時渡り-1-(千年前)
長が死亡したと言うのは、すぐに長老たちに伝わった。
「凶神を封じるために、一柱に」
涙を堪え、男はそれだけを伝えた。
「そうか。雨龍は、一柱となったか」
長老たちの言葉は、簡単なものだった。
「長老。分かっておられたのですか?」
雨龍の死すらも、視野に入れていたのかと、男は長老たちを見た。
「雨龍自身が言っておった。
最悪自分が封じねばならんだろうとな」
「長は、分かっていらっしゃったんですか」
男の言葉に、長老たちは答えなかった。
「お前たちも疲れているのであろう。ゆっくりと休め」
長老の言葉に、男は、ゆっくりと頭を下げ、その場を退室した。
「罪なことをするな。雨龍よ。
さあ、我らは準備をせねばならんな。時渡りの準備を」
すっと立ち上がると、長老たちは、部屋の更に奥へと姿を消した。
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雨龍の死は、すぐに雷瀬の知るところとなった。
「雷瀬」
ハクは、苦しそうに雷瀬を見ていた。
式神と契約者は、感情をある種共有している。
雷瀬の悲しみを、ハクは感じているのだ。
「ごめん。ハク。ごめん」
雷瀬は、ハクの体をぎゅっと抱きしめた。
「なんで謝るんだ? つらいの雷瀬なのに」
「僕の悲しみをハクも感じてるから」
こんな悲しみの感情をハクは知らないはず。
けれども、雷瀬はそれをとめることは出来ない。こんな苦しくて、悲しい想いを自分以外にも味あわせているのも辛かった。
「違うぞ。俺は、雷瀬が悲しいのが辛いんだ。俺、何も出来ないから。
セイみたいに大きかったら、きっと、雷瀬の苦しいの、楽に出来るのに」
ぽんぽんと雷瀬の頭をなでながら、ハクはそう言った。
「ハク」
何時の間に、ハクはこんな風に考えるようになっていたんだろうかと、雷瀬はぼんやりと思った。
ハクは、この短い間に凄い速さで色々なことを吸収しているのだ。
「ごめんな。雷瀬」
「そんなことないよ。ハクがいてくれて、本当に良かった」
もっと、自分も大人にならなければならない。
もっと。
「もう少しだけまってて。ハク」
「うん」
自分はもう子供ではいられない。
次期長は、雷瀬に決まっている。
しかし、雷瀬は雨龍の言葉を思い出していた。
何故雨竜が一柱の封印の話をしたのか。
何故、千年後と言ったのか。
「父さん」
雨龍は全てを知っていた。
いや、あらゆる最悪の状況を想定していた。
そして、その予想は、外れなかった。
瞳を閉じて、一呼吸。
目を開けた雷瀬の表情は、何かを決意したものだった。
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長老に呼ばれ、雷瀬は気詰まりのするような沈黙の中、座っていた。
「雷瀬」
長老の一人が口を開いた。
「雨龍の事は、残念であったが、我らは哀しんでもおられぬ。
次期長は、お主だ。雷瀬よ」
淡々とした長老の言葉に、雷瀬は、ゆっくりと頭を振った。
「残念ですが、僕はそれを受ける事が出来ません。
父の意志を継ぎ、僕は、千年後に渡ります。どうか時渡りの儀を」
全てを決意した瞳が、長老たちを見る。
それを見れば、多少の言葉で意志が揺らがないことなど分かってはいた。しかし、長老たちは、雷瀬こそを時期長にと考えていたのだ。
「時渡りには、火椎を向かわせる。
まだ、年幼い方が順応も出来よう」
「確かに、そう言う考え方もあります。
けれども、千年後に渡るのでしたら、今の時期を逃してはならないでしょう。
辿り着く時代が早すぎても、遅すぎてもいけない。
今、時渡りをすれば、ズレは数年ですみます」
頑として譲らない雷瀬の言葉に、長老たちは、それでも、言葉をつないだ。
「数年のズレであれば、まだ平気であろう。
我らは、長はお前しかおらぬと考えているのだ」
雷瀬の潜在能力は、火椎など足元にも及ばない。
そう考えるなら、ここに置いておきたいと思うのが、心情であろう。
「僕は、ハクが僕の式神になったのは、神の采配だと思っているんですよ。
まだハクは幼い。それは、これからいくらでも延びるということ。そして、千年後に凶神の事を伝える事ができる唯一の存在。
だから、千年後に渡るのは、僕なんですよ」
雷瀬は、微笑すら浮かべてそう言った。
千年後に渡ればもう二度と戻って来れない。
それは、死に別れるのと同じ事。
「雷瀬」
「僕が決めたんです。
父さんが死んで、時渡りの準備はされていたんでしょう。
僕は、行かないで後悔するより、行って後悔したい。
ハクをよろしくお願いします」
深々と頭を下げ、雷瀬はそう言った。
何よりの心残りは、ハクだから。
家族と別れるのは辛いけれども、はくにはもっと辛いことを強いる。
「分かった。
時渡りは、3日後だ」
「ありがとうございます」
自分で決めたこととは言え、雷瀬はこれを家族に伝えるのが心苦しかった。
けれども、先送りにもできはしない。
「母さん」
「良い天気ね。雷瀬」
秋晴れの空を眺め、晶杷がそう言った。
「僕」
言葉が上手く出ない。
何を言って良いのか分からない。
「いってらっしゃい。雷瀬。
それがあなた自身の答えなら、私は止めはしないわ」
「母さん」
すっと、雷瀬の体を抱きしめると、晶杷はこっそりと雷瀬に囁く。
「でも、今は、泣いても良いのよ。
本当は、私も、雷瀬に時渡りなんてさせたくないもの」
ぎゅっと雷瀬は晶杷に抱きつくと、声を殺して肩を震わせる。
「皆と別れたくないけど、でも、僕が行かなくちゃならないんだ」
「ええ」
晶杷は、それとなく雨龍に言われていたのだ。
もし、自分が帰らなかったら、その時は、雷瀬もまた、晶杷の元からいなくなるかもしれないと。
悪いことは、当り易い。
それは、大局を読むときに、最悪の状態というのが一番読みやすいからだ。
今回は、その中でも一番最悪な状況だった。
雨龍に言われ、覚悟はしていたものの、辛くないわけではない。
誰も知り合いのいない場所にただ一人。渡っていかなければならないのだから。