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僕のお嬢様はハードボイルド  作者: 中村 冬也
富める時も貧しき時も
17/18

プロローグ

 群馬県吾妻郡草津町。

 

 ここは、日本屈指の温泉街である。


 今日は7月7日。


 すでに季節は梅雨の真っ只中である。


 そんな分厚い雲に覆われた草津の空に、わずかな陽光が差し込んだ。


 灰色の雲の裂け目から日の光が差し、笹の葉についた雫がキラリと白い光を反射する。


 その空の変化に、温泉街を歩く旅行客達が傘を畳みながら、花が咲くように笑顔を浮かべた。


 梅雨明けの青空は、誰が見ても気持がいいものである。


 だが、梅雨明けの青空とは対照的に、表情が曇る人間もいた。


 喫茶店『まごころ』の窓際のボックス席に座る、1人の少年であった。


 少年の名前は神河 昇。


 病的なまでに白い肌に、艶のある黒髪を持った長身の少年である。


 少年は見た目通りの高校生だが、それと併せて最近、『魔銃士』としての職についたばかりだ。


 ちなみに『魔銃士』とは、『魔法』の機能を組み込んだ銃で戦う事を生業にする職業の事である。


「あーあ、晴れちゃった……」


 昇はそう言って、憂鬱な表情で窓の外にある青空を見詰めた。


 一般人と違い、太陽光は彼自身の健康の大敵なのである。


 原因は不明だが、昇は太陽の光を浴びると、極度の疲労感にさいなまれてしまうからだ。


「がっかりしないで下さい、昇君。逆に考えれば、今夜の七夕は満点の星空という事です」


 昇の向かいの席に座る少女が、無邪気な笑顔を浮かべてそう言った。


 彼女の名は、矢澤 明美。


 一見、栗色の髪をツインテールにした、愛らしい顔立ちの少女に見えるが、さにあらず。


 外見は小学生にしか見えないくらいに小柄な明美だが、それは彼女が小人族だからだ。


 小人族とは、人間でいう所の第二次性徴の途中で成長が止まってしまう短所を持った、『トワイライト』出身の種族の事である。


 小柄な見た目に反し、彼女は今年で23歳になる。


 職業は、『魔銃士』に仕事を斡旋する、『ジークフリード商会』に所属する『担当官』だ。


 ちなみに、『ジークフリード商会』とは、異世界『トワイライト』の宝石採掘専門の企業である。


「それで、どうして私と急にお茶がしたいと誘って来たんです?」


 何時も付けているのとは違う、レースの入った白いリボンをいじりつつ、明美は昇にそう尋ねた。


 放課後、昇から明美に電話をかけて、この喫茶店へ誘ったのである。


「ええ。実は気になっている女性が二人いましてね。その女性の事を教えて欲しいんです」


 アイスコーヒーを飲みながら、昇はそう言った。


「……ほーん?」


 明美はそう言うと、昇を探るかのように目を細めた。


 明美本人は気付いていないつもりなのだろうが、表情は完全に無表情である。


「どうかしましたか?」


「別に関係ありません。――二人同時に攻略とは恐れ入りましたけど」


「? 変ですか?」


「ええ、とても変です」


「とても?」


「それより、気になる女性とは誰と誰です?」


「はい。――まず、エリーゼさんの事を教えて下さい」


「綺麗ですもんねー。告って付き合えばいいじゃないですかー」


「いえ、別に異性として付き合うつもりはありませんけど?」


「……はい?」


「気になっているのは、エリーゼさんが落ち込んでいる理由です」


 そう。


 昇の関心事2つの内の1つが、この事項である。


 先月、昇は『魔銃士』として初めて仕事を行い、無事に宝石と共に『トワイライト』から生還した。


 『宝石工匠』であるエリーゼは、昇が『ダイヤモンド・エルダー・ドラゴン』という最強クラスの『宝石獣』から獲得した直径1mもあるダイヤモンドの原石を砕き、白薔薇の形へカッティングされた、美しいエンゲージリングを作り上げた。


