part1
僕の名前は神河 昇。
年がら年中、自身の体調不良と戦う、病弱な男子高校生だ。
どれ程病弱かというと、初対面の人間は僕の顔を見て、「貧血ですか?」と真面目に尋ねるレベルだ。
朝の疲労は何時もの事だけど、今回は訳ありだ。
昨日の夕方、僕は『ジークフリード商会』の『担当官』である矢澤さんに話を聞いた。
一つはエリーゼさんの事。
もう一つは僕の婚約者である、ジュリアさんについてだ。
前者は解決、後者は未解決である。
「――おや、昇様。今日は1人で目覚められたのですね」
執事の山田さんが驚いた声を上げて、僕の寝室に入って来た。
山田さんが起こしに来る前に起床するなんて、僕の人生で初めての事だからだ。
「いえ、眠りが浅かったんです」
「体調は如何です?」
「いつも通り、疲労感しかありませんが、学校に行きます。今日は期末テストが返って来る日ですし」
僕はそう言って、ベッドから立ち上がった。
そう、今回の期末テストは頑張ったのだ、珍しく。
「かしこまりました。――制服をご用意します」
山田さんは丁寧にお辞儀し、僕の前に制服を用意し始めた。
夏服のワイシャツに袖を通しながら、僕は昨日、矢澤さんが言っていた言葉を思い出した。
『ジュリア=ウィンストンは天才ですが、かなりの奇人です』
という言葉を。
ジュリアという女性は、エリーゼお嬢様と同じく、『ハリー=ウィンストン』という宝石店のお嬢様である。
山田さんが用意してくれた朝食を食べつつ、僕は彼女の情報を纏める。
僕は、『ハリー=ウィンストン』に関する知識を、誰よりも持っている自信がある。
何故なら、生前の父さんがよく仕事のパートナーとしていた、ゼロ=ウィンストンという『宝石工匠』が属していた宝石店だからだ。
そして、『吸血鬼』である僕は、フレーズを思い浮かべるだけで、血を吸った人間の記憶を思い出す事ができる。
これは、僕の母が異世界『トワイライト』出身の『吸血鬼』であり、その肉体的特性を受け継いでいるからできる芸当だ。
と、閑話休題。
件の宝石店の名前を思い浮かべる。
『ハリー=ウィンストン』。
セレブ御用達の超一流宝石店であり、別名が『ダイヤモンドのハリー=ウィンストン』、である。
大層な経緯が有る訳では無い。
ダイヤモンドの品質においてトップクラスの宝石店だから、この別名がついているだけだ。
どれだけ凄いダイヤモンドを取り揃えているかというと、宝石評論家が『5段階評価』で、真面目に『6』の評価を与えてしまうレベルのダイヤモンドしか取り扱わないお店である。
また、『宝石工匠』としても、この宝石店は伝説となっているお店だ。
『ホープダイヤモンド』。
ルイ16世や数々の歴史上の人物を不慮の死へ誘った事で有名な、『呪いのダイヤモンド』である。
前述の通り、持った人間は無残な最期を遂げる事で有名なダイヤモンドであり、実際に魔法の呪いがかけられていた。
1950年代、初代ハリー=ウィンストンと僕の曾祖父である神河 巌の二人は、この呪いを浄化する為、『トワイライト』にて大冒険を繰り広げる事になる。
彼らの行動により、『ホープダイヤモンド』の呪いは打ち消された。
そして、この事によって全ての『宝石工匠』によって、『ハリー=ウィンストン』は伝説の宝石店として認識される事になる。
即ち、『呪われた』宝石を浄化する、宝石店として。
山田さんが運転するベンツに乗り込み、僕はジュリア=ウィンストンという女性の情報を整理する。
矢澤さんの言葉によると、現在の『ハリー=ウィンストン』の社長の娘にあたるのが、件のジュリア=ウィンストンお嬢様との事だ。
ジュリア=ウィンストン。今年で22歳。
驚いた事に、彼女は小学生の頃から『宝石工匠』として働いているらしい。
当然、願いを叶える宝石を作る方の『宝石工匠』である。
