは、儀式の邪魔をしないように、前日から繋がれていた。
きちんと説明もしたし、納得もしたが、許せないというのだ。
その言葉が嬉しくはあったが、儀式の邪魔をされては困る。
「くそっ。離せよっ。離せっっ。
辛いとこ全部雷瀬に押し付けやがってっ。
お前らが渡れば良いじゃないかっっ。
なんで雷瀬なんだよっ」
心の奥底を隠せないのだなと、雷瀬は苦笑した。
「僕の代わりに怒るなよ。ハク」
こんな時だというのに、嬉しくてしようがない。
ハクがいるから、千年後にも渡れるのだ。
「雷瀬も雷瀬だっ。
なんで自分で志願なんかすんだよっ」
「僕が決めたんだ。父さんが守った世界を僕も守りたい。
ただそれだけなんだよ」
偽りはない。
言葉にも思いにも。
けれども、ハクが言うように、どうして自分でなければならないのだと、そう言いたい自分も確かにいるのだ。
「わかんねーよっ」
「ごめんな。ハク。
ハクには、力をつけてもらわなくちゃならない。凶神を倒すための力を。
だから、ハクは連れて行けないんだ」
「くそっ。あやまんなよっ。
謝られたら、許さなきゃなんないだろっ」
離れたくない。
一緒にいたい。
自分にとっては一瞬でも、ハクにとっては千年。
そんな長い時間、離れていると思うと、辛かった。
「ごめん。ハク」
「くそっ。待っててやる。千年後、絶対に待ってるからなっ。
絶対に来いよっ」
「うん。
ハクは、千年の時を刻み。僕は千年の空白を渡る」
「ああ。忘れんなよ」
「それはこっちに台詞だよ。
千年の後に逢おう。
千年の空白の後に」
そして、雷瀬は、晶杷へと向かう。
「これを」
自分と思って欲しいのか、それとも、死んだものとして、これで墓を立てて欲しいのか、雷瀬にはどちらなのか分からなかった。
ただ、自分の一部をここに止めたかった。
「行きなさい。雷瀬。
この決断をしたあなたを私は誇りに思うわ」
「母さん。ハクを。
ハクを頼みます」
晶杷は、雷瀬の差し出した髪を受け取りながら、しっかりと頷いた。
「火椎。母さんと桃花を頼んだよ」
「はい。兄様」
微笑む火椎に雷瀬は笑み返す。
短い別れを済ませ、雷瀬は斎場へと向かった。
「いってきます」
微笑を浮かべて、雷瀬は光の柱に進んでいく。
あそこを渡れば、もう雷瀬には逢えない。
「待ってる。待ってるからな。雷瀬」
また逢える。それを信じて、ハクは叫んだ。
「うん。ハク」
白く姿が滲んでいく。
雷瀬が消える。
「雷瀬っ。雷瀬ーっっ」
血を吐くようなハクの叫びが、あたりを震わせる。
契約者が消えた。
死んだわけではないのに、雷瀬が感じられない。
ここにはいない。
もう、雷瀬はいないのだ。
「うわーっっ」
失ったわけではないのに、消失間が胸を占める。
ハクの叫び声だけが、斎場に響いていた。
何よりも物悲しい、叫びだけが。