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僕のお嬢様はハードボイルド  作者: 中村 冬也
良き時も悪き時も
2/18

Part1

  目覚まし時計が騒音をかき鳴らし、執事の山田さんが強引に毛布をひっぺがす、朝の恒例行事が始まった。


「おはようございます、お坊ちゃま。早速ですが、着替えて、顔を洗って、朝食をとって下さいませ」


 山田さんはニコニコ笑いながら、僕の前に学校の制服を並べだした。


 山田さんは朝が強い。


 今日はやけにウキウキしている。


「……はーい」


 逆に僕は心底嫌そうに返事をし、着替える事にした。


 僕は朝が苦手なのだ。


 それどころか太陽の光そのものが大っ嫌いである。


 山田さんもそれを理解してくれているのか、朝に起こしに来てくれる時は絶対にカーテンを開けたりしない。


 おかげで今朝の僕の部屋は薄暗いままだ。


 正直、これくらいがちょうどいい。


 大きな欠伸をし、僕は足を引き摺るような足取りで、天蓋付きのベッドを後にした。


 朝食は山田さんが直々に腕を振るう、フルコースだ。


 前菜はトマトサラダ。


 メインはプレーンオムレツ。


 コーンスープにハチミツを塗ったトースト。


 ドリンクは、酸味の効いたオレンジジュース。デザートはバニラアイスクリームだ。


 うーん、完璧。


 特に山田さんの作るプレーンオムレツは食べられる芸術品である。


 ふわっふわっの絶妙な焼き加減に、口の中で甘く広がる生クリームの食感が堪らない。


 最高の朝食に舌鼓をうちつつ、僕はテレビをつける事にした。


 殺人事件や海外の不穏な情勢、先行き不透明な経済の話をするニュースを眺めていると、お気に入りの星座占いのコーナーが来た。


 おっ、やぎ座は1位か。なになに? 運命の出会いがあるかも?


 いいね、青春真っ只中の高校生だし、そういう異性と出会いたいものだ。


『趣味は天体観測です』


 なーんて言ってくれるような文科系女子と出会いたいもんだ。

 

 やって来ないもんかな。登校中にばったり、なーんてね。


「お坊ちゃま、そろそろ出立の時間です」


「……今行きます」


 そう、無理ですよね。


 僕の通学は、山田さんの運転する黒塗りベンツなんだもん。


 通学中にばったり出会うなんて、そりゃ交通事故じゃないか。



 疎ましい太陽の光を浴びつつ、僕は自分の教室にやってきた。


 群馬県の吾妻郡草津町の隅っこにある、私立大樟(おこのぎ)学園高等学校。


 ここが僕の通う学校である。


 大正時代。

 