つまり、今の僕より年下の頃から『トワイライト』という地獄のような異世界に足を踏み込み、生き延びてきたという事だ。
しかも、彼女の腕は超一流。
世界中の品評会でも高い評価を得る程の高い技術を持ち、賞を幾つも獲得しているそうだ。
そのお陰か、現在までの依頼数は既に1000件を超えている。
その中には、当然、『呪われた宝石』の解呪も含まれている事から、彼女の技量は推して知るべし、である。
あまりに依頼が多すぎて、同時に複数の依頼をこなす事も珍しくないらしい。
それ故、彼女は『天才』と言われているそうだ。
まさしく、『宝石工匠』となる為に生まれ、『宝石工匠』として生きる為に仕事する。
ハードボイルド極まりない、僕好みの生き方だ。
そして彼女は、僕の『婚約者』である。
正直、ジュリアさんに対しての感情はというと、……困惑しかない。
僕は、自分の預かり知らない所で婚約者がいて、それを喜ぶ人間じゃないからだ。
そもそも、どういう経緯で婚約が決まったのかも謎なのだ。
外の風に当たりたくて、僕は窓ガラスを下げた。
車の外からは、温泉街特有の硫黄の混じった温泉の匂いが入って来た。
そのおかげか、少し気持ちが楽になる。
ジュリアさんは僕の事をどう思っているのだろうか。
どうせなら、きちんと会って話をしたい。
贅沢を言うなら運命的な出会いをしたかった。
「あーん、遅刻遅刻~♪」
そうそう、こんな声出して走って来た女の子と曲がり角でバッタリ、な出会いが……。
そんな事を考えていると、……
キキーッ!! ドーン!!
執事の山田さんが運転する車が、急ブレーキをかけるとともに、何かにぶつかった。
シートベルトをしていた僕は、慣性の法則に従い、大きく前方につんのめる。
事故に遭うと、シートベルトって肌に食い込むんだな。―—すんごく痛い。
っと、それよりも……。
「……、あの、山田さん?」
「昇様……。あぁ、何という事でしょう……」
山田さんが、顔面蒼白といった面持ちで外を見ている。
その視線の先には、アスファルトの上で横たわる女子高生がいた。
制服からして、僕と同じ大樟学園の生徒のようである。
背は高めで、170㎝の後半だろう。
艶のある黒髪をストレートに腰まで伸ばしているのが見える。
そして、彼女は横たわったまま、ピクリとも動かない。
ああ、何て事だ、人身事故じゃないかっ。
「取り敢えず、救急車と警察へ連絡して下さい、山田さん。僕は彼女の様子を見てきます」
「昇様、お待ちください!」
山田さんの声を聞き流しつつ、僕はアスファルトの上で横たわる女子高生の元へ駆け寄った。
「あの、大丈夫ですか!?」
アスファルトの上で横たわる女子高生に歩み寄り、僕はそう尋ねた。
が、彼女に対して、僕は違和感を抱いた。
まず、どこにも怪我をしているように見えないのだ。
出血の痕跡どころか、打撲や擦り傷の1つも見当たらないし、制服にも汚れ一つない。
んん?
では、この女子高生、何でアスファルトに倒れているんだ?
「――えっと、大丈夫ですよね?」
近寄ってみる。
と、その瞬間だった。
倒れていた女子高生が『ガバっ』と起き上がるなり、僕の体を力いっぱいに抱きしめた。
ふぁっ!?
「会いたかった……! 会いたかったわ、私の『魔銃士』……!!」
僕の耳元で、女子高生が歓喜に満ちた声で囁いた。
次の瞬間、女子高生は熱烈なハグから僕を解放し、――
「こんにちは、初めまして! 見た目は大人、頭脳はアレ! 私はそんなあなたの婚約者、ジュリア=ウィンストンです!!」
一方的に自己紹介してくれた。
「流暢な日本語だな」と、小学生並の感想が脳裏によぎるぐらい、現実逃避したかった。
矢澤さん、『奇人』という世間の評価は正しいです。
父さん、こんな時、女性に何て声を掛ければいいのかな?
「チェンジで」
僕がそう言った時、父さんが若かりし頃に通っていた風俗店の記憶がフラッシュバックした。