布石-2-
長老にたっぷりと小言をいただき、グロッキー気味の弥彦は、客間で茶をすすりながら、ぼうっとしていた。
弥太郎が待っているので、あまり長居はできないのだが、さすがにあの小言の猛攻の後すぐに動く気にはなれない。
「弥彦。お前だけなのか?」
なぜか客間の前を通り過ぎかけたハクがそう言って弥彦に声をかけた。
「なんでお前、ここにいるんだ?」
「弥太郎は? なあ、弥太郎は?」
きょろきょろと辺りを見回し、人の話など聞きはしない。
「俺一人だ」
仕方なくそう答えると、とたん憮然とした顔になって。
「なんだ。つまらん。とっとと帰れっ」
と、暴言を吐く。
「そう言うことを言うのはこの口かっっ」
カチンときた弥彦は、ハクを後ろから羽交い絞めにするようにして口を左右に引っ張る。
「なにしやがる弥彦」
じたばたと逃げようとするが、弥彦ががっちりと押さえ込んでいるので逃げられない。
散々左右に伸ばされた後、ぜいぜいと肩で息をするハク。
「たくっ。口の聞き方ってもんを本当に覚えないな。お前は」
涼しい顔で座り直して茶をすする弥彦に、ハクはまた噛み付こうと口を開きかけるが、それより先に、弥彦の言葉が続く。
「それより、雷瀬はどうしたんだ?」
二人一緒にいると思っていた弥彦は、ハクの姿しか見えないことに疑問をぶつけた。
いまだ弥彦は雷瀬の姿を見ていない。こちらはこちらで色々と事情があるため、雷瀬の姿を見るためだけに本家に来る暇はなかったのだ。
気にならなかったわけではなかったのだが。
「雷瀬は現地で待ってる。
俺は雷瀬に頼まれて、符を取りに」
「それは体よく追い払われたんじゃないのか? ハク」
哀れみのこもった瞳で見る弥彦に、ハクは真っ赤になって食って掛かる。
「ちげーよ。普通の紙だと、雷瀬の力に耐えらんねーんだ。
雑魚相手にゃ、質の落ちた紙でも良いが、凶神相手となったらそれじゃ無理だろ」
「そう言う事でか」
納得できる理由を言われ、弥彦は頷いた。
もっとも、先ほどの発言自体、ただの茶目っ気ではあったのだが。
「そうそう」
視線を外し茶をすすると。
「よかったな。ハク」
呟くようにそう言った。
しっかりと瞳を見て喜んでやれない自分の矮小さに、弥彦は自嘲する。
「ありがとな。弥彦」
ハクの言葉に、弥彦は溜息を吐いた。
昔のように、素直に言葉には出来ない。出来ることと出来ない事を知ってしまったから。
ハクと二人、色んな所に行ったのが懐かしい。
あの時は、もしかしたら、これが永遠に続くのではないかと思っていた。
それが幻想だということも、分かってはいたのだが、本当の意味でそれを実感したのは、雷瀬が来ると、言葉すくなにハクが言ったときだった。
しかし、だからと言って、今までの事がなくなってしまうわけでもなく、また、ハクもハクのままだ。
だから。
「まあ。お互い全部終わったら、ゆっくりしような。ハク」
苦笑を浮かべて、弥彦がそう言うと。
「うわっ。殊勝な弥彦って気色悪っ」
仰け反るようにして、ハクが言った。
「滅するぞ、この薄らボケ式神」
剣呑に目を細め、左手には符、右手には三鈷杵。
「しゃ、洒落じゃんかっ。マジんなんなよっ。弥彦っ」
「問答無用っ」
二人の命がけのじゃれあいが始まろうとした瞬間。
「弥彦おじさん」
気落ちしたような、そんな灯花の声が響いた。
その雰囲気に、二人はすぐさま矛を収める。
元々、冗談の延長であったがために、やめると言うことにお互い異存はない。
「どうかしたのかい。灯花ちゃん」
珍しく、視線を合わせようとしない灯花に、よほど切り出しにくい話なのだと感じた弥彦は、ゆっくりと灯花が言葉を紡ぎだすのを待った。
「あの、ですね。
紫水とも話したんですが、もしかしたら、弥彦おじさんならハクが言っていた古い式神、セイを呼べるんじゃないかって」
