Part2
「いいでしょう。吉川さん、向こうへ移動して下さい」
担任の先生がそう言った。
おい、公平中立な立場の人間が何を言ってるんだ!?
どこぞの事務総長か、アンタは!
「それでは、どいて下さる?」
縦ロールをファサッと払いながら、エリーゼさんは涼やかな声でそう言った。
恐い!
反逆を許さない王者の風格がある!
何これ!? 海外のお嬢様って、みんなこうなの!? 教えて、ヒルトンシス
ター!?
「は、はいっ、かしこまりましたっ」
おーい、千里!
普段のハチャメチャな君はどこへ行ったんだぁー!
「ごきげんよう、神河君。これからよろしくお願いしますね」
ニッコリ微笑むエリーゼさん。
「あっ、はい。どうもよろしくお願いします」
僕は思わず、そう口走っていた。
前略、遠くへ行った(廊下側最後列)千里さんへ。
今なら君の気持ちが解る。
僕、お嬢様のカリスマには勝てなかったよ。
それから、授業が始まった。
と言っても、僕のやる事は一つ。
昼寝である。
寝る。寝たいから寝る。起きてらんないから寝る。それ以上の理由があろうか!
そんな訳で教科書を開き、ノートを開き、筆記用具を机の上に広げ、そのまま爆睡コースへ突入!
勉強しなくたって平均点が取れるなら、授業なんて真面目に受ける必要なんかないさ。
人生、負けなければ勝ちなのさ。
という訳で、僕はこのまま昼休みまで寝まくってやる!
が、それを許さないものがあった。
何を隠そう、エリーゼさんの視線である。
あれ?
見てる!?
彼女は、ずっと僕を見て微笑んでいるのだ!
ま、いいや。寝ちゃえ。
そう思って寝ようとすると、――
つんつん。
はい?
「寝ちゃ駄目ですよ、神河君」
エリーゼさんがニコニコ笑いながら、僕の肩を指先で突っついて起こしてくる。
寝れない……!?
僕は愕然とした。
エリーゼさんの視線はそれからというもの、ずっと僕に注がれ続けた。
体育で、男女別れてもそれは変わらなかった。
彼女は、陸上競技を行っている女子専用のグランドから、サッカーをやっている僕ら男子専用のグランドへ視線を向けているのである。
離れているが、明らかに僕に視線を向けている。彼女の目鼻が整っているのが原因なのか、眼力が強すぎる気がする。
「よぉ、モテモテだな、昇」
体操服姿の千里が、ニヤニヤ笑いながら男子グランドまで来てからかいに来た。
先生に見つかったら怒られるよ、君。
今やクラス中の人間が、エリーゼさんが僕に視線を向けている事を知っている。
ただし、理由は不明。
悪いが、大抵の初対面の女性は、僕の顔を見ると「貧血ですか?」と心配するぐらい、普段の顔色が悪いのだ。
実際、病気には弱く、冬になれば必ず風邪をひくし、全校朝礼の時に貧血で倒れた事も、一度や二度ではない。
顔の評価以前に健康の心配をされるレベル。
それが僕の容姿なのだ。
そんな不健康さに定評のある僕の顔を、じっと見つめるエリーゼさん。
個人的な意見だが、あれは僕に好意を寄せて見ているのではなければ、健康状況を心配して見ているのでもない気がする。
どちらかと言えば、骨董品を目利きする鑑定士のような視線である。
彼女が僕の何を目利きしているのかは不明だが、身体能力ではないだろう。
不健康でも、運動成績も平均の僕なのだ。
頭一つ抜きん出ている奴はたくさんいる。
なのに、昼寝を妨害してまで観察する理由はなんだ?