 素人目にも、『宝石工匠』としての腕の良さが見て取れる、まさに逸品の指輪である。


 それにも関わらず、最近のエリーゼは元気が無い。


 依頼人へ商品を届け、フランスから帰って来てからというもの、打ちひしがれたかのように落ち込んでいる。


 話しかけても、「私、『宝石工匠』に向いていないのかもしれません」と答え、悲しげな微笑みを浮かべるだけであった。


 埒が明かないので、昇は別方向から情報収集のアプローチをする事にしたのである。


 即ち、『宝石工匠』ともつながりのある、『担当官』である矢澤 明美だ。


「……そっちでしたか。てっきり、恋のお悩みかと」


「あ、済みません。そう聞こえてしまうような質問の仕方でしたね」


「自分の非を素直に認めるのは良い事ですよ、昇君」


「どうも。――それで、矢澤さんはご存知ですか?」


「ええ。けど、どうしてそれを聞きたいんです?」


「自分の仕事に非があるかもしれません」


 昇はさも当然の口調で即答した。


 好奇心の現れの行為ではなく、単純に自分のミスが原因ではないのかと不安に思っているかのようである。


「真面目ですね。――ま、いいでしょう。お話しします」


 明美はそう言ってストローからオレンジジュースを一口飲んだ。


「結論から先に言うと、昇君に非はありません」


「ほっ」


「さて、この話の続き、聞きたいですか? ちょーっと、エリーゼさんのプライベートにも関わる事ですし、昇君は彼女に幻滅するかもしれません」


「……解りました、聞きます。――いえ、お願いします」


「では、他言無用でお願いします。――昇君がエリーゼさんと初仕事をした内容なのですけど、実はアレ、彼女の『宝石工匠』としての最終試験でもあったのです」


「最終試験? エリーゼさん、あれが10回目の仕事だ、って商談の時に言っていましたけど?」


 昇は彼女との商談時の内容を思い出す。


 あの時、彼女は昇に言ったのだ。「今回が10回目の仕事」と。


 最終試験があるのなら、仕事を受ける前に終えている筈の回数である。


「いいえ。これは『宝石工匠』の恒例行事みたいなものです。10回目の仕事は、その職人の師となった人が、自分のプロポーズを行う為の指輪を弟子に作らせる伝統があるんです。それの完成度合いで、一人前の『宝石工匠』として審査するんです」


「それ、御師匠さんが既に結婚していたらどうするんです?」


「今の奥さんに、それでセカンドプロポーズするそうです。素敵ですよね♪」


 両手を頬に添えながら、明美はうっとりとした表情でそう言った。


 見た目が小学生なので、本当に夢見る少女のようである。


「それじゃ、僕が先日、エリーゼさんと『トワイライト』へ行った仕事の真の依頼主は、彼女の御師匠さんだったんですね」


「ええ。そして、エリーゼさんはお師匠様から『宝石工匠失格』の烙印が押されました」


「どうしてですか!」


 あまりの内容に、昇は抗議の声を上げた。


「逆に伺いますけど、昇君、彼女が作った指輪を見ましたか?」


「ええ、見事な指輪でした」


「ダイヤモンドの大きさは?」


「えーと、軽く見積もっても15カラットはあったかと」


「では、15カラットのダイヤモンドが象嵌された指輪が相場でどれくらいの価格で取引されていると思いますか?」


 明美のその言葉に、昇はようやく合点がいった表情を浮かべた。


 即ち、エリーゼが行ったのは、価格破壊である。


「……そういう事だったんですね」


「ええ。今回の依頼金は日本円にして約1千万円。そして、15カラットのダイヤモンドが象嵌された、『カルティエ』のスペシャルモデルの指輪。しかも、互いの愛を決して忘れない願いを叶える魔法がかけられています。ざっと5千万円以上はしますね」