その言葉に、どうして灯花が言い淀んでいたのか、弥彦にも分かった。
もし、他人の式神でも、呼べなかったときは辛いだろうと、そう考えて、頼むこと自体に引け目を感じていたのだ。
「おお。そっか。弥彦なら呼べるもんな」
しかし、能天気な声が突如響いて、場はこれでもかと言うくらい静まり返った。
「ハク。弥彦おじさんなら呼べるってどういう意味?」
何だかよく分からないが、不思議と灯花の声は震えていた。
怒りたいのか、それとももっと別な感情なのか、判断できずに。
「桃花もセイを呼べたからな。弥彦も呼べんだろ」
前例があったのだ。
もしかしたら、資料をひっくり返せば記述の一つや二つ残っているのかもしれない。
「ハクのぼけなすっ。スポンジ頭っっ。あーもうっ。あんたの中身何か、ピーマン以下よ。ピーマン以下っ」
えらい勢いで灯花はまくし立てた。
「なっ」
突然怒鳴られたハクは納得行かなくて、食って掛かろうと口を開くが、灯花の方が、刹那の間早かった。
「前例があったんだったら、こんな悩まないでもっと早く弥彦おじさんに頼めて、封印の場所の割り出しだって、簡単に出来たかもしれないでしょっっ。
あーもうっ、本当になにこの馬鹿猫っ」
言いたい放題である。
そこまで言われて、しかも、封印の割り出しのためだといわれてしまえば、確かに悪いのは自分のような気がして来て、ハクは、くっと唇をかみ締めて、反論が出来ずにいた。
「まあまあ。ハクを再起不能にするより、手順聞いた方が良いと思うよ。灯花ちゃん」
まだまだ言い足りないと、口を開いた灯花に、弥彦は苦笑を浮かべながらそう言う。
出来るということを知っているなら、召喚の手順も知っているということだ。
「あ。そっか。
じゃあ、私、斎場の準備してくるから、ハクは弥彦おじさんに手順説明しておいて」
言うなり踵を返し、灯火は廊下を駆けて行く。
「紫水っ。紫水っ。召喚できるって。
私、準備に入るから、長老には説明しておいて。て、聞こえてないか?
ヒスイ、紫水に伝えてきて」
ばたばたと本当に落ち着きがない。
台風一過と言う感じで、とたん客間は静かになった。
「そっか。そうだよな。
弥彦なら、セイを呼び出せるんだよな」
何故自分はこのことを弥彦に教えなかったのだろうかと、ハクは自問する。
答えは簡単だ。
虚しいから。
それ以外の何者でもない。
心の繋がりのない召喚は、陰陽師も式神も双方に虚しさを募らせる。
「ピーマン以下の頭で難しいこと考えんな。な、ハク」
ぽんぽんと、弥彦がハクの頭を撫でる。
「誰がピーマン以下だっっ」
「灯花ちゃんに言われて反論しなかっただろう」
ちらりと、冷たい瞳を向けて、弥彦が言う。
「あれは、反論する隙もなかっただろうがっ」
食って掛かるハクに、弥彦は笑みを浮かべた。
「どっちにしろ、誰かがやらなきゃならなくて、出来る誰かってのが俺しかいないんだから仕方ないだろ」
弥彦の言葉に、ハクは口を噤んだ。
弥彦はいつでもこうだった。
どこか達観したように、物事を諦めているようにも見えるほどにあっさりと受け入れる。
それが弥彦の強さだと言うことも分かっているが、少しくらい運命に抗っても良いだろうと、ハクは思う。
「バカ弥彦」
ぼそりと呟くと、また、がしがしと頭を撫でられた。
何を言っても無駄なのだ。
こうと決めたら、弥彦はてこでも考えを変えはしない。
「失敗したら馬鹿笑いしてやるから覚悟しとけよ」
「なら、成功したら、俺が笑わせてやる」
いつもの軽口。
けれども、その背中が少しだけ緊張しているのをハクは知っていた。
だから、いつものように、弥彦の背中を押してやる。
「出来るもんならやってみやがれっ。バカ弥彦」
「言ったなボケ式神。目開けたまま寝んじゃねーぞ」
視線が合うと、二人はにっと不敵に笑った。