 当時の地主で大金持ちであった大樟 正太郎氏は、自分の財産は後世の人材育成の為に使う、と言って建てられた学校である。


 私立のおかげか、片田舎にもかかわらず結構な設備が整っている。


 ここ草津町は、軽井沢程ではないが避暑地としても有名であり、温泉街としても栄えているので、田舎のわりに金は潤沢にある。


 特に役場などの公共施設はそこいらの施設と引けをとらないレベルで建てられている。


 未開の地グンマーなどとバカにするな。


 更にいうなれば、大樟学園にはかなりの援助金がまわされている。


 それは、ここの学園は僕のような『訳あり』の資産家の子供が大勢通っているせいである。


 『訳あり』。


 これは、僕のように親戚から遠ざけられている子供達の事だ。


 再婚した片親とそりが悪くなり実家で暮らせなくなった子供や、生まれつき体が弱くて都心では通学できない子供。


 もっとひどいものになると、妾の子供といった、世間の外聞が悪くなるような子供も沢山通っている。

だが、『訳あり』だからといっても、大半は笑って過ごしている。


 僕もその一人だ。


 子供って、親が思っているより強いものである。


 と、今気が付いたが、教室の中がやけにざわついている。


 どうも噂話に花を咲かせているようだ。


「おい、昇っ。例の噂、知ってっかっ?」


 チュパチャップスを口に咥えながら、僕の隣の席に座る生徒が話しかけてきた。


 男口調なのだが、この子はれっきとした女子高校生である。


 名前は吉川(よしかわ) 千里(ちさと)。ロッククライミング部の部長で、見た目通り男勝りな奴だ。


 一応、日本でレジャーホテルを手広く経営している、吉川財閥のご息女で、世間一般ではお嬢様である。


 しかも、『顔』だけは可愛い。これは断言できる。


 活発な印象を受けるショートカットの髪型に、あどけなさの残る幼い顔立ち。


 そして、大きな黒い瞳に、どこか色っぽさのある唇。


 元気爛漫な性格による補正なのか、病弱な僕も彼女の傍にいれば、そこそこ元気になる。


 元気を分け与えられる人間がこの世にいるとしたら、きっと彼女の事だ。


 ま、ここまでは問題ない。問題は服装だ。


 どこでそんなに汚したのか不思議なくらいボロボロのセーラー服に、スカートのポケットからは溢れんばかりの駄菓子が見える。


 時々、一週間くらい学校を休むので、その間に野山を駆け巡っているのだろう。


 サルか、君は。


 極め付けがこの男口調で、仕草も完全に男な点である。


 むしろ、この口調で喋っているせいなのか、クラスの大半からもオッパイのついた男子のような扱いを受けてしまっている。


 本人はその扱いをむしろ気に入っているようなので、そのままだ。


 僕自身には理解できない思考回路である。


 こんな女子高生と並んでデートしたい男がいるだろうか? 僕は無理。


 勿論、この『がさつ』が美少女の皮をかぶったような奴に告白しようとした猛者は未だにいないし、彼女が恋に落ちたという噂もまるで聞かない。


 病弱な僕とは接点がなさそうだが、小学校の頃からの幼馴染なので、昔からよく話したりする仲にはなっている。


 仲良くなる切っ掛けは、忘れました。


「例の噂?」


「情報おせーぞ、昇。転校生だってよ、転校生。何でもお嬢様らしいぜ?」


「何言ってんのさ。この学校の女子なんて、大抵がお嬢様じゃないか」


「違う違う、アタシとは違う、本物のお嬢様だ、本物!」


「本物?」


「相手はフランスの『カルティエ』のお嬢様だ。しかも、スゲー美人らしーぜ、オイ♪」


 千里はそう言って、喜々と笑った。


「『カルティエ』? あの宝石の?」


 何故か、頭の中からフッと情報が湧き出してきた。


 あれ? この名前、僕聞いた事あったっけ?


「へー、昇が宝石とかに興味があったとは意外だな。それとも時計の方か?」


「一応、文房具や香水とかもやってるよ、『カルティエ』って」


 ……?


 何でこんなスラスラと知らない筈の情報を喋ってるんだ、僕?


「何だよ、普段は星しか見ないくせに、やけに詳しいな」


「あー、前にテレビでやってたのを覚えてたんだと思う。実はそんなに知らない」


 そう言いながらも、僕は頭の中で『カルティエ』という言葉を思い浮かべた。


 すると、何故か色々な情報が思い出すかのようにあふれ出てきた。


 カルティエ。


 フランスの宝石店にして、名門ブランド。


 指輪やブレスレットのデザインとしては、特に『トリニティリング』が有名。


 宝石の質は厳選しており、世界中で高い評価を受け、そして愛されている。


 世界五大宝飾店の一つ。

 

 ……あれ? 何でこんな情報を知っているんだ!?


「どうした、昇? 頭でも抱えて。さては昨日、夜更かしでもしたのか?」


「あぁ、うん。ごめん、何でもない。いつもの低血圧だよ」


「ったく、不健康だな、昇は。調子が悪くなったらいつでも言えよ。保健室まで運んでってやるからよ」


 チュパチャップスを加えながら、千里は逞しい笑顔を見せた。


 うーむ、こいつは男として生まれていたらさぞやモテていたに違いない。


「そういや、千里。何だってフランスの名店『カルティエ』のお嬢様が、うちのような片田舎の学校に来るんだ?」


「そこまでは解らん。世間じゃ未開の地グンマーってバカにされてっけど、ここ草津の目玉は何といっても温泉だ。もしかしたらソレが目当てなんじゃないか?」


 グンマーコンプレックス、ここでもか。


 それもそうだが、本当に、『カルティエ』のお嬢様がわざわざ群馬なんぞに何の用なのだろう?


「お、先生が来たぞ」


 千里が、考え事をしていた僕に向けて、注意を促した。


 千里はハチャメチャだが、分別のある性格のお影か、実は結構助けてもらっているのだ。


 ……しかし、千里さん?


 チュパチャップスは咥えたままでは、先生にまた注意されちゃうよ?