ここは、調査の必要があるな。
「千里、一つ探ってきてくれないかな?」
「エリーゼお嬢様についてか?」
「まぁね。何でこっち見て来るのか、ね。こっちもいい加減煩わしいし」
「またまたぁ、嬉しいクセにぃ。女の俺だってあんな美人に見詰められたいぜ」
「ところがどっこい、そうじゃないんだ。何せ彼女がいるお蔭で、授業中眠れない」
「いい事じゃねーか。真面目にノートでもとればいいじゃん」
「僕は勉強しなくても平均点は取れるから、ノートなんて真面目にとる必要なん
かないの。健康の為に昼寝をするのは、出席日数をかせぐ為にも大事な事なのさ」
「そいつは世の中をペロペロしすぎだぜ、昇。人生は駄菓子のように甘くないんだぜ? お前、頭がいいんだから頑張って国立の大学でも目指せよ。いい人生送れるぜ?」
むぅ、千里のくせに正論を。
どうやら遠回しに、僕の要求をつっぱねようとしているみたいだ。
僕は数瞬迷った後、スッと彼女の眼前にピースサインを出した。
「あん? 何だよ、チョキなんか出して?」
「20本だ」
「何を?」
「お嬢様に探りを入れたら、うまい棒、20本奢ろうじゃないか」
「昇の健康の為だ。昼休みまでに結果を出して来るぜ!」
千里は即答すると、女子専用グランドへ向かって全力疾走して行った。
フフン、うまい棒20本で働いてくれるとは、何てリーズナブルな奴だ。
そして、昼休み。
「ごめん、無理」
千里の開口一番がこれである。
「どーしてそこで諦める! ダメダメダメ、諦めちゃ!!」
「何だ、元気じゃん、昇」
「千里が不甲斐ないから、頑張って応援したんだよ。で、何で無理なの?」
「それがさ、俺も色々、女の部分を出して探りを入れたんだよ」
「女の部分?」
山猿のような千里の何処に、そんな要素があるのだろうか。
僕は知らない。
千里は物心ついた頃からこんな奴だ。
「解んねー奴だな。雰囲気だよ、雰囲気! 『カルティエさん、気になる異性の方でもおられるのかしら?』なんて柄にもなくお嬢言葉で聞いてみたのさ」
「ほうほう」
「そしたら、『神河君なんて見てませんわよ?』と言って返答しやがったのさ」
「それ、完全に僕の事を見ているよね」
「ああ。で、俺もその辺、突っついてみたのさ。けど、全部スルーされた。しかもお嬢様スマイルで「これ以上は聞くな」オーラを出す始末よ。悪いが降参だぜ」
取りつく島もないようだ。
「ありがとう、面倒かけたね。取り敢えず、これお駄賃」
僕はそうお礼を言って、報酬変わりの焼きプリンタルトを投げ渡した。
大樟学園高等部食堂名物、焼きプリンタルト。
一日限定20個しか作られないスイーツであり、厳選されたカスタードを使用した、食べられる芸術品である。
どれだけ美味しいかって?
女子生徒へこのプリンタルトを報酬として差し出せば、大抵の頼み事を聞いてくれる程さ。
「マジでくれるの!?」
「ただし、うまい棒20本の件は白紙だからね」
「かまいませんとも!」
「んじゃ、この話はお終いね」
僕はそう言い、御昼ご飯のカルボナーラを食す事にした。
そんなこんなで放課後。
とびっきりの美人お嬢様に見詰められ続ける時間も終わりだな、と思っていた時期が僕にもありました。
「神河君、少し付き合って頂けないかしら?」
学生カバンを持ちながら、放課後、エリーゼさんは僕にそう言った。
えー、さすがに家に帰って寝たいよ。
実際、しんどいで、無理です。
と言おう思ったが、
「よろしいですね?」
「はい、かしこまりました」
気付いたら、こう言っていた。
弱すぎるぞ、僕!
「それでは付いてきて下さい」
彼女はそう言って、金髪縦ロールをなびかせながら歩き出した。
むぅ、カッコいい。
「エリーゼさん」
「はい」
「どちらに向かっているのです?」
取り敢えず、行先だけでも尋ねた。
「旅館・月見草です」
おや、珍しく答えてくれた。
旅館・月見草と言えば、草津の郊外に建つ、老舗旅館である。
有名ではないが、知る人ぞ知る名旅館だ。
何だってそんな所に、美人のお嬢様と一緒に行くのだろう?
「ご用件を伺っても?」
「商談です」
「はい?」
「大事な商談ですもの。当人のいない所で話を進める訳にはいきませんわ」
何が何やらさっぱりだ。
商談?
冗談であってくれよ。
っというか、山田さんに何て説明すればいいんだ、僕は!?
僕は頭を抱えながら、教室を後にした。