布石-3-
ハクと弥彦が斎場に向かうと、すでに準備は整っていた。
来るまでの間に、弥彦はハクから手順を聞いている。
後は、それを実践するだけだ。
「弥彦おじさん」
それ以上の言葉をかけられず、灯花は押し黙る。
召喚できるという事が分かり、喜んだのは、紫水に報告するまでの間だった。
斎場で準備をしている間に、気が付いてしまった。
何処まで行っても、それは弥彦の式神ではないのだと言うことに。
「大丈夫。成功するよ」
灯花の暗い本当の訳を知りながら、弥彦はわざと的外れなことを言った。
中央に進む。
あの時の苦い記憶が甦って来た。
皆、自分の式神ではないと言う事で、気にしているようだが、弥彦は本の少しだけ嬉しかった。
自分の呼びかけで、式神を呼べるという、その事実が。
それは、決して自分の式神ではないのだけれど。
散漫になっていく意識を振り払い、弥彦は一つ深呼吸する。
ふっと手を見ると、小刻みに震えていた。
正直な自分の体に苦笑を浮かべると、ゆっくりと呼気を繰り返し、神経を研ぎ澄ます。
「古き名を持って、汝を召喚す。
我名を持って、希う。
我名は、弥彦。
汝、雨龍が式神、名、セイ」
言葉を発した瞬間、弥彦の脳裏に蒼が走る。
契約の召喚とは違い、触れるものが何もない。言葉はただの道でしかなく、ただ通り過ぎていくだけの感覚。
それを感じ、ハクが出来るこを言わなかった訳だと、弥彦は納得した。
「ずいぶんと古い儀式で呼ぶものだ」
落ち着いた声が、不意に響いた。そこには、碧と青。そう称するしかない人物が佇んでいた。
「セイっ」
ハクは、嬉しそうにその人物の名を呼んだ。
「ハク?」
セイが知っているハクは、まだまだ幼く、やんちゃ盛りのようで、落ち着きがなかった。
けれども、今目の前にいるハクは、少しばかり落ち着きと言うものがあるようだ。
あくまで、あの頃に比べればだろうがと、内心セイは付け加える。
「どういうことだか説明してもらえるか?」
事情が分からないセイは、それでも穏やかにそう言った。
居間に全員が集まると、紫水が説明を始めた。
こういうことは紫水に任せておくべきだろうと心得ている全員は、全く口を挟まない。
「貴方を召喚した理由は、一柱の封印について訊ねたかったからだ」
紫水は、ゆっくりと順を追って説明していった。
口伝で伝わっていたらしい一柱の封印は、今は全く伝わっておらず、封印の種類を断定できないということ。
そして、凶神が完全に封じられていないために封印が移動してしまっているということ。
雷瀬も一柱の封印についてはほとんど知らず、どうしようもないこと。
静かに話を聞いていたセイは、ゆっくりと全員を見回した。
「話は分かった。私も一柱の封印が正確にどんなものだかは知らない。雨龍が頑なに口を噤んでいたのでね。
けれど、あなた方が知りたがっている封印の属性は分かる。
一柱の封印は、木属性。大地に縫い止める楔だ」
穏やかなセイの声が、そう告げた。
それを聞くと、紫水と灯花は中座を詫びて、資料室へと向かった。
その場に残ったのは、弥彦とハクとセイの三人。
何となく、気まずい沈黙が続く。
その沈黙を破ったのは、セイだった。
「雷瀬とは逢えたのだね。ハク」
穏やかに微笑む、セイ。
「うん。逢えた。
不思議だよな。待ってる間は凄く長くって、気が狂いそうだって思ったけど、いざ過ぎちまうと、あっという間だったって思う」
穏やかに微笑むハクを見て、セイも柔らかに笑う。
「桃花とよく泣いていたから、本当は少し心配だったよ」
本の少し意地悪く笑って、セイはそう言った。
けれども、その言葉は何処までも柔らかい。
「うっ。それは言うなって。あの頃はまだ小さかったし」
「しかし、良い出会いをしたのだね。ハク」
言い訳をするハクに、微笑みかけてセイが言う。
その言葉に、ハクは今まで自分と関わってきた人間を思い起こす。
いろんな人間がいた。
自分を道具としか見なかった人間もいた。ただの通り過ぎるだけのものとしか扱わなかった者も。自分に肩入れをしすぎてしまった人間も。
そして、弥彦に逢った。弥太郎に逢った。
それから、雷瀬と再び出会えた。
「そうだな。
うん。良い出逢いだった」
ハクはそう言うと、にっと笑う。
その姿に、セイは穏やかに笑っていた。
二人のやり取りを横で眺めていた弥彦は、ハクの過ごした長い時の一端を垣間見た気がした。
何処までもただ、過ぎていくだけの時間。
「また弥彦によばせっから、今度は雷瀬がいるときに来いよ。セイ」
気がつけば、弥彦の了承なしにそんなことを話していた。
「何を勝手に話し進めてやがるっ。このバカ式神っ」
尽かさず弥彦は突っ込む。
「うるせっ。へりゃしねーんだから出し惜しみすんなっ。ボケ弥彦っ」
「出し惜しみとかそんな問題じゃねーだろがっ。このピーマン以下頭っ」
「誰がピーマン以下だっ。俺がピーマン以下ならお前なんざ、梅干の種で、天神抜きだろうがっ」
セイを還すのも忘れ、しばし二人の不毛な言い合いは続いた。
それをセイは、穏やかな瞳を向けつつ、茶を飲みながら不毛さに二人が気がつくまで眺めていたのだった。