破綻-2-(千年前)
重苦しく風が動く。
どろりとしたよどんだ匂いを乗せ、ゆっくりと風が動いた。
「雨龍様」
目の前に広がるのは、累々たる死骸。
雨龍の読みどおり、暴れていたのは妖かしではなかった。
凶神。
堕ちた神とも、人の怨念の塊とも言われているが、それが何であるのかは定かではない。
しかし、それが人の力ではどうにも出来ないほど強大な力を持っているということだけは確かだった。
「皆を下がらせろ」
淡々とした声で、雨龍はそう言った。
覚悟はしてきたつもりであったのに、土壇場になれば決心が揺らぐ。
ここまで弱らせる事が出来れば、封印をなすことは出来るだろう。
時間はない。
これ以上、被害を拡大させるわけにもいかない。
「何をなさるおつもりですか?」
雨龍の雰囲気に、男は並々ならぬものを感じ、慌ててそう問質す。
「凶神を倒す術は我らにはない。
もとよりそのつもりだったんだよ」
「まさか、一柱の封印を」
術者の命と引き換えに、あらゆるものを封じる封印。故にそれは、人柱といわれる。
「それしかないだろう」
「長ほど力及ばずとも、三柱立てれば我らでも」
三方よりの封じが一番強く、より強い力を封じるためには、三柱を立てるのが確実であった。
しかし、同じ程度の力を持ったもの三人が成さねばならぬため、強度は強くとも、長くは持たない。
「封印は成せるだろう。けれど、君たちでは、もって百年。
それでは短すぎるのだよ」
「しかし、雨龍様」
「これは、長としての務めだ。
早く皆を下がらせろ」
冷たい瞳が、そう言いきる。
それ以上の反論を許さない雨龍の突き放した言葉に、男は平伏すると、すぐに伝令に走った。
「雨龍」
今まで黙って控えていた、雨龍の式神が、静かに声をかけた。
「セイにはすまないことをしたね」
苦笑を浮かべ、雨龍はそう言う。
「私の事は良い。雨龍が望むなら、私は迷わない。
けれど、雨龍。本当に良いのか?」
「セイを誤魔化すことは出来ないか。
いやだよ。本当はもっと、晶杷とも一緒にいたいし、雷瀬が私の後を継ぐところも見たい。
桃花の花嫁姿も、火椎の契約の儀式も。
けれど、それは皆が生きていなければ見れないものだ。
私が見れずとも、未来が繋がれば良い。今は、それで良いと思うことにしたんだ」
「雨龍」
少し咎めるようなセイの声に、雨龍はただ苦笑を浮かべた。
****************************************
伝令に呼び戻され帰って来た一番年かさの男は、開口一番こういった。
「長。本気ですか?」
次期長がいないわけではないが、雷瀬はまだ15歳になったばかりだ。
長と言う重責にはまだ早い。
「本気だよ。私以外の誰がやれると言うんだい」
確かに、他の誰にも変われない。呪力が一番強い人間は、長以外にありえない。
雨龍の選択は、間違ってはいないのだ。
「しかし、長がいなくなれば」
雷瀬やまだ年端もいかぬ二人のこのことを考えると、雨龍の言葉を諾とは言えなかった。
「雷瀬なら平気だよ。私はそう信じている。
それに、火椎もいる。
それと、あの人は、とてもよく出来たお嫁さんだから」
長は、全てを見透かすようにそう言った。
「じゃあ、行ってくるよ」
まるでちょっとそこまで散歩にでも行くような、そんな気安い言葉を残して。
「神を封じる、一柱。
雷瀬。お前なら、行ってくれるか。千年の後、封印が弱まるその時に」
息子の名を呼び、ふわりと笑う。
たぶん、雷瀬は行くのだろうと、確信をしながら。
今の時は自分が守る。
後の世は、果たして誰が守るのか。
答えを知らぬまま、神を封じる一柱となった。