「あー、皆も既に知っているだろうと思うが、急に転校生がウチのクラスにやってくる事になった」


 中年男性教師の口調は、何処か当惑していた。


 成程、千里の話と繋ぎ合わせると、本当に急に転校が決まったのだろう。


 普通、手続きで結構、時間がかかるもんね。


 編入試験やら制服やら、いろいろとだ。


「あー、入ってきなさい」


 教師の言葉に応えるかのように、教室の扉が開いた。


 クラス中の人間が、息を呑んだ。


 理由は簡単。


 転校生の顔には、――ガスマスクが付けられていたからだ。


 ガスマスクである。


 有体に言うなれば、鳥山明の自画像みたいになっている。


 ……よし、友達になるのは辞めよう。


 僕は心の中で、転校生との距離を決意した。


「コー、ホー……」


 ダースベイダーのような呼吸音を立てて、彼女はお辞儀する。


 不気味すぎる。


「皆さん、こんにちは……コーホー……」


 彼女はそう言うと、手元のカバンからガスボンベのようなモノを取り出した。


 んん? 何だアレ?


「コーホー、――そいやっ」


 疑問に思うのも束の間、彼女は安全ピンのようなものを流れる動作で引き抜き、何故か僕の机の上に、それを放り投げて来た。


 何してんだよ、鳥山明(お嬢様)!?


 僕の頭の中で起きた正当なツッコミも収まる前に、鳥山明(お嬢様)が放り投げたガスボンベは、放物線を描いて僕の机の上に転がった。


 その瞬間、ガスボンベから強烈な勢いで、白い煙を撒き散らす。


『ぎょへええええええぇぇぇぇぇっ!?』


 教室の中が、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。


 クラスメイト達は何故か吐き気を堪えるような表情でうめき声を上げ、女子達に至っては悲鳴を上げて泣き叫ぶ。


 例外である千里は、何が愉しいのか、ケラケラと笑っている。――トラブルと遊んでいる場合か!


 今朝から気分が重かったが、逆境で僕のメンタルとフィジカルはマイナスから反転したようだ。


 元気百倍!


 まずはこの教室を換気する。


 やると決めると僕の行動は素早い。


 廊下側、窓側の窓、扉を全て開放し、教室の空気の換気をした。


 僕はちっとも悪影響を受けていないのだが、クラスメイトが苦しんでいるのは明白なので換気する決断に間違いは無い筈である。


 暫くした後、教室中の人間がグッタリと横たわる中(千里と僕は例外)、鳥山明(お嬢様)は悠然とした仕草でガスマスクを外した。


 正直、鳥山明(お嬢様)へは怒りしかなかったが、彼女の素顔に僕は息を飲み込んだ。


 答えは簡単。

 

 すっごい美人だったからだ。

 

 スラリと伸びた長身に、陶磁のように白く、そしてキメの細かい肌。


 美しく弧を描く眉に、整った顎のライン。


 豪奢な金色の髪を縦ロールにして背中まで伸ばし、青空を閉じ込めたかのような碧眼は宝石のようである。


 す、すげぇ。何だ、この人は!?


 ハリウッドの女優やパリのモデルと言っても間違いなく通用する。


 それどころか、世界中の王侯貴族から求婚されかねないレベルの容姿なのだ。


「ごきげんよう」


 ペコリ、と日本式にお辞儀する。


 柔らかく聞く者の心を癒すかのような、清涼な声だった。


 そして、日本語である。


「今日から皆さんのクラスメイトになります、エリーゼ=フランソワーズ=シャルティエです。エリーゼ、と呼んでください。日本語は御覧の通り、完璧にマスターしております。お気兼ねなく、私とお友達になって下さい、皆さん」


 そう言って、彼女は優しく微笑んだ。


 ……教室に軽い毒ガスをまき散らして言うセリフではないぞ、鳥山明(お嬢様)。


 しかし、何故か回復したクラスメイトの口からは、感嘆のため息が漏れた。


 数秒前に毒ガスをまき散らされたのに、この反応である。


 思わずクラスメイト達に対し、僕は「美人に弱すぎだろ!」と怒鳴りつけたくなった。


 未遂で済んだのは、転校生のエリーゼさんが担任教師の指示もなく、僕のところまで歩いてきたからである。


 へ?


 僕の顔を数秒見詰めた後、ニッコリと笑顔を浮かべた。


 ……何故だろう、言い知れぬ不安を感じた。


 まるで、眼鏡に叶う宝石を、ショーケースの中から見つけたかのような笑みである。


 そして今度は、隣に座る千里に視線を向けた。


「先生」


「は、はい、何ですか?」


 車酔いにかかったかのような口調で、担任教師が応じた。


「私、この席に座りたいです」


 そう言って指さしたのは、千里の席だった。


 そう、僕の隣の席である千里の席を。

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