「それを、エリーゼさんは1千万円で販売した。――いや、マリッジリングを2つこみだとすると……」


「そうです、完全なる価格破壊です。『カルティエ』の儲けは、もはやマイナスです」


 明美はそう言って、オレンジジュースを飲み込んだ。


 もし、エリーゼがこのまま価格破壊ありきの仕事ばかりすれば、どうなるのか。


 それを想像して昇の背筋に冷たいものが走った。


 本来ならば5千万円以上で販売するものを、エリーゼは1千万円で販売したのだ。


 客からすれば良いだろうが、『カルティエ』からすれば大損害である。


 エリーゼの長所は、何事も躊躇わず最高の仕事をする熱意だと昇は思っている。


 だが、その熱意が『カルティエ』に損害を与えているとしたら、彼らはエリーゼに対してどういう評価を下すか。


 答えは、『宝石工匠失格』の烙印である。


 つまり、エリーゼが『宝石工匠』として仕事をすればする程、『カルティエ』は赤字という大損害を被るのだ。


 そんな人材、どこの宝石店も抱えたくない職人だろう。


「矢澤さん、エリーゼさんはどうするべきだったんでしょうか」


「簡単な事です。ダイヤモンドをせめて3カラットまで小さくして、カッティングも普通のラウドブリリアントカットにするべきでした。それでしたら、おおよそ700万円台後半ぐらいのお値段になりますから」


 明美はそう言って、オレンジジュースを飲み干した。


「矢澤さんは、エリーゼさんがどうするべきか、解っていたんですか?」


「ええ、勿論。解った上で黙っていました」


 明美はさも当然といった口調で答える。


 それは、明美が親切な女性だと思っていた昇の印象を、大きく覆すかのような態度であった。


「どうして黙っていたんです。諭してあげれば、エリーゼさんは――」


「甘えた事を言わないで下さい。それは、エリーゼさん自身が自分の頭で気付くべき内容です。そもそも、最終試験に外部の人間が諭したら、それは明確なルール違反です」


「う」


 明美の行為が、冷たいという訳ではない。


 明美は厳しい業界に身を置く人間として、当たり前の事をしたのである。


 冷たい事と、厳しい事は根本的に違う。


 昇はそれが理解できたが為、黙り込んでしまった。


「あの、エリーゼさんはこれからどうなるんですか?」


「別に何もありませんよ。『カルティエ』からリストラされる事はないでしょう」


「へ?」


「昇君、この手のルーキーが出て来るのが稀だとおもっているんですか? こんなケース、いくらでもあります。例えるなら、顧客に良い顔したいばかりに無茶な契約で会社に損害を与える新入社員みたいなモノです。未熟な職人でも、雇っている以上、それを一人前に育てるのも『カルティエ』の仕事の内です」


「そういうモノですか」


「そういうモノです。才能のあるエリーゼさんの『宝石工匠』としての未来を断ち切る事なんて、『カルティエ』も望んではいませんよ。我々としても、あちらとしても、エリーゼさんが有能な職人へ成長してくれる事を望んでいます。―—それも、正当なルートで」


「成程」 


「今後、エリーゼさんは値段相応の宝石が作れるまで、『カルティエ』や傘下の職人達からは軽く見られ続ける事になるでしょう。けど、それはプライドが傷付く毎日が待っているだけの事です」


「それはそれで、大変そうですけど……?」


「昇君、何度も言いますが、それは甘えです」


「……そうでした」


「そもそも、落ち込んでいる暇があったら一人前になれ、という世界なんです。自力で這い上がれない人が、依頼人を幸せになんてできませんからね」


「厳しい世界なんですね」


 しみじみとした口調で、昇はそう言った。


「解りました。僕もその世界に身を置く人間です。エリーゼさんが自力で立ち直るまで、僕も見守っておくことにします」


「賢明です。――それで、もう一人の気になる女性は?」


「ええ、実は彼女の方は真面目な恋愛相談になるかもしれません」


「ほう」


「ジュリア=ウィンストンという女性、ご存知ですか?」


 昇がそう言った瞬間、明美の顔から血の気が引いた。


 今思えば、物語はここから始まっていたのかもしれない、と昇は後になってから思い出すのであった。

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